はてなキーワード: 多様性とは
これは本当にそうで、別にゴリゴリ働く男と家庭を守る女の夫婦がいても良いわけで。
それを社会制度として固定するようなことをしないほうがいいよね、男性も女性も普通に働けるように法制度を整備しておこうね、くらいのスタンスが「多様性」なんだけどな。
この制度設計と多様性の認識の雑さが生んだものとして、現代における女のイージーさを保障する根底としての、キャリアライフと家庭ライフの2残機制がある。
「女は自立すべき」と主張している女は、家庭に入ってヌクヌクする権利を(使っていないだけで)留保している。この残機2の卑怯さよ。
だから受験では偏差値が有利だし就職では学歴と専攻が物を言うんだよ^^
正社員と非正規雇用でどっちが優れているかなんて考えるまでもないだろ?非正規雇用は勝つことから逃げた負け犬だよ
強みをしっかり活かしてもらおう
たとえば1950年代において、女性は家庭的であるべきとされた
つまり
現代人はAを支持できるか(Aを否定するのを我慢できるか?)で多様性に対するスタンスが変わると思う
まあ昔(1950年)は「主義Bなんてとんでもない」が主流だったので分かりやすかったんだけど
現代は多様性の時代とされてるからややこしいんだよね、偽物の多様性主義者がたくさんいる
ちゃんとした多様性主義者は、どの時代、どの場所、どの立場でも「AもBも認める」というべきだけど
偽物の多様性主義者は、ポジションや現代の価値観に引きづられる
この人たちのことを同調主義者(Conformity)と呼ぼう
同調主義者が多様性を支持しているのは、あくまで現代において多様性がメイン主義だからだ
でも偽物だからボロが出る
非常にめんどくさいのは、多様性をアピールしている企業や団体が、単なる同調主義者であることが多いことだ
よくよく見ていくとそれは多様性ではなく、メイン主義への同調と、メインがどれになるかの争いでしか無い
プロット案。
お前らなんも分かってねえんだな、俺が言いたいのはお前らが言いたいことじゃねえんだよ。
あと剣を短くしただとかクロスへア変えるだけだとかレシピ増やすだけだとか、小学生でも作れるみたいなMODでも数百万ダウンロードされてんのを俺は見たのさ。
そいつのトータルダウンロードは600万だったかな?そいつは2年間でそれだけのDLを得ていた。もし1000ダウンロードごとに1.7ドル、まぁ俺日本人だから日本円換算するけど1ダウンロードで0.266円だろ?そしたら150万円は稼いでんじゃねえかよ …年間で75万はちょっと少ないかもな。でも副業としちゃ十分過ぎる額だぜ。これが許されるんならCurseForgeは小さな物を置いておくには最高の場所だろ。違うか?
なのにお前らはなんだ、俺の質問に答えもせずやれ「MODは金のためじゃな~い」だとか「全然儲からな~い」って言うんだぜ?タイトルを読んでくれよ、なあ。俺の英語が下手なせいなのか?なあ。
まぁとりあえず分かったことがあるとすれば、この質問に答えてきた奴はみんなきれいごとが大好きってことだ。ふざけやがって。外人のそういうところが嫌いなんだよ。最近のめんどくさい問題…トランスジェンダーがどうとか多様性がどうとか人種がどうとか、そういった問題も全部外人が日本に持ち込んだものじゃねえか。ふざけやがって…。
「Rを消せ」は良いポイント。
日本人はアメリカ英語風にRを響かせるのが「良い発音」だと思い込んでるせいで、意味なくRみたいな音を入れるんだよな。
イギリス英語だと corner が |ˈkɔːnə| になるように、逆にRがあっても発音しないくらいなのに。
多様性の尊重って「結婚できなさそうな性格に難ある奴でも結婚できる社会」じゃなくて「結婚できなさそうな性格に難ある奴でも一人で生きていける社会」やからね
ここで元増田が性格に難ある奴に「性格治せ!」や「結婚しろ!」とかできないことを強制してきたら多様性を尊重していないことになる
多様性に理解あるなら、そういう方向性指向性になる社会の違いについての話になると思うんだが、嘲笑して終わらせてしまうしそれに同調してしまうってことはそれなりの人間同士ってことか。
多様性だ何だと言っても、マジョリティの日本人がアイヌ人をテーマにした漫画を書いた時点で、
どこかで文化盗用の文脈で批判を浴びていただろうし、まあ良いタイミングで終えることができたよね
あと3年引き伸ばしてたらもっとひどいことになってたよ
