新海誠最新作「君の名は。」はざっくりネタバレしてしまえば「歴史改変して死んだはずの女をよみがえらせる話」だった
まあ死人を蘇らせることを肯定的に描くか否定的に描くかは作家の自由だ
しかし、新海誠は前々作「星を追う子ども」では最終的にそれを否定していなかったか?
「星を追う子ども」はおっさんが主人公の女の子を依代に自分の死んだ妻をよみがえらせようとするが失敗する話だ。
結局死人は蘇らないし、人は喪失を抱えて生きるべきだという作品だ。
作品としてはジブリとエヴァを強引に混ぜ込んでゲド戦記(アニメ)で割ったような出来だったが
ちょうど3・11のタイミングで公開され、震災に対して図らずも一つの回答になっていると感じた。
だのに「君の名は。」ではそれをひっくり返すように、村丸ごとの死をなかったことにしてしまう。
代償として記憶の喪失があるが、最終的に再び巡りあうのでほぼノーリスクである。
新海監督にとって「星を追う子ども」のテーマはどうでもよいものだったのだろうか。
そりゃ監督も人間だから心変わりがあったのかもしれないが、震災を経て死人が蘇るというのをなぜ肯定的に描けるのか。
そんなのは只の願望である。虚妄である。アニメは確かに嘘っぱちだが、
決して麻薬のように現実逃避のために消費されるものであってはならない。
新海誠作品はそりゃあ内向的で童貞臭くてそれが気に入らないという人もいただろうが、
辛いことにちゃんと向き合った上で生きていこうという決意が常に在り、それこそが作家性ではなかったか。
もしもそれを今回やらないことで、辛いことから目を背けてハッピーな映画を作ることで、
いい年こいたおっさんが昔の女を引きずったり死人を蘇らせようとしたりするのはNGだけど(秒速・星)、 10代の若者が超がんばれば青春パワーで許されるし死人も生き返るし再会ボーナス...