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はてなキーワード: マチズモとは

2017-04-19

オタクウヨク的かサヨク的かと判別することの意義はあるの?

(勿論全てがそうとは言わんけど)オタク趣味というものがどこか保守臭さを感じてしまう点があることは、まあ確かに否めないとは思います

それはまあ、美少女キャラの消費の仕方が処女信仰的だとか、軍事要素大好きだとか、まあそこら辺ですね。

どうにもネトウヨだとかレッテル貼られても致し方ないとは、ある程度は思います

こういうときオタクに対してサヨク観点から批判的な目線を向けてしまます

でもその一方で、オタクサヨク特性も見逃せないのではないかなあ、と思います

たとえば、学校でのいじめられっ子とか、ブラック労働者とか、今風で言うなら「陰キャ」な人々がやるせない現実から

救済を求めるオタク文化に縋るというストーリーとかです。

(いやまあこの手の論も「最近オタクリア充多いだろ」で一蹴されそうではあるが…)

いくらウヨクっぽい趣味とは言え、その泣いて縋るような行動をそう簡単諌めることは是なのでありましょうか?

サヨクモチベーションなのではないでしょうか?

そこで「そんなキモい趣味に走るんじゃねぇ~」とか言ってしまうのは、むしろマチズモ保守主義価値観なのではないでしょうか?

こういうときオタクに対してウヨク観点から抑圧的な説教を加えてしまます

何が言いたいかと言うとオタクって「ウヨク」的要素と「サヨク」的要素のハイブリッド感があるよなあ、ってことです。

いやハイブリッドとかかっこいいもんじゃねぇか。いいとこ取りというか。悪く言えば半端もんというか。

からウヨク的に扱おうとしてもサヨク的に扱おうとしても、どうにも齟齬をきたしてしまう、と思うのですよねぇ。

まあしかしなんつーか、これ以降はオタクに限ったことではないけど、

世の中、何らかの集団属性或いは個人についてパーペキに「あいつはウヨクだ」「こいつはサヨクだ」と

明確に分けられたもんじゃないと思うんですよ。

一見ウヨクな人がリベラルっぽいこと言ってたり、

一見サヨクな人が保守臭いこと言い出したりとかなんてことは、ままあると思うんですよ。

ガチウヨク」「ガチサヨク」な存在なんて、本当にほーんの一握りしかいない。

あとの全ては所詮ウヨクっぽい」「サヨクっぽい」という、あくまでも「印象」でしかない。

あんまり何かの属性に対してウヨクサヨクだ結びつける行為は、メガネを曇らせてしまうだけなんではと僕は思うんですよねぇ。

2017-04-15

恋愛離れの原因は長時間労働だよなぁ

女性が男に対してときめきを感じるのって「清潔感」と「余裕ある態度」なんだが、

長時間労働をしつつこれらを保つのがすごく難しい

気を遣うのに割く一定時間が得られないので清潔感を無くしていくし(清潔ではあるが清潔感は無い)

普段仕事で齷齪したりして心の余裕を無くし、会社評価で心折られていって自己肯定感は低くなり、余裕ある態度を無くしていく

こういうと「お前が甘えてるだけ。長時間労働しつつ恋愛してる人なんていくらでもいる」とか

マチズモ人間がわらわら沸いてくるから恋愛弱者は生きづらい…

2017-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20170402193311

(というか恋愛アドバイスってよくよく見ると言ってることが体育会系マチズモ臭さが漂う所あるよなあ。

普段体育会系的なものを嫌ってる人でも、こと「恋愛」となると言う事が体育会系くさくなる)

恋愛って人の付き合いの中でもプライベート中のプライベートから

少しでも個を尊重し誠実に考えれば人それぞれ千差万別過ぎて「相手をよく見て自分をよく伝える」以上のことは言えないはずなんだよね

それを雑な類型に落とし込んでアドバイスしたがるからどうしてもマチズモ臭くなる

非モテ男がツラいのは「受け身であることが許されない」から

基本的恋愛文化は「男から動かないと始まらない」らしいので

本当に「行動しない男」という存在侮蔑される。

男は頑張って女性不快感を与えないよう機嫌取りしないといけないし、

デートコースとか全て綿密にエスコートしないと行けない。

そこにめんどくささやら恐怖感を抱くやら「女性迷惑をかけたくないしやめとこ…」なことは許されない

「要は勇気が~」と煽られる

発達障害コミュニケーションが不得手だとか過去いじめられてトラウマ抱えてるとか個々人の事情もあるだろうに、

そういう事情は一切考慮されない。

ひたすら数撃ちゃ当たる主義だ。トライエラートライエラー主義だ。当たって砕けろ主義だ。

(というか恋愛アドバイスってよくよく見ると言ってることが体育会系マチズモ臭さが漂う所あるよなあ。

普段体育会系的なものを嫌ってる人でも、こと「恋愛」となると言う事が体育会系くさくなる)

