はてなキーワード: 保守とは
蓮舫が都知事になったら外国人参政権を提案しそうで,ほんとうざいです.
日本人のお人好しには本当に「いいかげんにしろ」と思ってます.いいですか.日本人は日本の大家なんですよ.外国人は賃貸料(税金)を払ってアパートに住んでるだけ.でね,何十年,アパートに住んでも(賃貸料を払っても)大家にはなれないですよね.当たり前.
立憲の中になんでいるんだよレベルの保守である野田佳彦氏に近い立ち位置なんだよ、蓮舫さんって。
リベラルはナショナリズムを危険視して、それは保守的な考えから生まれるんだと批判するけど、そもそもナショナリズムが生まれたのは何故かっていう歴史的背景を見るとおかしな事になる
個人の自由や権利を求めて、封建制や絶対君主制に対する反発から国民国家という概念が生まれて、それによって個人はアイデンティティの行き場がなくなったから、国民という共通の仲間意識をし始めて、それが行き着いた先がナショナリズムなわけ
つまりさ、ナショナリズムというのはリベラルから生まれたわけで、封建制や絶対君主制のような保守的な考えから生まれたわけではないんだよな
そして、常日頃言われるのが、そもそも現代の保守を名乗ってる人たちの多くは昔の保守とは違い、古い価値観や伝統を守ることには全く無関心で(口では言うけど、実際に田舎に住んで伝統を守ってる人なんているのかね?)日本スゲーというナショナリズムでしかないわけ
となると、現代はリベラルとリベラルが争ってるだけというのが正しい見方だと思うんだよな
他にもおかしいのが、封建制や絶対君主制が独裁制と同一視されてるようにも見える
封建制や絶対君主制って、歴史的にみても、調整的なトップであって、絶対的な権力ではないんだよな
責任取らされるというか
まだまだ歴史に疎いんだけど、ルネサンス、産業革命、国民国家、植民地化、この辺の流れがめっちゃ怪しく感じる
人間が神とか宗教に対する認識を改めだして、人間中心主義みたいなのとか、科学を信奉し出して、傲慢になったというか
Chat gptにその辺、尋ねると
総じて言えば、ルネサンスは神の否定というよりも、既存の宗教的・文化的な枠組みを再評価し、人間の理性や個人の価値を強調する動きでした。神や宗教が完全に否定されたわけではなく、新しい視点や解釈が生まれた時期と言えます。
なんて言ってるけど、再評価ってのはなんか違うくないか?明らか、別物になってる気がするんだよな
まあ、こうなる前に十字軍の敗北による宗教的な権威の失墜とか、聖書には出てこない南北アメリカ大陸の発見とか、そういうのがあって、既存の価値観との整合性が取れない疑問が出てきたんだろうけどさ、インディアンに対して人を人と思わない行いをしたのは聖書に書かれてないから、だから古い価値観がダメなんだみたいな事なんだろうけど、それ、責任転嫁だよな
それで結局、近代化できない国を近代化してやるんだみたいな傲慢な考えから植民地化していくわけだが、何を反省したんだ?これってなるわけで
資本主義やリベラル的なものの表面の綺麗事と、奥底にある人間のドス黒い何かの乖離が凄すぎるんだよなあ
でも、過去の責任を全く取らない、反省しない、敵を外に作る、これらの当事者意識ができてないというか何というか
歪だよね
「女が進学したから少子化が進んだ。女性の進学を禁止すれば少子化は改善する」という意見がミソジニストや保守からでるが
「女性の高学歴化は少子化には一切寄与してないどころかむしろ少子化の改善に寄与している」と証明されているんだわ
「中等教育が一般的になれば少子化になる」ってデータは別に提示されている
「男性が高学歴化、すなわち、中等教育(中学校以上の教育)を受けるようになったから少子化が進んだ」ってことなんだよね
実際戦後日本でも男性に中卒や高卒以上の学歴が増えるにつれて少子化が進んでいることはデータでも示されている
つまり女性は大卒や大学院卒以上の高学歴にして、社会の指導的な地位につけて、男性は進学を禁止して小学校を卒業したら土木作業員や農業、派遣等単純な肉体労働に従事させた方が少子化は改善するんだよね
少子化対策として
この逆(女性の進学を規制して家庭に入れて少子化を改善する)が主張されている
いったいなぜなんだ?
