英語がもっと上手くなりたい。プログラミングを上達させたい。ダイエットして痩せたい。
誰でも思っている。しかし、なかなか上手く行かない。
それは何故か?
簡単だ。対価を払っていないからだ。
対価とはお金のことではない。
対価=犠牲にすべきモノだ。
多くの人は現状を維持したまま、「もっとXXしたい」「もっとXXになりたい」と言う。
今の状態を何も変えずに、上積み形で何かを成し遂げたいと思う。
そんなことはできっこない。
人間の許容量など決まっている。
一時的に負荷を掛ければ許容量以上のことはできるが、そんな無理は長続きしない。
現在の状態が、自分にできる最大の許容量なのだということをまず認識すべき。
誰だって、より良い状態を求め、そうなるように日々努力している。
その限界を超えて、上積みすることなどできない。
では、どうすれば良いか。
削るのだ。
容量が変えられないのであれば、今ある中身を削るしかない。
その上で新しい中身を加えるしかない。
例えば、「英語をもっと上達させたい」と思っているなら、勉強時間を増やせば良い。
その場合、現状のまま単純に勉強時間を増やすだけでは、長続きしない。
今までやっていたことの何を削るのだ。
例えば、アニメを観る時間を削り、その分を英語の勉強時間に充てる。
大きいリターン(成果)を望むなら、それ見合う対価を支払う必要がある事だ。
アニメを1本観る時間を減らしただけでは、得られる成果はたかが知れている。
多くを望むなら、「アニメを完全に観ない」「アニメに費やしていたお金を英語の勉強に充てる」ぐらいのことをする必要がある。
支払った代償(犠牲)が大きければ大きいほど、得られる成果は大きくなる。
ダイエットしたい?
なら対価を払え。
それでは別のモノを差し出せ。
それも嫌だ?
傲慢だな。
なら、神にでも祈ってろ。
多分、来世で叶えてくれるだろう。
「何かに成りたい」「今の自分を変えたい」と本気で思うなら、対価を支払え。代償を差し出せ。
それがこの世の摂理だ。
何か、誰かに犠牲を要求されたら、受ける対価の等価性と遂行義務の有無の正当性を確認する