はっきり言ってものすごく泥臭い

から昨今叫ばれる「男らしさなんてくだらない!解放されよう!」とかのジェンダーレス思想とかもイマイチ飲み込めない。

「なんだよ、結局恋愛成功するには男らしさが必要なんじゃないかよ」と言った具合に。

まあ根本的に、「恋愛文化」において「非モテ男の愚痴」は「ノイズ」としか扱われないのである

2017-03-11

日本の男は99%以上は弱者男性強者男性は1%にも満たないと思う

昨今の男女系議論で男の弱さへ目を向けよう的な意見も見るようになったが、

そこで思ったのが、強者男性弱者男性割合の話である

見てて思ったのは大体「弱者男性割合は少ない」「強者男性弱者男性は5分5分」的な意見が多いと思ったが、

私は違うと思っている。

ここで強者男性弱者男性峻別の仕方は?について話すと長ったらしいことこの上ないし私一人で判断するのは傲慢なので省くが、

ある程度の年収やら恋愛経験から峻別して「日本の男は99%以上が弱者男性で、強者男性は1%にも満たない」…と思う。

何をバカな、と思うかも知れんが、そんなもんだ。

社会基本的に少数の強者が多数の成果を総取りして独占或いは架線するようにできているのだ。

労働主義によるマチズモにより、それはさらに加速してしまっている印象がある。

また、以前に「ヤリチン分裂論」みたいなのあったと思うが、「強者男性女性の前に顕現する」「弱者男性女性の前に顕現しない」という特徴があるため、

女性から見ればまるで世の中強者男性ばかりに見える、という認識バイアスがかかってしまうのだろう。

また、ミソジニーに関しても、「ミソジニー童貞モテてない男特有のもの女性経験を経るごとに減っていく」みたいな言説が支持されているが、

実際はそんなことなく、むしろ女性経験が多い人間ほど(総てそうとは言わんが)ミソジニーは凄かったりする。そんなもんだ。

よって、男社会と言っても、99%以上の男は、弱者男性であり、女性と同じくこの男社会による被害者なのである

この世を男社会たらしめている強者男性は、全体の1%にも満たないのだろう、と思う。

このことを基本として認識しない限り、男社会の打倒は無理なのでは、と私は思う。

2017-03-04

男が萌えコンテンツとかアイドルとかに耽溺するのは男の強さか弱さか

萌えコンテンツとかアイドルコンテンツとかエロコンテンツとかにしても

そういうのが大好きな男が棟梁跋扈してる昨今でありまして、

まあその手のコンテンツが公に滲み出たりしてて、まあ、フェミとかの方々からその度批判を浴びることもあるじゃあないですか。

(全てがそうとは言わんけど)オタクコンテンツには、まあ性的に媚びたりだとか、処女性があったりだとかで、

まあ旧来的な男尊女卑価値観内面化されてることが度々あり、それが批判の的となるわけなんですよね。

要するにそこら辺の女性性的消費する辺りが「男の強さ」の発露である、と。

でもね、その一方でね、昨今はもはやオタク男は何かしら縋るような形で、萌えコンテンツアイドルにはまらざるを得ない、ということもあると思うんですよね。

萌えアニメを見ながら泣くような。

これは、男女平等とか言われつつも相も変わらず「男は女を養って一人前」「男らしくない男は情けない」

学校にしても仕事にしても家庭にしても、相も変わらずコミュニケーション労働によるマチズモ蔓延しまくっています

そのような何ともやるせないどうしようもない気持ちによって縋らざるを得ない所は絶対にあるのです。

…そういう「男の弱さ」の発露の面もあるんじゃないか?と思うんですよね。


いや、別に萌えコンテンツアイドル批判するのは不当だ!とか言う気はないですよ。

ただ、そういうもののにハマることに関して「男の強さ」でまとめることは些か乱暴ではないか、と思うのですよね。

何かしら「男の弱さ」からそういうものにハマることを考えなくてはならんのでしょうか?

