2011-09-05

思えば、数年前に遺書を書いて、死ぬつもりだった。

でも、やり残したことに気付いて、1回死んだことにして、まだ生きている。

他の人からみたら、紆余曲折というより、人生終了メシウマ人生で、

あざ笑われたり、哀れみの目を向けられることも多いが、メシウマしたい人間はそうすればいいと。

というより、人間の真の優しさに気付いたというべきか。人の不幸に接したときに、人間は本性をあらわにする。

リトマス紙のように、醜い本性の人間が分かるため、そういった人とはなるべき距離をおいている。

むろん、休日は一人だし、リアルにもネットにも相談できる友人などいない。

仕事電話を掛けることはあるが、プライベートでは、数年、電話メールもない。

恋人の類いは、生まれてこのかたできず、ぼろぞうきんのように観衆の中で振られ笑い者にされていらい、人を好きになれない。

むろん、携帯目覚まし時計である

いつ、クビになるかも分からないし、壊れるかもしれないが、自分最期は見届けたい。

言語能力を失わぬよう、アニメを見るが、最近幸せすぎる登場人物と自分比較して無性に胸の痛みを感じる。

とまあ、自虐的な自己紹介をした増田最近、どうやら人を好きになってしまったことに気付いた。

近所に行きつけのパン屋さんがあって、休日増田は朝食のパンを買いにゆく。

もう、5年ほどになるだろうか。

2年ほど前から、店番に女の子がいるようになった。

店の人が年をとったので、バイトでやとったのか、家族経営のようなので孫娘さんかもしれない。

その女の子は、最初は気に留めていなかったが、丁寧な接客でよく働く子だなと感心していた。

年の頃は、高校生くらいだろうか。

接客がマニュアル通りではなく、とても心がこもっていて、気だての良い子だった。

増田は、毎週、パンを買いにいくが、特にの子のことは意識していなかった。

ある週、増田がパンを買いに行くと、その子はいなかった。

気にもしていなかったが、次の週もその子がいなくて寂しいと感じた。

そして、次の週に会ったときには、ほっとしている自分に気付いた。

増田が変なそぶりをみせれば、その子にも店にも迷惑になるだろうから、客としてただパンを注文するだけだ。

の子から新年カレンダーを頂いたのも、営業とは分かっていてもとても嬉しかった。

今後、進展はないでしょうが、毎週、パンを買いにいくのが生き甲斐になっていることに気付いた。

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