2020-10-10

大学生日常を取り戻そう」という言説について

9月下旬から、多くの大学講義が始まった。僕の大学ではコロナの影響で講義原則オンラインとし、オンラインではできない各種実験や実習の類の一部だけが対面授業となっている。サークル活動は、禁止は解けたもの10人以下で三密を避けて活動するようにという通達が出ていて、実質活動できていない。図書館だんだん規制が緩くなっているが、それでもまだ閲覧席の利用禁止や他学部学生による利用(例えば工学部学生理学部図書館を利用することができないなど)は制限されている。昨年度とは大きく異なった状況が大学生をとりまく。

それで、少し前からTwitterなどで「大学生の日常を取り戻そう」という言説を見かけるようになった。小学校も、中学校も、高校も、会社通勤通学しているのに、大学生だけは対面授業ができずずっとZoom講義を受けたりサークル活動ができなかったりという不利益を被っているという意見だ。僕はこの言説に引っ掛かりを感じる。

大学生の日常を取り戻そう」というのは、コロナ前の日常を送れるようにしようと言っているように聞こえる。そしてその日常享受できていないのは大学生だけだという考え方が根底にあるように見える。でも僕はそれは違うと思う。コロナ前の日常を取り戻すのは大学生以外でも無理だし、日常享受できていないのは大学生だけではない。今、道行く人々は常にマスクをしており、マスクをしていない人は入店お断りという店すらある。三密を避けろと言われていて、特に居酒屋でのコンパは白い目で見られる。電車内では会話は控えめにするようにとアナウンス流れる。小中高校は対面授業こそしているものの、例えば給食時間は机を合わせずに全員前を向いて無言で食べるというスタイルがとられることがほとんどだし、文化祭は中止か一般公開しないかのどちらかである。完全にwithコロナの考え方が定着していて、日常の形も変わっている。

それなのに「大学生の日常を取り戻そう!」などと言うのはなんなのか。"取り戻す"ための"日常"などもう数年先まで存在しないだろう。「大学生の日常を取り戻そう!」が叫ばれるなら「中学生日常を取り戻そう!(例えば、文化祭は例年通り学外からも人を入れて盛大に開催したい)」とか「サラリーマン日常を取り戻そう!(例えば、リモートワークはなんか嫌だから普通に出社したい)」なども叫ばれていそうなところなのにそういった意見はなかなか見つからない。大学生だけが不利益/非日常を被っているわけではないのに。大学生の声が異様に大きい。というわけで、僕は「大学生の日常を取り戻そう!」を目にするためにまーた大学生が騒いでるよ、とうんざりしてしまうのである

※文頭でも述べた通り僕は大学生です。

  • 国立理系の大学生だけど、俺からしたら特に私立勢がまーた騒いでるなって思ってるよ。授業料減額しかり日常を取り戻そう運動しかり、こっちはいくら国立法人とはいえ文科省が動か...

  • 「大学生の(授業は寝てて、単位余裕で落として、サークルでウェイして、バイトしまくって散財しまくって、就活でサークル代表のストーリーをでっち上げる)日常」を取り戻そう。

    • 凄いコンプレックスにまみれて生きてそう 生きてて楽しい?

      • 皮肉屋の君は生きててつまらなそうだけど、コンプレックスを原動力にして反骨精神で生きてる俺は苦しいだけに充実した日々を送っているぞ

      • 留学の経験で諸外国の学生の学習環境のよさにコンプレックス抱いて帰ってきたヨー

    • 意図的に恋愛に言及してなさそうなあたりに闇を感じる

  • 大学卒業してn年のおっさんだけど。へーって感じ。そうなのかー。 このまえでかい会社に行って昼を一緒に食べたときも食堂で対面できず、仕方なく横並びで食ってた。そういう感じか...

  • こういうの見て思うのは日本人ってつくづくホメオスタシスが崩れることに弱いな、と

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