僕も「これだからゆとりは...」と何度も言われた事はあったが、思い出にあるのは40代のとある男性。かの日の僕は20才で、まだお子様気分が抜けていなかったし、目の前でゆとりについてなじる40代のとある男性に対し、言い返す気持ちで言いました。
「ゆとり教育を決めようとしている時に何してたんですか。ゆとり教育を決めた政治家を決めたのはあなた達なんじゃないんですか」と言いました。少し強く言ったと思う。
するとその人は
「そうやって逆切れするところも、人の性にすることもゆとりの悪い癖だよな。これだからゆとりは…」
ゆとりとバカにされても、それくらい我慢して黙って従えっていう事だと。俺らが全部悪いのか。俺らは延々と我慢しきゃならんのかと、心中で激怒しつつもこんな偏見を持った人とこれ以上話しても、すっきりはしないと思ったのでその場を離れました。
それ以来僕は、「ゆとり」だとか「若いもんは」みたいな発言をする人には嫌悪感抱いた。恨みに近い気持ちがありました。「どうして少しでも失敗や欠陥があると、世代を理由に馬鹿にされなきゃならんのだ。俺らの何が悪いのだ。俺らは俺らで一生懸命勉強してきたのに」というような考えに支配されていた時期も有りました。
ここから本題。今の考え方になったキッカケははこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=WijWrispbrM
私達に教育をしてきた人・上司たちはバブル崩壊など色々な困難・失敗を乗り越えた人々です。今までの日常や経済が当たり前ではない事を目の当たりにした人も数多くいるだろう。大きなチャレンジをして挫折した人もいるはず。
そのような人たちの次世代である私達には大きな失敗しないようにとコツコツやる事を教えてきたのかもしれない。確かに私達はコツコツやっていく事になれてしまい,リスクが高くてもチャレンジしたりする機会も少ないかもしれない。失敗や辛い事を上手く避けてしまえるような楽な世代・教育だったかもしれないし、辛い思いをしなくても育つ事が出来たから根性もないのかもしれない。コレはすべて推測にすぎませんが。
要はゆとりの俺が言いたい事は
どんなに私がここで、ゆとりのなかにも優秀な人は居るとか、世代の背景を言い訳を言ってみても、私達がゆとり世代なのは変わらないし、ゆとりに対する批判が無くなるわけじゃない。
私達が本当に気にするべきは「成熟した大人になっているか」という今であって、自分達が「ゆとりである」という過去じゃない。
引用した動画の話にもあるように、どんな世代でも若い人たちは大人たちから怒られるんです。表現や名前が違うだけでどの世代も、正当な理由であれ、単なる若い人に対する嫉妬であれ叩かれていくんです。
若者ができる事は文句の言われないような成熟した人間にならざる得ない。ゆとり世代だからどうこうという話は本当に関係の無い話で、「最近の若い人は」とか「これだからゆとりは」なんていう言葉は無視してしまえと考えている。ゆとりは彼らが怒こる理由にも、我々が出来ない理由にもならないのだから。
我々が今、やり残した事があれば、今度は後悔と嫉妬から私達が「今の若い奴らは」と言うようになる。
「あなたには無理」そういってやめさせようとする人が多すぎます。あなたがしなくてはいけないのは、彼らに向き直って「自分がやるのを見てなさい」ということです。 –レーン・ビーチレー
20歳のあの時の俺へ送る。
俺もゆとり世代だけど 周りがゆとりなら出し抜きやすくてむしろ都合がいいと思ったね。 「ゆとりの中にも君みたいのがいるのは頼もしい」は褒め言葉と受け取った
そういうときは、ゆとり世代の範囲の広さを逆手にとって、 自分よりちょい上の世代と比較させる→実はその世代もゆとりなんですよ というコンボを使うなあ。 いずれにせよ、実際...
下記エントリーを見て、本旨とは関係ないような気もしますが、メモ代わりに。 ゆとりがゆとりについて本当に思うこと http://anond.hatelabo.jp/20130619144750 若者ができる事は文句の言われ...