これは男尊女卑的だからそういう趣味を持つのは止めろ!で済む話なのでしょうか?

そういうものにハマるバックボーン考慮しない限り、解決せねばならん問題解決できんと、私は思うわけです。

私は男が萌えコンテンツアイドルにハマる感情は男の強さと男の弱さが混ざりに混ざりまくった何とも言えないモチベーションから来るものだ…と思う。

2017-03-02

そもそも今は女性らしい男が増えてるよな

なんかメディアが男らしさ女らしさを押し付けしてるー!とか言う批判見るけど、この手の言説に違和感を覚えるのは、

そもそも現代は女らしい男が増えてるじゃん、と言うことなんだよなあ。

特にオタク系男を中心に、男は女性らしくなっていると思う。

別にメディアが男らしさ女らしさを押し付けてるとか無くね?

いやむしろメディアのおかげで男は女らしくなってね?と思ってしまう。

大体オタク男は百合好きが多い。女性登場人物が多いアニメを好む。

根本的に女性活躍幸せを祈っている。むしろ男の活躍を嫌がる男も増えている。

そんでそういう美少女アニメ女性人気も高いし、感性女性に近いということ。

実に女性らしい。

また、受け身な男が増えている。

ナンパとかデートに誘ったりもしない。

しろ女性からナンパしてきたりデートに誘ったり告白したりしてきてほしいと思ってる。

本当に女性らしい。

それに、女性に強さと逞しさを求めている。

女性に養って欲しいとまで思う男もかなり増えている。

これは女性活躍を祈っているということだし、フェミニン的。

まっこと女性らしい。

さらに、マチズモ保守的なセクシストに「女々しくて情けない」と良く罵倒される。

女々しいということは、女性らしいということ。

ザ・女性らしい。

こんなに女らしいオタク男が増えているのに、何故男らしさ女らしさの押し付けガーとか言うのだろうか?

全くもってふしぎである

2017-02-11

サブカル共産主義野郎リベラル気取ってるとぶちのめしたくなる

言っとくけど 半世紀前の共産主義って今のネトウヨみたいなもんだから

自由主義などリベラル迫害する側

そもそも共産主義国家社会主義区別がつかんわ

リベラルってのは社会民主主義や緑の政治みたいなことを言うんだよ

だいだい日本共産党ってのが臭すぎ

最近では天皇制に甘いし天皇の威を借る議員まで出てきた

千島日本のものとかほざいてるし

変な捕鯨推進の集まりにも参加してるし

民青や専従はこき使われてるし

政党障害者雇用ワーストだったし

民進党社民党生活党は短い歴史女性党首をあっというまに選んできたけど

共産党戦前からあるのに党首は全て男のマチズモファロセントリズム体質

いまだにフランス現代思想よりも化石になってるマルクス読んでドヤってるサブカル野郎がいると うっわぁ…ってなる

まり共産主義は全くリベラルではないネトウヨ側に近い存在から自由主義のために消え失せろ

自由主義なめるなよ

2017-01-31

婚活アドバイスにおいて介入することの無いポリコレ

男女カンケイなく、婚活成功アドバイスとかになると、随分セクシズム的というかマチズモ的というか、

モラハラな言説に溢れかえってるように思えるが。

そこらの話題に関して「政治的正しさ」によってジャッジされるような風潮は見られない。

現在において「政治的正しさ」が関わること無く、野放しにされまくってるのは「婚活」の話題全般だと思う。

いやまあ婚活成功させるためならポリコレとか言ってたらキリねーよって言われるのは分かるしそれならいいんだが。

問題普段政治的正しさ」とか信奉してる人間が「婚活」の話題においてきちんと「政治的正しさ」に気を遣って発言してるのか?ということである

甚だ疑問である

結局「結婚能力」の無いものは「政治的正しさ」によって守られることはないってことなんかなぁ…

2017-01-15

恋愛」と「男女平等」って水と油なんじゃないか

男女平等」とか「ジェンダーフリー」とか「性差をなくす」とか「多様性」とか…ここらへん全部「恋愛」と相性が悪いんじゃないかと。

もうちょい具体的に言うと「相手が男/女性からって、男/女らしさを求めるのはアウト」みたいな、アレ。

何で相性が悪いかというと、大昔は「男らしさ」「女らしさ」のフォーマットが強かったんじゃないですか。

から異性と言う相手に対して「相手は男/女なんだから、こういうヤツだと判断していいんだな」と思うことができた。

要するに「相手を読み解くまでのコード」ってヤツが、比較的少なかった。

…だが現代はどうだ?「相手が男だからって強く逞しいと思ってはいけない」「相手が女だからってお淑やかと思ってはいけない」

「××と思ってはいけない」アレもダメ~コレもダメ~…

多すぎるんですよ、「相手を読み解くまでのコード」ってヤツが。

ああ~!コード多すぎてめんどくさいんじゃ~~~~!!!

