障碍者が宝だとか感動だとか大切さだとか言ってるのは
どんな状態になっても守られるという基礎がある」という
社会に自分たちがいるという幸福感を満喫するためにある価値観なので
自分たちはすごく安全で豊かな社会にいるという幸せに感動してむせびなくわけだ
仮に重度の障害で動物と差がないどころか生命として単体で生きていけない状態であったとしても
「あいつはへんなやつだから生きる権利を奪おう」というラインまでの差がなくなる
あの子はすごくかわいくて気立てが良くて人がいいけど
自分に振り向いてはくれないから死刑という判断もできるということになる
偉い人がお前に生きる権利はないと言われたら
自分の安心感の量なわけでそれについてのみんな感動しているわけ
公共交通機関に無料で乗る時にだけ杖をついたりしてるところをみても