バラモン左翼に加えて、新たに贅沢品としての信念として左翼批判が出てきたけど
決して左翼ってそれらの批判を受け入れることなく、けど右翼よりマシだよねって話にすり替えちゃうんよな
共産党は時給1500円って言ってる一方で、自民党も実は段階的に上げて1500円を目指すって同じこと言ってるんよ
これだけの違いでしかないんだけど、左翼の人は自民党は弱者を救わない、共産党が弱者の味方って言っちゃう
そもそも、弱者はただ時給が今すぐ1500円になれば救われるなんて思ってない
左右とかリベラル保守とかでチーム分けして争うことに何の意味があるんだ?子供の運動会で赤白帽を被って陣取り合戦をしているようなもんだ。
まず、支持する政策の違いが結果的に集団の違いを生むのであって、もともと陣地が決まっているわけじゃない。
経済政策にしても、社会福祉にしても、環境問題にしても、それぞれの政策が持つ影響を理解し、それをもとに支持するかどうかを決めるのが本来の姿だろ?
ところが、世の中の大半の連中は「私はリベラルだから」「私は保守だから」と、自分の所属するグループに盲目的に従う。まるでロボットみたいだ。
自分たちの立場を守ることばかり考えて、相手の意見に耳を貸そうともしない。意見の違いを議論し合うのではなく、ただ相手を攻撃するためだけに時間を費やす。それで、一体何が得られるというんだ?
リベラルだろうが保守だろうが、そんなラベルを剥がしてしまえ。自分が信じる政策や意見について、客観的に考え、他人の意見も尊重する。たとえそれが自分とは全く逆の意見であっても、耳を傾け、理解しようとする姿勢が必要だ。
議論の目的は勝ち負けじゃない。より良い解決策を見つけるためのプロセスだ。相手の意見を聞いて、その中から自分が見落としていた視点を見つけることができるかもしれない。そうやって、より良い政策を模索することこそが、真の議論の意義だ。
先日、市民イベントや街中ポスターでガルクラ知った川崎民の話の続き。長くなったんで、その1
ブルーレイ付きってなってるやつを上から順に買ってしまったのでMVやアニメ見つつ「川崎とは」問題にふれてみたい。
いやびっくり。言われてみると1年前に出した1曲目は歌がだんだん聞こえなくなってて何を言ってるのかもわからなくなってるが、最近の歌はめっちゃ声量が出てるしパンチあるし、すごい。8話の迫力も凄いし、こんなゴリゴリっとした16歳を見たの坂本真綾以来じゃないか。オッサンのファンが一気に増えそう。
ガールズバンドクライ主題歌歌詞だが、固有名詞は一切出してないので「別に川崎を謳ったわけじゃないっすよ」と逃げる気まんまんという気はする。その腰砕けな態度の時点で劇中の仁菜ちゃんの体当たり性格とミスマッチではなかろうか。プロデューサーお前だぞお前。で、このガルクラを川崎とタイアップで作ってく企画については、音楽系の人たちの川崎いじりの流れを汲んでる気がする。
ちょっと前からフィクションで時々あったが、こっちの受け止め方としては「魔界都市新宿」とか馳星周の新宿とかと同じジャンルという受け止め方だった。新宿や渋谷がこすられ過ぎたんで川崎で新味を出してきたんだろうな、ぐらい。親戚のおばさんが町内を毎日掃除してゴミ出しの整理をしてるような町で陰鬱な国際犯罪が行われてたりするのはギャグですらあった。
ラッパーの人らが川崎をアイデンティティに押し出してったあたりで流れが変なほうに行ったなあ、という感じ。嘘はついてないけどフカシは相当してるよね、ぐらいの大げさアピールで、売り込むためなんだろうけど。最初は面白かったんだけど、ネタいじりが繰り返され、うざったくなってきた。
川崎が舞台でタイトルにクライがついてるので、たぶんガルクラと合わせて川崎クライシリーズとか言われるはず(言われない)。さておき上記のラッパーの人らの延長上みたいな川崎描写(原作デビルマンの最初のサバトシーンが川崎のそういう場所になってる)で、途中で行政区分川崎区の中でやたら悪魔が出現するというトンチキな描写が挿入される。周囲を山と海に囲まれた地方都市が舞台じゃねーんだぞ。まっ平で交通量も頻繁で交通手段も豊富な首都圏のど真ん中エリアで川崎区だけ悪魔が溢れてるってどういう描写だよ。湯浅政明の才能って実はイマイチではと疑った最初であった。
