2017-03-09

新聞みたいなものってないのかと思うのだが

新聞ってまったく事実意見を分けて書くことができてない。

そもそも事実を書いてない場合は言うに及ばず、意見のために事実を都合よくピックアップしてる。

もしも、「どの新聞でも事実部分は同じ」であるならば、事実を頭に入れつつ意見の違いをふむふむと読めるが、事実からしてあてにできないものから、読者としてもペーパーを丸ごと否定しなきゃならなくなる。

と言って紙面にも限りがあり、ファクトチェックする力(余力、能力)もなかろう。だから記者イデオロギーに沿った読み物を書くしかできない。

こっちが知りたいのはまず事実なので、あんまり新聞を読む気にはならなくなっちゃう。

新聞紙野菜をくるんだりに便利だけど、別に定期購読しなくても紙だけ買えたりするし、ホームセンターとかスーパーで買い物したらサッカー台に積んであるのを包装紙として使ってたら、生活に困らないくらいは手に入る。

情報を得るだけならタブレット端末でいい。

子供の頃、娯楽がなくて貧乏だったのもあるが、日がな新聞紙を広げて、怪しい広告に疑問を持ったり、詰将棋コーナーの問題を考えたり、成人映画の上映情報タイトル見て密かに興奮したり、自分の県では映らないフジテレ東系列番組表(隣県の局のテレビ欄)のアニメが羨ましかったり、力士出身地を全部覚えたり、そうしていろいろと「もともとの興味外のこと」を新聞から学んだ。

娘は五歳になるが、テレビは基本録画視聴でCMは全スキップだし、ニュースも興味ない。

自分が知ってるもの、見たいものだけ見て生きていくというのは心配なことだ。

よその子も似たようなものみたいだが、家々で選択しているものが違う(うちはプリキュア、よそはここたま、みたいに)ので、友達から新しいモノを知るのは昔と変わらないみたいだ。

せめて、たくさん友達を作って、たくさんの物事に触れてほしいな、と思う。

(今なら、Wikipediaリンクを辿る、のがあのなんとなく新聞を眺める感覚に少し近いのかな、と思った)

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