2016-06-26

真面目な人がうつ病になる理由

真面目な人はできるだけ世の中を良くしようと考えてる。

しかし、現実には、自分けが、もしくは自分の周囲さえよければなんでもいい、トラブルさえ起こさなければ。

そういう考えの人が多数派である

 

真面目な人は他人迷惑をかけるべきではないと考えているので、

第三者に対して心理的、肉体的に負担押し付けることはしない。

しかし、現実には、多くの人が責任を逃れ、負担押し付け合っている。

 

誰の目からみても、真面目な人の考え方は正しいというだろう。

そして、真面目な人たちのおかげ社会はかなりの恩恵を受けている。

しかし、多くの人たちは、真面目な人たちをつまらないと言い、真面目であることを貶し言葉の一つとして扱う。

彼らを完全に認めてしまうと、自分たち立場がなくなるからだ。

 

真面目な人たちの存在社会にとってプラスである

にもかかわらず、社会は彼らのアラを探すことに必死だ。

利他的な行いをするがあまり、不利な立場に追い込まれ、世のため次の世代のために頑張っていたのにもかかわらず報われることもなく蔑まれる。

社会自体を変えようにも、変える力があたえられる立場からは遠ざけられる。

貢献に対し、あだで返すような仕打ち辟易するだろう。

 

では、いっそのこと不真面目になろうか。

でも彼らはそれができない。

彼らはどこまでも正しく、心が美しいのだ。

からこそ、彼らは八方塞がりになり、自分能力不足を恨み、真面目であるがゆえに自分を責める。

こうして、自己否定を繰り返すうちに、彼らの思考回路は負のスパイラルに陥り、抜け出せなくなる。

時にそれがうつ病の引き金になったり、抑うつされた気分しか味あわえなくなる。

 

彼らが悪いわけでは無い。

生活保護不正受給したり、人を騙して金を得ている人間よりはよほどいい奴らであることに変わりは無い。

彼らは運が悪かった。

強いて言うなら未成熟時代に生まれしまったというのが彼らを苦しめている。

 

真面目な人が報われる社会を求める声は広く浸透しているであろう。

しかし、それを実現する方向に行動できている人間は非常に少ない。

我々がすべきは、それぞれの未熟さ、実現すべき社会のあり方を考え、それを認め、変化させることしかない。

我々は真面目な人々を自尊心の餌にしてはいけないのだ。

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