新宿、渋谷、池袋、上野といった都心部の繁華街のほうがよほどアレ。あるいは周囲の監視の目が光ってる閉塞した熊本よりはそりゃ川崎は住みやすいだろう。
一方で「関東周辺と比較した場合、社会人には住みやすいけど、子育てにはお勧めできない街」と思う。
熊本出身者が川崎の民度を下げてるなどと言われがちだが、川崎はそもそも上京してきた人たちの溜り場である。京浜工業地帯で働くために、あるいは都心に出勤するために、東北や甲信越、九州や沖縄、朝鮮半島やブラジル、ネパールやベトナムetc...から出てきた人たちが10年単位で住んでいる。ルパさんは南アジア系らしいが、20年前の話、京急駅前の立食そばで働いてたおばさんお姉さん曰くお父さんがグルカ兵だったそうだ。実家でも駅前で寝てたイラン難民を連れてきて住み込みで働いてもらっていた。
ヘイトスピーチビジネスの連中が川崎で活動してたが逮捕者を出すなどして現状では川崎での活動を縮小してる。最近になって埼玉で活動してるのはこっちを追い出された連中が居場所を探してあっちに食いついたのでは。
大田区蒲田と川崎区、多摩川河川敷の工業地帯の下町で条件は同じでも家賃が違う。羽田空港へのアクセスのせいもあるだろうが、似たような所得層の似たような街並みでも川崎のが安い。結果、都心で働く人、都心の学校に通う人が選びがちなのが川崎で、京浜工業地帯で働くために通勤で通ってくる人と人数的にも拮抗しており、両者はあんまり交わらない。東京の予備校に通う仁菜ちゃんに川崎市民意識があろうはずがないのだ。
これは異論あんまないかと。自称保守という名の全く保守する気がない利権屋集団がいまだ蛇蝎のごとく嫌う美濃部都政ってやつの遺産がデカいと思う。
川崎(川崎区、幸区など京浜工業地帯近辺)は伝統的に低所得層の町だったため進学率が低く、児童も、児童の親も、教師も、残念ながら外れを引く可能性がある。
具体例。80年代前半の川崎区内小学校、小6の頃だが、担任は児童をどなりつけ椅子を蹴り、男子児童は移動教室というとサボって校庭で遊びまわって、音楽の先生は毎週泣いていた。その騒いでる児童間でも権力闘争やってて先週までボス格だった子が学級会で子分格の子らから名指し批判され追い落とされたりと10年早い世紀末を演出していた。学級崩壊という言葉がメディアに出回るよりだいぶ早い時期の話である。昔の話だろと思うかもしれないが、それからおよそ十数年後に同じ学校の授業参観に参加させられる羽目になったところ、やはり教師は生徒をまともに見る気がなく野放しの児童がフリーダム。自分の時ほどではないが、たぶんあまり変わってない。
中学校事情は私立受験で都内に進学したので実情は知らないが、行くはずだった学区公立中で新任若手教師が生徒らに虐められ失踪、行方不明になったという新聞記事が地元欄に出たのが中3の頃。
自分もそうだが、結局のとこ横浜にも東京にも近く進学先を選びやすいので、そこそこの所得層は地元川崎での中高進学をあえて選ぶ必要がなく、余計にそうなりがちだったのかもしれない。
テレビや新聞しか見ないようなご老人を相手にする商売をやってるんだけど、自民への反感が非常に高まっているのを感じる。分かりやすく言えば「お灸をすえるくらいじゃ自民は学ばなかった。あいつらは徹底的にとっちめないといけない」みたいな流れになりつつある。
ジジババが中心の一次産業が強い、いわゆる保守王国と言われるような地域でもこれだし、今回は自民党は前回の政権交代どころじゃない惨敗を喫するかも知れない。
今の立憲はろくな政治的信条も政策も国家観も持たないので、その辺りは共産が主導権を握ると思うので、民主党政権どころじゃない社会混乱をもたらす気がしてならない。
蓮舫都知事が誕生して、都政が深刻な混乱に巻き込まれて、「やっぱりこいつらは駄目だ」ってならない限り、共産党が国政の主導権を握るのは避けられない。その意味で蓮舫には都知事選で圧勝して欲しい。
