弱者男性って、架空の母的なもの、自分にとってだけ都合のいい母性みたいなもんにすがりたいのかなぁ、要するにマザコン?
弱者男性とフェミニズム - shibacowのブログ の一番☆が集まってるブコメ
http://b.hatena.ne.jp/entry/shibacow.hatenablog.com/entry/2015/05/24/202444
「どんな救済を求めてるんだ」と問うのは勉強できない子に「どこがわからないんだ」と問うようなものだと考えている。どうすれば救済されるかわからないから弱者なんだよ」
このブコメは、4人の男児の母親だと言っている人がつけたものだ。
まぁそりゃそうなんだけど、悪意を持たれてる相手を救済しようと思う奇特な人は、その人のお母さんだけだろう。それか詐欺師か。
白馬に乗った王子様を探してる喪女よりも、とことん自分を甘やかしてくれるカーチャンを追い求める弱者男性の方がより深く厄介。
そして、そういうより深く厄介なカーチャン的なものにしかアイデンティティや自尊心のおきどころを見いだせない女性も多い。甘やかしてる「だけ」の共犯関係だ。
ID:plutan は簡単に「それが弱者ってものじゃないの?」」と言うが、自分では救うつもりはないのに簡単なことを言うなぁという感想である。
無責任で甘やかす「だけ」の悪しき母性と、それに群がる弱き人々。ここからは何も生まれないしどこに向かうこともない。
だってどちらも動きだしたいとも本当に助けたいとも思ってないから。
「おれをたすけてくれよ、おれをひっぱってくれよ」という言葉は、対個人に向けて発せられるなら、相手の母性をくすぐる可能性もある。
でも、それを対社会に向けて発信してしまうのは、やっぱり自己と社会の認識が歪んでいるように思う。
それも、恐いトーチャン(旧権者・マチズモの中心に未だにいる男性)には言わないんだよな。恐いから。
まさかの、フェミニストに「もっとお母さんみたいに助けてくれ」と言って冷笑された彼らが、次に俺を救えよと言いだしたのは
フェミニストに近い男性で、やはり、彼らから見たラスボス(旧権者マチズモ男性)ではない。
そこまで、自分では何もしたくないが自分の置かれた状況は改善されるべきだ、という、普通の人なら恥ずかしくて主張できそうにないほどの自分勝手で強い欲望は、
甘やかす「だけ」のカーチャンによって、その存在を許される。カーチャンの方はそれでつかの間の良い気持ちになってるんだろう。
実際のところ、このご時世に「時代遅れなタイプの母性」を外に出せる力の源泉は、彼らが忌み嫌う旧権者マチズモトーチャンにあったりするのだが、弱い彼らはそこには目を向けない。