ファスト風土やイオンのような、全国でほとんど同じサービスが受けられるものをとても嫌う。
ジャンプとかファミコンもよく思っていない。テレビにも否定的である。
田舎者がそのときどきの流行を浅ましく追い続けるから東京から、日本から多様性が失われる。
こういった理屈で自分の気に入らない世の中の動きをすべて田舎者の責任にしているわけだ。
しかし、実際に田舎者が多様な文化を失わせている犯人かと言ったら、無茶があるだろう。
定住にしろ一時的滞在にしろ、田舎からの流入者も東京の多様性を担う一部だ。
日本全国に様々な文化があるから、我々は多彩な食物や質の高い製品を簡単に手に入れられる。
しかし人は、少なくとも現代人はその土地の文化だけでは生きていけない。
田舎者にだって文明的生活を享受する権利と、享受している現実がある。
それらは東京で漫然と暮らしているだけでは見えてこないのだろう。
一方で、少し思いを馳せてみたら小学生にだって見えてくる背景だ。
マイルドヤンキーは半径5キロの世界で生きていると分析する人もいる。
ところが実際にそれをしているのは、短絡的に田舎者を嫌っている人ではないのか。
自分が享受する文明がいかに自分の見えていない部分で支えられているかに思考が及ばない。
東京は太田道灌の時代以前はただの僻地だったのだけど、各地の都市で余ってお前のポジション無えから死ねと言われた余剰人口が 集まって形成された都市であって、その性質は現在も...
軒先を貸して母屋を取られる を危惧するような排他主義なのでは。