ってなって結局は「恋愛」ってヤツが「面倒」なものと化してしまったのではないか、と思うのですよ。

要するに大昔は「男らしさ、女らしさ」という保証があるからこそ、万人が「恋愛」というゲームへの参入障壁が低かった、のではないかと思うのですよ。

…いやいや、分かりますよ。

上記で言ってることは「無能の戯言」と断じられても致し方ないってことは。

「男らしさとか女らしさとかこだわらず行うのがこれから恋愛だ!」とか言うんでしょう?ねえそうなんでしょ?

でもねえ、恐らく結局は「男女平等恋愛」というものが「恋愛強者しか不可能だと思うのですよ。

そんでその「恋愛強者」という存在は多分めちゃ少ない。

「だったら己を磨いて男女平等恋愛ができる人間にになれ!」と仰るんですか?

でもねぇ…それってマチズモだなぁ、と思っちゃいけないのでしょうか?(あんま知られてないようだが、恋愛体育会系マチズモとの親和性が非常に高い)

ココらへんになると藁人形論法入りますけど「そこまで努力したくねえよ!つうかおめえら男女平等とかポリコレ言う割に

恋愛弱者にひたすら努力を強いるてめえらの態度は非ポリコレじゃねぇのかぁ!?」…って気分になるのですよ…怠惰とか言われようが。

そんで、ここで「恋愛強者」を「男女平等恋愛可能な者」と設定するなら、

それ以外の「恋愛弱者」は以下のいずれかのメソッドを採るしかないのですよ。

男女平等とか投げ捨てて、恋愛をする

②そもそも、恋愛しない

…で、①はポリコレだとかでアウトと指摘されやすいから、②に流れてる

これが昨今の「恋愛離れ」の正体だと思うのですよ。

いやいやいや、誤解せんでいただきたいのですが、

別に私は大昔を賛美するとか「男女平等はクソ!」とか保守主義者じみたことを言う気は無いですよ。

私は男女平等な世の中になれば良いとおもってますよ。

あと「別に恋愛する人が減ろうがいいじゃんッ」とか「世の中そこまで男女平等とか気を遣ってる人おらんよ!」とか仰るかも知れんが

そういうのは後の話で…

ただ言いたいのは「男女平等恋愛というのは万人が行うの不可能ウルトラ高度技術

男女平等を推し進めよう!その上でみんな恋愛しまくろう!」な~んて無理くりな贅沢いいとこ取りなんじゃないの?ってお話

A『男女平等を推し進めよう!そのせいで恋愛する人が減っても仕方ない!』か

B『みんな恋愛しまくろう!男女平等とか気を遣わなくていい!』か

のAとBのどっちかしかないんじゃないか

あっちを立てばこっちが立たずこっちを立てば~のトレードオフなんじゃないかって話です。

2016-12-25

恋愛アドバイス論における「数撃ちゃ当たる」論が無理

恋愛アドバイス論で「とにかく女の子声かけまくれ!失敗しても数撃ちゃ当たる!」

というのをよく見るが、それがもう無理。

無理。無理なもんは無理。

その辛さを乗り越えろとか言うのかも知らんが無理。無理なもんは無理。無理無理無理無理無理無理無理無理無理ィッ。

ああヘタレだお前はゴミだとか言えば言えよ。無理なもんは無理なんだよ。

と、言うか、本当に世に蔓延する恋愛アドバイスってさぁ、「体育会系」「マッチョイズム」「しばき上げ主義」なんだよなぁ。

身体マッチョイズムというより、コミュ能力意味でのマッチョイズム。

努力努力しろ」「やれること全部やってから諦めろ」「要は勇気(ry」…はぁ~(ため息

普段体育会系マッチョイズム」的なものを嫌う人ですら、

こと「恋愛」の範疇となると途端に言う事が「体育会系マッチョイズム」くさくなるんだよなぁ。

まあ別に元々「差別発言しまくってる人がそう言うんだったら良いが、

反差別」「政治的正しさ」をモットーとしてる人らがそういう「恋愛マチズモ」を発露しだすんだからまらない。

政治的正しさ」の下では「恋愛弱者」は護られない。

反差別」というポジションに立ちつつ、安心して「非モテ」をこき下ろすことが可能である