チー牛って、全員が均質というか、多様性が全く見られないのはなんなんだろうな。鉄道オタクでも、カードゲーマーでも、他の個体との違いが全く分からない。
全員同じヘアスタイルで、老けているとも幼いとも取れる覇気のない顔立ちで、妙に甲高い声を出して、短い足でちょこちょこ動く。本当に全員これなのよ。
弱者女性でも夜職の女性でも、女性は各個人、ちゃんと個性があるし、その人の生き方の流儀みたいなのを持っている気がする。チー牛の男たちには、それがない。
あらゆる自己表現から逃げ続けると、チー牛になってしまうんだろうな。自分と向き合うことを一切してこなかった人間の末路がチー牛なんだろう。
あんまり多く語られてないが、初期のゴールデンカムイは明らかに「山賊ダイアリー」とかのジビエブームの流れに乗っていた。
公式切り抜きがネットのミームになったり、そういうところから徐々に認知度が上がっていった作品だ。
今では評価が固まり過ぎて「多様性が」とか「歴史評価が」とか、批評的にお利口な語り口でばかりその魅力が語られるが、実際に初期から連載とその人気拡大を追っていると、ゴールデンカムイにはそれだけでない多様なフックと、それをタイミングよく引っ掛けるそれこそ漁師の神業がふんだんに見られた。
ゴールデンカムイの受容(需要)の変遷をまとめることによって、長期連載漫画が当たるためにどれだけ多くの仕掛とチャンスを要するのか、改めて考えてみたい。
2014年8月、連載始まる。 増田はこの頃はまだ読んでいない。
1話ははっきり言って、刺さる人には刺さるのかも知れないが、古臭い冒険ものの空気しか感じられない。
「露助」と差別語を使う戦争帰りの主人公。囚人を殺して皮を剥ぐ猟奇趣味。まだ頭身の高い美少女のアシリパ。
一部のネクラには受けても、一般には忌避される湿っぽいダークさが作品を包む。
キャラクターも、薄汚い囚人たちに、死をも恐れぬ兵隊、そのトップの怪人中尉と、マイナーさは否めない。
しかし、連載数話目から、この漫画にはちょっとだけ流行の要素が入ってくる。「ジビエ」である。
当時は「山賊ダイアリー(2011〜2016)などの猟師ものが密かにブームを迎えていた。
あるいは、同時期(2011〜2019)のメジャー作品として荒川弘の「銀の匙」など、「命をいただく」をテーマにした漫画も人気を博していた。
ゴールデンカムイはこの流れに乗って、「冒険をしながら猟師生活を見せる」というストーリー構成で注目を集めていくことになる。
ニコニコ静画のタイムスタンプによると、ゴールデンカムイの公式切り抜き漫画「アシ(リ)パごはん」第一回が掲載されたのは、2015年1月となっている。
初回は「リス」。可愛らしいリスの皮を剥き、ミンチにしていく様子がコミカルに描かれるシーンを作中から数ページ切り抜いて公開した公式の切り抜き漫画である。
これが、受けた。
チタタプ、オソマ、ルイベなど、アイヌ語の食べ物の名前が広く知られるようになり、アシリパがアザラシをしとめるシーンなど、コミカルなカットがネットミームにもなる。
しかしこの頃もまだ、一般受けする漫画とは言い難かっただろう。なにせ「山賊ダイアリー」のような、「命をいただく」テーマ自体が重すぎる、マイナーメジャーのものだ。キャラクターも男臭い変態だらけで「ホモソ受け」という感じは強く、牛山も女を武器にする卑劣漢だった。(このマンガがすごい! 2016 オトコ編 2位、マンガ大賞 2016 大賞)
増田自身、この頃作品を知り、アシリパごはんは面白く読んでいたが、金塊探しというメインストーリーにはまったく興味が持てず、長いこと本編は読まずじまいだった。
10巻頃まではこの漫画はこういった男向けの要素だけで進んでいく。変態的な囚人、覚悟を決めた簡単に死ぬ兵隊、「命を食らう」生活感。
しかし、ここにきて大確変要素が加わる。プリンス鯉登、心に闇を抱えた尾形などの、圧倒的に乙女受けなキャラクターやエピソードが増えたのだ。
彼らのシーンを見た瞬間に、増田は「あッ、これはジョジョみたいに腐女子アンテナにひっかかるゾ」と確信した。
今となっては当たりも当たり。SNSで「ゴールデンカムイ」を検索すれば9割女性向け同人イラストという現状への変動がこの瞬間に確定したのである。
そして本作はこの勢いを掴んだまままさに滝を遡る鯉のごとく大作へと変貌を遂げていく。
シリーズ前半のクライマックスとも言える網走監獄編を見事なテンションで描ききった本作は、アニメ化(2018)、手塚治虫文化賞 マンガ大賞(2018)、大英博物館の特別展においてキービジュアルを飾る(2019)など、大躍進を遂げる。
アニメシリーズは海外配信も好評で、海外にもファン層を広げる。
大英博物館の展示では、「女性を表している点。(中略)アイヌという少数民族の文化を描いている点」など「ダイバーシテイの理念を体現する作品になっている」を評価されキービジュアルに選ばれたとされる。
「多様性」や「文化歴史描写」に優れた名作という評価は、この段階で確立された。
網走監獄編で大きな波をひとつ越えたあと、人によっては中だるみと言われる樺太編に入る。
すでに確立された名声を揺るがすような劣化も見られないが、特に新しい要素が受けたわけでもないので話題は少なくなる。
このあたりで増えた要素と言えば谷垣を中心に多用される「ホモギャグ」である。
増田の受け止め方としては、「文化的な名作」扱いに対する作者の反発と言うか、何かヤケクソなものを感じる。
宇佐美の「◯◯探偵」に至っては常軌を逸しているというか、ここだけをもってして「文化的な作品」として他人に勧めることは出来ないだろうと思う。
しかしこれもある意味で時代は掴んでいるのかも知れない。一部のラディカルフェミニストを中心に、この過剰な下ネタが「セクハラのミラーリング」として全面肯定される現象も見られた。ほとんどの人には、ホモソーシャルの笑いの延長にしか見えないと思うが。
清濁合わせのみ毀誉褒貶を越え、本作は2022年に連載終了を迎える。
作品としては大団円だったものの「文化的」という名声を得すぎた故の重箱の隅をつつくような批判が最終回のいくつかの描写につけられた。
単行本化に際してそのうちのいくつかは修正され、うるさ方もそれで納得したのか、今では「文化的」で「多様性」を表現した、歴史に残るすばらしい名作という評価がほぼ揺るぎないものになったように思われる。
しかしその8年にも渡る連載期間を省みれば、このようにさまざまなフックと変化で客を掴み、興味を維持し続けてきた結果のことなのであって、ただ「綺麗な作品」(と思う人もまあいないとは思うが)を描いたから評価されたというような単純な話ではないのだということは覚えておきたい。
トラバもブコメもだけど、「自分の趣味にあった部分」だけが評価の対象じゃないと許せないって思考回路のやつ、キツいわ。
「血なまぐさい男受けだけじゃ同人受けや海外受けまで広がらなかったよね」ってことが書いてあるのわからん? 日本語わからん?
根本的にこの文章で書いてあることが何かということが理解できてないと思うので、自分が機能的非識字だと認識した方が良いよ。
クライマックス付近の無料公開で認知を広げたのは書いといても良かったなとは自分でも思った。
なんだか随分と遠くまできた気がする。
でも自分の年齢のおかげというよりは2000年頃から社会の潮目がだいぶ童貞よりに偏ってきてくれたおかげだと思う。
というか、童貞かどうかを確かめられるような発言をされたのが30ぐらいまでだったと思うから、本当にそれぐらいから色々と変わってきた。
やはり時代の流れなんだと思う。
童貞って恥ずかしいよねヤバイよね!結婚しないとかありえないよね!みたいな価値観がだいぶ静まっていった。
景気の良さが社会の多様性を上方向に押し上げ、そのあとで不景気が下方向にも押し広げた。
広がった中間ゾーンの中に「なまじ金持ってるせいで変な奴しかよってこない異性恐怖症」とか「金がなさ過ぎて子供作れないから結婚自体やめた人」とかが飲み込まれていった。
それらに比べれば「別に女が嫌いなわけじゃないけど、わざわざ恋愛するよりエロゲでシコってた方が手っ取り早いから童貞」という俺みたいなタイプは全然普通寄りでいられた(具体的に言えば「異常者ではあるがこっちまで巻き込まれそうではないタイプ」という扱いだろうな)。
恋愛至上主義や家族至上主義が社会から消えていき、女性の社会進出もあってか独身がドンドン増えていく、その枠の中では恋愛経験の有無なんてもうもうどうでも良くなっていったんだろう。
極めて狭い人間関係、それも性欲や保存本能に突き動かされたものに人生を依存させるという選択肢が当たり前なはずがないんだ。
孤独死するとき部屋が訳アリ物件になってしまうことについても、今後孤独死が増えれば時代が勝手に解決するだろう。
俺は逃げ切ったぞ。