俺とか自分でも少し引くぐらいめっちゃ酷薄で、家族とか友達とか恋人とか全然大事にしない。優しくしないし、優しくされてもなんかいまいち芯食ってないっていうか、まあありがたいんだけど、「うん、まあ、ありがとう」みたいな感じで、でも本当はもっと全霊で感謝するべきだし、もらってる分の10倍くらいは相手に返してもいい気がするんだよな。感覚的に。
別に、周りに優しくしないことで特に得したことがあったわけじゃないし、なんなんだろうな。
他の人の優しさの分量がバケツ一杯分だとしたら俺だけ雨粒一滴分っていうか、そんなんだからもっと愛情を示せって言われても「いや、俺なりにこれが限界で…」って感じで、罪悪感とかはないんだけど、別にもっと無尽蔵に愛情があったっていいし、みんなだって俺よりははるかに多いけどやっぱり限界はあって、もっと意味わかんないぐらいお互いに優しくたっていいのにな。そうしたら死なないで済んだ人、もっと幸せに人生をたためた人も大勢いたかもしれないよな。
もちろん愛情に限界があるのは生物的にも社会的にも当然のことで、生命は基本が独善的に設計されているものだし、世の中を生きてわたっていくだけで体も心もすり減っていく。なんなら宗教的にも愛情のMAXはちゃんと認識されていて、キリスト教の原罪もそうだし、仏教だってたぶんそういう概念があるはずだ。
だから、愛情が有限であることには合理的に考えるとどこにもおかしいところはなくて、「なんで有限なんだろう」って考えが出てくること自体がとんちんかんなんだけど、それでも不思議なんだよな。
なんなんだろうな。なんなんだろうな、って感覚が、愛情に限界があることにかかってるのか、そんなことを不思議がる自分にかかってるのか俺にもわかんないけど、なんなんだろう、ってすごい思うわ。
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