結局、この世にマチズモ蔓延させているのは、他ならぬ「恋愛文化」だよなぁ…。

2016-09-04

フェミニズムとの距離感~「性差別表現」は存在してよい/存在しない

●無条件に「性差別である表現存在しない

「全てのセックス性差別」とフェミニズムの一部が主張している、と俗に言われる。これは半分正しいが、半分間違いだ。

正確には、「マチズモが強く機能している社会においては」という条件下にのみ「全てのセックス性差別になる」という主張である

この条件さえ付ければ、「全てのセックス性差別」という主張は決して間違いではない。

しかし、だからと言って「セックスを滅ぼせ」という主張は、大半の人にとって受け入れられないものだろう。

現にフェミニストの大多数はそのような主張に与していない。

そもそも、そんな主張は受け入れる必要すらないのだ。

なぜなら、変わるべきはセックスではなく社会なのだから

アニメマンガについても、まったく同じことが言える。

無条件に性差別的な言動表現は、存在しない。

仮にある作品差別的だとしても、あくま特定社会状況下で差別的力学を発揮する、ということにすぎないのだ。

から性差別表現を含むフィクションを好むこと」と「性差別批判すること」は問題なく両立する。

どころか、「性差別を含む表現」を好むからこそ、現実での差別批判するとも言えるのではないか

別の例で言い換えてみよう。

「(ミステリー小説など)殺人表現を含むフィクションを好むこと」と「殺人批判すること」は問題なく両立する。

どころか、「殺人表現」を好むからこそ、殺人表現現実殺人へと結びつかないために、現実での殺人批判するとも言えるのではないか

いずれもまったく同じ構図だろう。

それゆえ、性差別に抗議する人が「性差別を含む表現」を愛好しても何ら問題はないのだ。


党派根性論点を捻じ曲げる

言うまでもないことだが、上手く書かれたフェミニズム批評は、正当な批評である

分析の仕方が卓抜で、深く作品を読みこんでいる批評であれば、それは正当に評価されるべきだろう。

しかしその批評の正しさを認めることは、決して批評された表現自体が悪であると認めることではない。

現に古典文学に対するフェミニズム批評は以前から行われており、たとえば『源氏物語』をフェミニズム的に読解する批評などはすでに存在している(興味がある人は探してみてほしい)。

しかし当たり前のことだが、これは決して『源氏物語』が劣悪で評価に値しない作品だということを意味しない。

批評理論は、「ジャンル批評」や「読者反応批評」や「精神分析批評」や「マルクス主義批評」や「文体論的批評」など、数多く存在する。

フェミニズム批評」はあくまでもその一つにすぎないのだ。

フェミニズム的な批判を認める」=「批判された表現をなくさなければならない」

と考えるのは、党派根性に基づく不当な飛躍である

からオタクは、別にフェミニズム批判の正しさを認めても構わないのである

(もちろん他の批評と同じく、低レベルフェミニズム批評まで認める必要はない)。

そしてこれはフェミニズム側についても同じことが言える。

性差別である」ことを理由としてただちに表現を取り下げよ」と主張するのは、基本的には不当な要求である

もっとも、厳密に言えば「表現を取り下げよ」と発話すること自体自由であるしかしその発話内容が不当である以上、当然批判殺到するであろう。

不当な主張をすることは自由だが、その主張に対する「評価」は本人が責任を負わなければならない)


たかも「オタクフェミニズム対立している」かのような構図をでっち上げることこそが、議論の妨げとなるのである

そういった点も踏まえて、後述するように「マンガアニメという表現様式一般性差別である」などという乱雑な主張は退けなければならない。


結論

表現の自由」には責任が伴う、としばしば言われる。

では表現者が負うべき責任とは何か?

