2021-06-10

日本の政治

長年忘れてた、と言うか記憶から消していたのだが、このコロナ禍の間に思い出したことがあった。

二十年近く前、私と当時の妻は共働きで、子供保育園に入れなくてはならなかった。それで希望の園を選んで、抽選に申し込んだが、見事に落ちた。

二十年近く前だから、「日本死ね」が話題になるよりずっと前の話だ。保育園抽選が厳しいというのは噂には聞いていたが、実際落ちてみると、非常に困った。第二希望の園では仕事に定時に行けるかわからないし、第三希望となると定時出社は距離的にほぼ無理だ。今みたいに「イクメン」なんて言葉もない頃で、少なくとも私の勤務先は、保育園に行くからシフト勤務、など許してもらえる会社ではなかった。

困った挙句、妻が知人にその悩みを相談したところ、何処そこの誰それさんに連絡してみて、と言われ、藁をも掴む思いだったので言われた通りにした。したところあっさりと、第二希望が通った。

助かった、と思った。が同時に、なんとも釈然としない気持ちになった。だってそうだろう。そんなことで決まってしまっては、抽選など、なんの公平性もない。

後日、その議員さんに、手紙を書いたのか菓子折りでも持って行ったか忘れたが、とにかくそれきり、そのことは忘れた。何処の党の人だったかも、聞いたかどうかすら記憶がない。

何故、この話を今思い出したのかというと、日本の政治家のやっていることは詰まるところ、こういった御用聞きというか人たらしというか、そういうことなのだと、この二年間のニュースを見続けて嫌というほど思い知らされたからだ。安倍にしても菅にしても、他の多くの政治家にしても、皆が皆、我々が想像するような悪人ではないのかも知れない。ただ近しい人によくしてあげる、ただそれだけを何の魂胆もなくやってきて、その積み重ねで今があるのではないかと。これは与党野党も同じなのだが、強いて言えば政権を取れる人というのはチヤホヤされるのが人一倍好きな人で、その分周りに親分肌を利かせるのではないだろうか。

そして、偉くなればなるほど、金目当てでイカサマ取り巻き連中も増えるだろうし、全力で証拠隠滅に走る部下もまた、いるのだろう。

決して日本だけの話ではないだろう。とはいえ日本人は良くも悪くも、純真過ぎるのだと思う。「美しい国」なんて言葉であったり、党首討論オリンピックの思い出話を始めたり、我々からしたら何故それが受け入れられると思ったのか理解に苦しむ失言であったりというのは、まさにそういうことなのだろう。

ただそろそろ、そういうことは本当にやめにして頂かないと、この国は滅んでしまう。この二年間に報道されただけでも、一体どれだけの金が訳の分からぬ処へ流れたか。もういい加減、限度を超えてしまっている。近しい人だけ見ている人は、それに永遠に気付かない。

思い返せば自分も、それでその議員感謝して応援するような人間でなくて良かったと思う。その分、生きづらい人生を送っている気もするが。

近しい人を助けることで、全体が上手く回った時代というのもあったのだと思う。がしかし、とうの昔に、そしてこの二年間で尚のこと、時代は変わってしまったのだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん