先日、年齢はまばらだが付き合い深い友人同士数人でこのような会話をした。
「あくまで仮の話だよ。もしも宝くじか何かで3億円当てたりでもしたら、
この友人らの誰かにその事を話す?」
当然、それぞれの返答は違った。
1人は「絶対に言わない。身内にすら言わない」
ある2人は「家族には言うが友人には恐らく隠す」
他の1人は「酔った勢いで、たぶん君らにも言うかもな~」
もう1人は「どうせ降って湧いた金だからみんなを誘ってパーティをしたり奢りで旅行に誘う」
といった、ある程度予想できてた答えが返ってきた。
ちなみに私自身は最後の友人と同じ思考で、友人同士ととことん遊ぶために使用する。
(もちろん自分自身が欲しかった物を買い漁ったり、夢のために投資したりもする)
そんな中、今年高校を卒業したばかりの18歳の男の子の意見だけは、他と違った。
(この子は友人同士の中では一番低年齢)
『みんなに言うどころか、そんな大金いらないので誰かにあげる』
度肝を抜かれた。
理由を探ると、『大金あってもしょうがないし、その金額分までの欲しい物はない。
欲しい物はあるけど、どうせ余計な金が余るのでいらない』と。
この子について深く説明すると、
彼はとりわけ裕福な家庭に育ったというわけではなく、
家庭も複雑な環境で育ったそうだ。
更に若くありながら、幾つもアルバイトをこなし、
よく、「全く無趣味なので使い道がない」という話は聞くが、
彼はその真逆で、インドア・アウトドア問わずに非常に多趣味であり、かつ欲しい物もたくさんあるようだ。
欲しい物を買うために学生の身でありながらアルバイトを欠かさないのだと。
「多趣味だし欲しい物もたくさんあるんだよね?新しい物好きな性格もあってよくあれが欲しいこれが欲しいと言ってるし。
3億円当たったらだなんてそもそも夢話だけど、それでも3億円当たったら嬉しい気持ちも使い道もないの?」
と指摘してみたが、このように返答された。
『欲しいものはいずれ自分で買うし、欲しい物自体が自分で稼いで買える範囲のものだけだ』と。
追い打ちをかけるように、このような意地悪な質問もしてみた。
「今はまだ若いから欲しい物も高価なものじゃないけれど、多趣味な性格だから大きくなったら
すると間髪あけずにこう切り返された。
『そんな高価なものでも自分で稼いで買う。むしろそれくらい稼げるような人間になる』
度肝を抜かれただけでなく、価値観の違いというか、大きさに心を打たれた瞬間であった。
恐らく、こういう考えの子が将来資産家になれるのかもしれないな・・・と。
・無趣味ではなく、多趣味で欲しい物もやりたい事もたくさんある彼なのに、
そこに驚いたのである。
これは、「立派」というべきなのか、
それとも「まだまだ若いからお金のありがたみや大切さを知らないのか」
いずれにせよ、実際に大金を稼ぐくらいの大物になるか、
または将来泥水をすするくらいお金に苦労して、「当時の考え方は若かったんだ」と苦笑いするかのどちらかになるかとは思うが、
私が知りたいのは、彼のような考え方の人間には初めて出会ったので、
なぜそのような価値観を持つのだろう?と好奇心が湧いたのである。
否定しているわけじゃなく、
あぶく銭の活用のしかたを間違えて、身を持ち崩した例を知ってるとか。 使い道の決まってない大金を持ってると、出資しないかとか、いろんなこと言ってくる奴がいそう。
なんとなく思いついた聞こえのいいことを言ってみた。 程度のことだと思う。
ほしいものってほしいって思ってるときが一番楽しいって考え方もある。 ほしいほしいほしい!ってずっと思ってて一生懸命働いてお金ためて買う、このプロセスで結果にいたった達成...
うん「いつまでも考えが変わらない人間=>学習能力が低い人間」といえるケースもあるだろう。
いや、なんやろ。普通に平凡に生きて、平凡に死ぬだろ。 そうやつだって、いっぱいいるよ。 いずれにせよ、実際に大金を稼ぐくらいの大物になるか、 または将来泥水をすするくら...
とどのつまり 糸井さんの「ほしいものがほしいわ」っていうコピーだな。
のちの「饅頭こわい」である