それは、己の作品の「評価」を引き受けること、である

辛辣批評、伸びない人気、そういったことをすべて作者自身が引き受けることである(もちろん、低レベル無意味批評無視すればよい)。

フェミニズム的な批判を、何か特殊批判だと考えない方が良いだろう。基本的に、それは批評である

フェミニズム批評もまた一つの評価軸であり、その軸上における評価もまた、作者自身が引き受けなければならない。

そして表現者責任とは、「評価」を引き受けることがすべてだ。

(もちろん、プライバシー侵害など個別具体的な人権侵害等は例外だが)

酷評に耐えかねて、自ら作品を非公開にすることは、確かに一つの選択肢ではある。

しかし、それが強要されるのは決して望ましいことではない。

仮に「ある作品性差別的な効果を発揮する」としても、その効果を止める方法は「表現を取り下げること」だけではないだろう。

「その作品性差別的な効果を発揮している」と論理的に指摘できれば、それだけで性差別効果を止めるには充分である

「この作品における○○○○な描写は、性差別意味を持っている」と評すれば、充分に、現実世界で○○○○することが悪いと告発する効果を発揮できるから

(○○○○には任意性差別描写を当てはめてください)

そしてそれこそが、フェミニズム批評仕事の一つであろう。

批判的言説を生産することによって、ある表現が発揮しうる性差別効果を止めること。これは充分に可能である

批判的言説では飽き足らず、表現自体の取り下げ等を要求することは、(性差別解消につながるかも疑問だが)性差別以外の領域において不合理を引き起こす

(この点については、また別の機会に述べようと思う)。

そして、(あえて厳しい言い方をするが)表現の取り下げを要求することは、批評の力を、言論の力を、見くびる所業でもある。

ある表現へのフェミニズム批評は大いに結構だ。

だけど忘れてはいけない。

フェミニズム解釈妥当性を持つのは、作品外の社会的文脈があるからだと。

変えなければいけないのは表現ではなく社会だと。

そして、これも再度強調しておかなければならない。

「(現在社会的状況において)性差別(と位置づけられるような)表現を好むこと」と「性差別批判すること」は両立する。

どころか、前者を好むからこそ、現実での差別批判するとも言えるのではないか

妥当フェミニズム批評であれば、それは素直に認めればいい。

しかし、そのことだけを理由表現の取り下げや禁止要求することは不当である

同様に、そのことだけを理由に「フェミニスト表現の取り下げや禁止要求している」と早とちりすることもまた不当である

最後に補足を二点

もちろん私は、「マンガアニメという表現様式一般性差別である」などという乱雑な主張には与しない。

たとえば大城房美が指摘するように、「日本少女マンガは、女性が周縁化されてきた20世紀後半のアメリカコミックスの状況を変える一因となった」という側面を見落としてはならない

大城房美編著『女性マンガ研究 欧米日本アジアをつなぐMANGA』青弓社 2015 p.25)。

日本においては、マンガによって女性表現する場所が確保されてきたのである

そして少女マンガ女性表現の源流であると同時に、いわゆる男性オタク向け表現の源流の一つでもある。

以上の指摘を受けて、なお「男性向けオタク表現については性差別である」と強弁する方がいれば、

たとえば佐倉智美先生によるこちらの記事などをご覧いただけると、その主張が極めて一面的で乱雑であることが理解いただけるかと思う。

http://stream-tomorine3908.blog.so-net.ne.jp/2016-04-09_GP-LoLv-5(「ラブライブガルパンフェミニズム評価すべき5つの理由 [メディア家族教育等とジェンダー]」)

2016-07-22

宇都宮を裏切った共産党ってゴミだな

社会党の功績の足元にも及ばないゴミ

社会党は連立でハンセン病患者アイヌ民族への差別法を次々撤廃した

共産党社会党の代わりにはなれなかったか

こいつらのやりたいことは「全千島日本のものだ!」「捕鯨伝統を守れ!」とかネトウヨ臭いから無理

しか共産党民青や専従をコキ使うわ 政党障害者雇用ワーストだわ でクズ

社民党生活の党と違って歴代党首が全て男なのもマチズモホモソーシャルファロセントリスト丸出し

2016-07-20

日本共産党って言われるほど左翼か?

千島領土を主張したり捕鯨伝統を守れとか言ってる

社民党生活と違って戦前から歴代党首は全て男性で固めてるので割とマチズモ

2016-07-04

ノーセックス・イン・ザ・シティに見る男性ポリコレ流行

いやぁ、あの増田記事爆発的にHITしましたね。

http://anond.hatelabo.jp/20160702203952


実はこの増田記事数年前にも別口で上がってたりするんですけどね。

まぁ、それは置いておきます

本題は別です。


如何にあの女性偏見に満ち満ちていて、日本人男性無意識の内に差別しているのか?

