2016-08-02

誰も障碍者ことなんかみていない

障碍者が宝だとか感動だとか大切さだとか言ってるのは

人間の体からまれた人と認定されたもの

どんな状態になっても守られるという基礎がある」という

社会自分たちがいるという幸福感を満喫するためにある価値観なので

自分たちはすごく安全で豊かな社会にいるという幸せに感動してむせびなくわけだ

仮に重度の障害動物と差がないどころか生命として単体で生きていけない状態であったとしても

「だから見捨てる」というなにかしら一定ラインをもうけると

あいつはへんなやつだから生きる権利を奪おう」というラインまでの差がなくなる

重度の障碍者一人を社会的に切り離すラインを設けると

の子はすごくかわいくて気立てが良くて人がいいけど

自分に振り向いてはくれないか死刑という判断もできるということになる

それは基準おかしい 言い過ぎだ と思うのならば

その差を絶対的評価として言葉にしてみてほしい

自然の摂理だとか常識的にだとか感情的にといった

身近な相対でしか表現できないのではないか

偉い人がお前に生きる権利はないと言われたら

あなたは何を以ってしてそれに抗うのか考えてみてほしい

繰り返すけど、障碍者安心して幸せに暮らせる社会というのは

自分安心感の量なわけでそれについてのみんな感動しているわけ

その制度に便乗して高級車に車いすマークをつけたり

公共交通機関無料で乗る時にだけ杖をついたりしてるところをみても

障碍者をささえている側の人間のほうの利益のほうが多いようにみえるね

黄色シャツのやつらもそれでがっぽりもうけているわけなのだから

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