2013-12-27

あるいじめ加害者記憶

15年以上前中学1年生と2年生のころにいじめをしていた。

1年生の時にやったのは珍しい名字を持ったNというクラスメイトターゲットにして、その苗字をいじってバカにするというものだ。はじめは自分1人でやっていたが、ムキになるNの反応がおもしろいこともあって、しだいに他の生徒も乗ってきてエスカレートしていった。ある時など「なぜこんなことをするのか」と自分に問うてきたNに「俺はNに強くなってほしいからやってるんだ」というトチ狂った返答をしたこともある。耐えかねたNが早退するようなときもあったが、いじめは長続きしなかった。新任だがやけに迫力のある担任先生加害者を集めて一喝たからだ(Nに謝罪したかどうかは記憶にない)。担任が止めなければ物理的な暴力などに発展して取り返しのつかない事態を招いていたかもしれない。なので担任には感謝しているし、一度の説教いじめを止めるぐらいには自分や他の加害者の心のなかに良心カケラが残っていたのかなと思う。幸い2年時、3年時のNは穏やかな学校生活を送れていたようだ。

次の2年生のときにもやった。対象はKというクラスメイト。家が貧乏なKは風呂にも入れなかったらしく常に特有の体臭がしており、そんなKをクラスメイト無視したり、陰で臭いと罵った。自分は首謀者ではなかったがフレンドリーに話しかけてきてくれたKを無視したことがあるので、五十歩百歩だろう。このいじめには担任の介入はなく、止まずエスカレートせずという状態で終わった。自分は謝っていない。Kもよく耐えたものだ。3年時のKは事情のある子が集まるクラスに入ったおかげか、傍から見たぶんには楽しそうにやっていたと記憶している。

そんなわけで、中1〜2年時の自分はどうしようもないクソ野郎だった。Nに対してもKに対しても本当に申し訳ないと思っているが、許してもらえるとも思っていない。そもそも上記のように謝っていなかったり記憶すら定かでなかったりする体たらくだ。いま目の前で謝れば許してくれることもあるかもしれない。だけど苦しんでいた当時の彼らに許してもらわなければ意味がないと思うのだ。なので、今もずっと彼らへの申し訳なさと自分の情けなさが入り混じった贖罪意識を引きずっていて、いじめニュースいじめを取り扱った創作物を目にすると暗い気持ちに囚われることがよくある(『3月のライオン』を読んだ時は自分が責められているようで、本当に情けなかった)。

ここに書いたのは懺悔のつもりではなく、自分も苦しんでるんですよと言いたいわけでもなく、今後も申し訳なさと情けなさを引きずって生きていくのだ、それだけのことをしてしまったのだという確認。ここまで読んでいただきありがとうございました。

  • 家が貧乏なKは風呂にも入れなかったらしく常に特有の体臭がしてお 15年前で風呂にも入れないって。。。話作るならもうちょっと考えろよ? んでどうしたぁ?いじめられてたのを...

  • いじめなんてどう考えてもいじめられる側にも問題があるケースもある これがいわゆるネット民の大好きな「正論」なんだけど、 これを宣言すると靖国参拝批判した時並に叩かれるよ...

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