ほら?東京は多少都知事がやらかしても揺るがないじゃん?地方はさ?議員が無能だと死人が出るのよ。文字通りに。だから本当に切実なのよ。試しに任せてみようをやらせる余裕はないのよ、こっちは。
反ワクチンの集会が話題になってるけど、笑える話でもない気がする。
彼らが信じるか信じないかの話は、ただの政治思想や陰謀論と切り捨てることができない。反ワクチン的な発想は、左から右まで、リベラルから保守まで、どこにでも見られるから。それって、結局のところ、薄らとした政治不信、社会不信がベースになってるんじゃないか。
情報が十分に公開されない、もしくは理解できる形で公開されないってのが問題なのかもしれない。肝心なことは隠される。それが不信を招く。政府やメディアが何を言っても、「また何か隠してるんじゃないか」って疑心暗鬼になるのは当然だ。結局、誰が何を言っても信じられなくなる。
反ワクチン派の人々も、根本的には情報の透明性を求めているんじゃないか。もちろん、その結果として生じるデマや誤解は害悪だけど。信頼を取り戻すには、政府や専門家が情報をしっかり公開し、説明を尽くすことが不可欠だと思うよ。でも、現実にはそれが果たされてないから、こういう騒ぎも残っていく。
「説明が十分に果たされているか」ってのは、本当に大事なポイントだよ。それを怠ると、ただの不信感がどんどん膨らんで、社会全体が揺らぐ。もう少し透明性を持って対応しないと、この手の問題はどんどん増えるかもしれない。
自国の安全をアメリカに守ってもらおうってのがそもそもおかしくね?って思うけどね
アメリカだって、自国が一番なんだから、いざとなったらなるべく日本だけに戦争の負担負わせようとしてくると思うがね
何でそんなにアメリカ人を信じられるのか不思議で仕方ないのよな
あいつら結局、自分たちと違う人種を敵にしたいだけに思えるのよな
中国を敵視し始めてるのも、アラブ人を敵視する事が無理になってきたから、今度はアジアだってなってるように思えてしまう
台湾有事とかもさ、台湾の人だって中国と揉めたくないのが本音やろ?
それなのに、アメリカが出張ってきて、中国に強気な事言い出して、揉めて誰が得するわけ?って思ってしまう
沖縄知事の意見とかさ、何か保守の人は中国寄りだみたいな見方してるけどさ、沖縄の人は自分達がまた犠牲にさせられるって事を実感してるから、戦争にならないように、揉めないようにってなってるだけだと思うんだよな
政治の話をすると人の本性が見えるのだろうか。伯父と都知事選の候補者について話す機会があった。
元々右寄りの人間であるということは知っていたが、純粋に候補者についての見解を聞きたくて気軽に話を振った。
「百合子蓮舫石丸がトップ3みたいだけど、学歴詐称女と二重国籍女とフェミシンパ市長がトップ3じゃちょっとな、どう思いますかね」という聞き方をしたら「まず桜井、次に田母神」とバッサリ言ってきた。
自分も保守寄りの人間で、在日韓国人に利権があることはおかしいと思っているし、外国人参政権なんてもってのほかだ。碌にルールも作らず移民だ共生だという自民党のやり方はおかしいと思っている。
原発は再稼働するべきだし減税もすべきだし、閣議決定でLGBT増進法を通してしまうのだって絶対におかしい。
でも個人的に桜井誠はやりすぎだ。なにせ政治活動をして逮捕されたことのある人間だ。
「桜井誠は在特会の創設者で、ちょっと極端じゃなかろうか」と言ったその瞬間、伯父は豹変した。「なにが極端なんだ!言ってみろ!法律を守ろうと言ってるだけだ!」激昂して掴みかかってきた。
在特会のことは昔から知っていたが、暴力沙汰を起こして逮捕されたニュースを見て、「この人たちが目指すところとはちょっと違うな、関わるべきではないな」と思った。10年以上前のことだ。でもそんなことは、伯父に激昂された時にはとっくに忘れていた。
法律を守れって言いながら破ってるじゃないかって、忘れてなければ言い返してやりたかったな。
「覚えてません」って答えちゃって勝ち誇ったように「じゃあ極端とか言うな」って言われたの、正直悔しかった。
意見が違うからと手を出した時点で暴力革命を是とする伯父が大嫌いな共産党と同じやり口じゃないか?
