2012-11-29

いじめは娯楽である

いじめ問題というのは、自殺者などの悲惨犠牲者を出しては盛り上がって、しばらくすると何事も無かったかのように消えてしまう。

解決のための取り組みを何十年もやっているはずなのに、なかなかいじめ問題は解決しておらず、解決のためには今までとは違った観点を持つべなのだろう。

自分経験から言うと、まずは「いじめは娯楽である」という認識を持つべき。いじめをしている人で罪悪感を持ってやっている人なんていない。みんな楽しいからやるんだよ。その認識が無ければ、いつまでも事後対処に終始するのだろう。

20年以上前だけど、自分のいた中学はいわゆる不良校で消火栓がいたずらされたり、武器持って集まったら「凶器準備集合罪」とかで補導されたりしたような所だった。ただ、自分の学年には気さくな先生が複数いて、不良の一人は「先生相談から連絡あった?」とか話していたくらい。要するに不良が先生に懐いているおかげで、荒れてはいものの、自殺などの大きな問題まで起きず、不良化は徐々に収まりつつあった。いわゆるいじめ的なものが無かったとは言わないけどね。

なので、「いじめをするよりも居心地のいい環境を作れば、自然と収まる」というのが持論。この解決策の問題点は、先生個人の性格能力依存しすぎる所。全員が、みんな気さくで素晴らしい先生になれる訳じゃない。なので、かなり難しいのだけど、いじめ問題を本気で解決したいと考える人は、注意、指導するだけじゃなくて、生徒の居心地をもっと考えてほしい。これは「甘やかす」とは違って、なかなか難しいのだけど。

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