白人優位主義的な視点から日本社会を見たとき下劣さ、性に対する無自覚傲慢さがこれでもかと炸裂したとんでもない記事でした。

逆にはてな民の一部にはあの女性賛同したりして取り上げてる人もいましたね。


話を変えますが全体を俯瞰してみたときにこれはちょっと面白い現象だなぁと思います

こういった性に対するポリティカルコレクトネス考える人というのは従来のステレオタイプで捉えるのであればいわゆるフェミニズムの人でした。

ところが今回のコメント欄を見るとわかりますがはっきり言うとポリコレ発言をしているのは男性です。

あの女性が如何に偏見だらけなのか、まなざしに対する揶揄性別反転、人種問題

あらゆる角度から件の女性いかレイシストなのかを分析しています

これって従来はフェミニストマチズモ男性に対して行っていた手法ですよね。

ところがどうも最近はてなではその手法男性から女性側に当てはめるという事例ちょこちょこと出てくるようになってきている気がします。

まり、「フェミニストがそういう手法が良いといってるんだし、俺達もやってみようか」というところでしょうか。

その結果、はてな界隈フェミニストの中で差別的発言偏見に満ちた発言をする人は容赦なくぼこぼこにされ始める現象が起きていると・・・

これは、なかなか面白い現象ですね。

将来的にどの方向に向かうかはまだわかりませんが注目していこうかなと思います

2016-06-08

恋愛文化って体育会系やらマチズモやらと親和性高くね

昨今の恋愛エントリを読むとそう思ってしまうんだよなぁ。

体力的と言うよりは、コミュニケーション的な意味でのマチズモ

ちょっと前にあった組体操問題みたいな体育会系思想を忌み嫌う人ですら、

こと恋愛話題となるとマチズモ的なことを言い出しやがります

恋愛できない人間は未成熟」「成功者の言うことはつべこべ言わず黙って聞け」だの「とにかく行動しまくれ」だの…

恋愛」というパッケージで包めばその発言マチズモ性が問われることは一切ない、と言うか。

まあ、元々差別発言しまくり系政治的正しさとか糞w系の人らは、本論はドブに捨てて頂いて構わんのですがね~~~

ですが、ポリコレモットーとしてるような方々、普段マチズモ的なもの批判している方々は

恋愛」のマチズモ性が見過ごされること、そこから社会マチズモ性が肯定されていることに、

向き合った方がいいんでねえですかと思うのは、私だけなんでしょうかねえ~~~?

2016-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20160220112047

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160220112047

別に元増田を完全擁護する気は無いし、そも元増田自体が「政治的に正しくない」こと言ってるのは分かるけどさあ

結局こういう話になると「恋愛できない人間は欠陥がある」みたいなマウンティング発言ワラワラ沸いてきてすげえなんだかなあと思う

普段体育会系なのを嫌ってる人でも、こと「恋愛」となると体育会系マチズモを振りかざすよなあ

やっぱ童貞非モテと言った恋愛弱者は「政治的正しさから守られることはないのかなあ…

2015-10-24

まあ結局恋愛ってマチズモだよな

コミュニケーション的なマチズモ体育会系しばきあげ主義

ひたすら努力努力努力。諦めようとすると「ちゃんとやること全部やったのか」とかアリバイとして無限努力要求してくる

あるいは「人間的未成熟から来るマウンティングをかましてくる

まあ「そーだよマチズモだよだから何だよ恋愛もロクにできないヤツがwww」と開き直って言われればぐうの音も出ないが

政治的正しさ」とかを信仰してるような人が「恋愛」を盾にしてそういうマチズモ肯定していることに無自覚でいいのか?と思うんだけど

2015-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20150902073138

当たりが厳しいってことは、その娘には将来性がある、ということで期待の裏返しなんだよ

何の期待もしてない奴には厳しく叱ったりしないよ

…というビジネス書でよくあるマチズモ思想により解釈ではダメでしょーか?

