2017-01-08

3人以上の女子会死ぬほど嫌な理由

さっきまで「女子会」だったのだが

まりにつらくて逃げ出してきた。で、これを書いている。

複数人数と「雑談」することがものすごく苦手だ。

人と話すこと自体がきらいなわけではなく

一対一なら何時間でも話していられたりする。

しかし3人以上になると、もう無理。

なんていうか一対一なら

「いまは話すターン」「次は聞くターン」っていうのが明確で

まあ聞き役に回れば会話は成立する。

相手が何を聞けば喜ぶのか想像すればいいんだから

よい印象を与えるのはたやすい。

寡黙な人ならもっと簡単

要件を話し、あとは心ばかりの有益情報と、相手への褒めを

ミックスして放り込んでさっさと解散だ。

いちばん難しいのは、女子会

理由は下記。

1)つねに3人以上である

2)語り手と聞き手が極めてさりげなく切り替わる

3)職業、雇用形態、既婚未婚離婚子どもの有無などで属性や状況が大きく変わる

4)なのに、わざとらしくない「共感」が求められる

5)しかしその実、みんな「自分の話」をしたい

3とか4はわれながら陳腐ヘイトだが、

真の理由は、たぶん5である

まり、こういうこと。

私は会話において「相手がどうしたら心地よくなるか」を軸としている…

といえば聞こえがいいが、言い換えれば主体性がまったくない。

相手の顔色を伺い、相手によい気持ちになってもらうことで

自分の印象をよくする、もしくはミッションを達成することが会話の「目的」だ。

女子会のような場においては、まずその目的設定自体がまちがってる。

会話の目的は、乱暴にいえば「共感」であり、同時に

「求められてなくても自分の話をする」ことが求められる。(ややこしいな)

共感可能な形でお互い「自分の話」をすることが場のルールであり

それこそが「皆んなが心地よくなる」ために必要なふるまいだ。

私とて、自分の話をするのが嫌なわけではない。

でも話出してすぐ「こんなこと誰が聞きたいんだよ」と思ってしま

そう思ったらもう終わらせたくて仕方なくなる。

なるべく短く、とディテールを欠いて話を閉じるものから

共感も何もできず、沈黙が訪れる。

落ちたボールを拾い上げるお手間だけをかけてしまい、居たたまれない。

そんなターンの繰りかえしを、2時間も繰り返せば、自分相手うんざりだろう。

これまで「女子会が苦手」なことに寧ろ誇らしさを感じていたが(偽サバサバ女子

これは結構ゆゆしき問題なのかもしれない。

なんでこうなっちゃったんだろうなあ。

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