「極端かもしれないと思ったからそれが正しいのかどうか話したいのであって、そもそもわたしは自分の視点を常に疑っている。でも桜井誠のやり方で票が集まるのか、この国をよりよく変えていけるのか疑問だと思ってる」って言ったら言い返してこなかった。
自分が正しいと思っていることが本当に正しいのか、どう思うのか、どうしていくべきなのか、どういう人間がリーダーにふさわしいのかという建設的な話がしたかったが、ムリだった。
父とはそういう話ができたから、その父の弟ともできると思ったが、間違っていた。
なんでも相談に乗るよ、というスタンスの叔父だったが正直失望した。人間として見習うところのある人だと思っていたが、軽蔑すらした。
自分の意見や考えていることが絶対に正しくて、そうでない人間には手を出してもいいと思っているのは絶対に間違っている。
例え公安に監視されている共産党だって、思想だけなら自由なのが日本だ。思想を暴力で押し付けることは、この国の在り方そのものを否定することに繋がりかねない。
自分も正しいし相手も正しい、という前提と信頼がないと建設的な会話はできないということを思い知った。身近にこんな人がいたとは正直まったく思わなかった。
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自由民主主義の国のトップに立つ者にはバランス感覚が必要だと思う。親戚同士でだってこんな望まない対立をしてしまうのに、1億人が集まったらみんな考えることなんてバラバラだ。
守るべきものを守り、変えるべきものを変える、民意をまとめるバランス感覚が優れていなければリーダーたりえないと思う(安倍首相は本当にバランスをとるのが上手だったと思う)。
それこそ日本第一党が主張する核武装論などバランスから逸脱してはいないだろうか。もちろん今にも戦争を起こしそうなお隣の野蛮の極み近平ランドを放置しておいていいはずがない。
だけどバランスをとるべきだ。日本人の多数が核武装を望むのであればすればいいが、今はそうじゃない。平和ボケしているだけかもしれないが、国民の多数が望んでいないことは国民に望まれないことで、主張しても支持されないことだ。
近平ランド以外の隣国に対してもそうだ。相手を必要以上に刺激してしまわないだろうか。たとえば隣国がNATOに加盟すると決めたら侵略した国は日本とも隣国だ。日本が核武装したら彼らはどうするのだろうか。それがきっかけで世界の構図が変わりかねなくはないだろうか。戦争の引き金になることや国際関係のバランスを考慮できているのか?
しかしだからといって「9条がある!自衛隊は不要!」などと主張して悪意のある国のされるがままになれば奪われるだけでこれもまたバランス感覚がない。
また、日本人になくて朝鮮人にある権利を否定することと、人種差別をしていいことも当然違う。むしろまったく別問題だ。人種差別をするような政治活動家は一歩間違えればヒトラーだ。
新大久保に集まって「ゴ○ブリ」などと汚い言葉を吐くのは良識のある人間として超えてはいけないラインだろう。
やっぱりわたしの視点からすると桜井誠や在特会は極端だ。バランスがとれているとは全く思わない。
相手がそうだから自分もそうしていいという考え方もあるだろうが、日本は法治国家だ。変えるべきことは暴力ではなく選挙で変えなければならない。
国がそうだということは当然だとして、これは家族という社会の中でもそうだろう。暴力には訴えず、話し合って、皆がよりよく生きていける日本にしないといけない。
日本人として、和を以て尊しとなせるように生きていきたい。そうしていくと誓った。
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今回のことがきっかけで「保守とは永遠の微調整」という言葉を知った。有本氏は「保守というのは極端なものを嫌うものだ」と言っていた。どちらの言葉も非常にしっくりきている。