2015-06-22

6月21日京都デモに思うこと。

昨日、とある映画を見に街中へと出掛けた際デモに遭遇した。

恐らくいつも通り円山公園から出発して四条を通り河原町を上がっていくのだろう。

ゴールは三条大橋下かあるいは市役所前広場辺りか。子供の頃から見慣れた光景だ。

彼らの主張する内容もまた聞き慣れたもので、戦争反対安倍辞めろ、その他諸々、駅前毎日共産党が叫んでいることと大して変わらない。

変わることと言えばやたらポップな雰囲気を醸し出していることといつにも増して大人数であることくらいで、四条河原町を封鎖して市民の足であるバスの往来が出来なくなるのも、外国人観光客が興味深げに写真を撮るのも普段と同じである

その点だけ抜き出せば祇園祭とそう変わりはなく、この形態があと1100年ぐらい続けば時の京都市伝統無形文化遺産として指定するかもしれない。

それはそうとして。

実際、彼らが主張すること自体に対しては何の不満もない。

そもそも言論の自由は何人にも保証されており、彼らの口を封じようとする勢力とは断固として戦わねばならない。

僕個人としても立憲主義プロセス無視しようとする現政権に対する不信感は非常に強いし、安倍晋三という政治屋ボンボン三代目がまともな政治家であるとも思わない。

しかし。

しかし、である

果たしてこの現代版踊り念仏政治指向を持たない人々の心に響くかどうかは怪しいと言わざるを得ない。

理由は簡単だ。

迷惑」と「聞き飽きた」。

京都市民の足はバス(と自転車)である

ただでさえ混雑していた四条行政の手で更に渋滞するよう作り替えられたのは記憶に新しいが、それに加えてデモによる道路封鎖が起こると四条だけでなく烏丸川端、果ては堀川辺りまで波及する。

この事を「迷惑」と感じる京都人は実際多い。

『主張しはんのは勝手やけどせっかくの休みやのに他人負担掛けてまでやらんといて』と。

その時点で彼らの耳に主張は届かなくなるのだ。

これが良いことであるとは僕には到底思えない。

重要なのは政権批判のものではなく、政権批判を行う仲間をいかに増やすか、であるはずだ。

左派には民主主義国民主権叫びながら国民主権があることを忘れて政権のものと戦おうとする人が多く、その点ではいわゆるネトウヨの方がむしろ主権者たる国民に向けて語っているのではないかとさえ思う。

『○○人はこんな悪事を働いてる!』というのは政権ではなく民衆に向けられた言葉だ。

この違いこそ日本リベラルと呼ばれる勢力が弱い理由だと僕は考える。

だがこれはやり方次第で解決できる問題であるとも言える。

より深刻なのは「聞き飽きた」ということだ。

ご存じの通り京都共産党が強固な地盤を持っている。

彼らは先述のようによく政権批判演説を行っているがこれがむしろデモの主張を陳腐化させているように思える。

またこの手の奴か、と。

普段から聞き慣れた言説に『多くの人が集まっているから』という理由だけで耳を貸す人間がどれだけいるだろうか。

これが大人しい田舎なら話は別だ。

ただ大規模なデモを行えばそれだけである程度衆目を集められるだろう。

しかしここは京都である。1200年の都である

そんなピュア人間殆ど存在しない。

その解決策は僕にも分からないが、飽きられているのは確かだと思う。

こんな風に書くと「典型的スノッブ京都人」扱いされるのかもしれないが、今回敢えて書かせていただいた。

重ねて言うが、僕は彼らの主張にもその内容にも文句はない。

と言うより京都は一種のアジールでなければいけないし、地方サムライマチズモに由来し明治以来続く国内外に対する植民地主義に対抗する存在でなければならない、と強く思っているので、こういった主張はどんどんしてほしい。

それこそが日本の都としての使命であり矜持であってほしい。

しかし、主張する人間が自ら居場所を減らしているのではないか? と感じるのである

報道によるとこのデモ若者主催したもので、この日は2000人を超える人が集ったと言う。

彼らの心意気に敬意を表すると共に、彼らの心意気が無駄にならないことを祈る。


あぁそうそう、コラボセットは真姫ちゃんでした。やったぜ。

2015-06-20

マチズモという言葉

なんだろうな。

耳に入り出したのは最近から新語の類いだろうか。

どうしても頭の中で『町相撲』に返還されてしまう。

男性優位主義と説明されると、はあはあなるほど、相撲が強い方が偉いのね。バチバチの世界だね。

とか思ってしまう。

相撲が強いことは世界共通で古来から男らしさの証だろうし、そこに価値観を見いだすのはなるほど、男の社会の一面だ、まで考えて違うと思うんだけど、実際の意味を考えてみてもそこまで乖離していないのでややこしい。

2015-06-15

結局「精一杯努力したけどダメだった、それで初めて非モテ名乗れ」とか、

アリバイ要求してくること自体が、うんざりなわけだが…

恋愛強者の人らってマチズモのしばきあげ主義だなぁ、というか

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