身近な人が余命宣告をされました。
毎日のようにお見舞いに行くのですが、だんだんと耐えられなくなってきました。
それはこちらの自分勝手な思いなのかもしれませんが、もしもその人が死に抗って生きるために必死になっているとか、せめて諦めて抵抗をやめて死を受け入れているだけならば、ここまで苦しくは感じません。
励ます言葉もかけられますし、自分たちの顔を見せたら少しでも元気になってくれるのではないか、あるいはそれがダメでも最期に周りの人々の笑顔だとか死んでしまうことへの悲しみの表情であるとか、少しでも食べてもらえるようにと厳選したお見舞いの食べ物であるとかを持ち込んだり、楽しい会話を仕掛けたり、何かしら出来るのです。
でも、その人は残されるものたちにそんなことをさせてはくれません。
わからなくもない。
でも、残されるものにとって、その人のしていることは地獄です。
何も期待させてもらえない。
だって、ものすごくがんばって気力を見せたら、もしかしたら奇跡が起きるかもしれないじゃないですか。
私たちが見ているのは、何も減っていかない配膳された食事を前に意思強く佇む骨と皮だけになってしまった姿だけ。
意思の強い人なんです。
辛くてたまりません。
これまでも自由にやってきた人です。
やりたいことをやり、食べたいものを食べ、言いたいことを言ってきた人です。
最期まで意思の強いところだけ私たちに見せて逝こうとしています。
地獄です。
なるべくお見舞いの前後に楽しいことをするようにお互い気遣ってはいますが、それでも気持ちの浮き沈みがきついのです。
幸い私には専門的な相談相手がいますから、いつも相談してはいます。
一時期やめていた薬も、自分が同じように死に引きずり込まれることがないように服用を開始しました。
でも、本当に毎日がきつくて、看取りってこんなにきつかったっけ?昔おばあちゃんが亡くなったときにここまできつかったっけ?と思うばかりです。
このままじゃ辛すぎます。
助けてください。
断食すると死に際がきれいになるのか?いまいち断食の理由がよく分からん。
ようするにその人の心がポッキリ折れるところを見たいってことなのかな? 死ぬ前に弱みを見せてほしいというか?