はてなキーワード: 煙草とは
法律的な問題を除けば、アルコールは早いうちから馴らしていった方が失敗が少ないし、体も適応するようになる。上手な呑み方もできるようになる。一方で煙草は特に低年齢からの場合には身体により深刻なダメージを与えるし、吸った本数に応じて体を蝕む。酒と煙草は並び称されるし制限年齢も日本では同じだけど、全く違うものなんだよね。
車やバイクの運転に関しては、低年齢、特に20歳未満の事故率が高いことが統計的に明らかになっている。個々の理由はともかく、統計上そうなっているのだから、全面禁止にしておくのは合理的な措置と言える。
煙草はうちも厳しかった。校内で吸ってるの見つかったら余程話が分る先生でない限り停学決定だったし、外でもかなり注意はされる感じだった。あと何故か麻雀。「金を賭けずに麻雀なんてするわけがない」という限りなく酷い偏見を元にバシバシ取り締まられていた。いや、取り締まられれば取り締まられるほどしたくなるんですけどね。
まあ煙草よりも酷かったのが、バイク通学の発覚、ならびに免許の不正取得(うちは四年になるまで免許の取得不可だった)かなーなんで酒許してバイクだめなんだ、という話。少なくともこっちは法律的にはセーフなのに矛盾してるよなー見つかったら停学三日なんだ。煙草でも一日なのに。
まあ、解る。
俺の場合は内容や価値観の面で相容れないことより、ノリが相容れないことが苦痛だ。
ブ米でいえばこういうの。
体育会系やリア充様のノリには息切れして付いていけないけど、キモいはてなのノリは近づいて欲しくない。
でもこういったのが大好きな方がはてなには大量に犇めいているんだよな。
驚いたことがいくつかあるのだけど、その中のひとつが「二次会=スナックの方程式」。これ。懇親会しても歓迎会しても歓送会しても慰労会しても、二次会はスナック。世間ではどうなのか分らないけどうちの会社ではこれが絶対唯一の真理。始めて行ったときはドキドキしたものだったけど、最近はそうでもなくなった。いつの間にか水割り作り直されてるからイマイチ飲んだ量が把握し辛いよなーとか、こまめに灰皿取り替えてくれるおかげで煙草吸った量が見え難いなーとか、煙草の箱に手をかけた時点で火が出てくるから咥えて落ち着くこともできないなーとか、そんな贅沢な悩みを抱える始末。
ところでスナックに女がいくと、お店の女の子が必要以上に気を遣ってくれて雰囲気が微妙になる。同世代くらい(20??25)だと普通に盛り上がれるからいいんだけど、それよりもちょこっと上だったりすると、敬語で当たり障りのない会話を交わしながら隙を窺い合う、超デンジャラスな展開が確定。男の人相手に話す方が楽だろうし、申し訳ないなーなどと頭の片隅で思う。
この前行ったスナックでは、元ヤンだとかの女の子が、「うちらの時代はあんな地べたにケツ付けるような見っともない真似はせんかった。ほんま最近の子はだめですよー」などと言っていてちょっとうけた。
バイト先の子と話をしていた。歳は2・3しか違わないが、まだ未成年。喫煙所にいた私のところにとことこやってきてこんなことを言う。
相手「この前オーナーにですね、怒られたんですよ」私「へえ。なんて?」相手「煙草吸うなって」私「………え?」相手「君は未成年だから容認するわけにいかない。少なくともバイト先には持ってこないでくれ、って言うんです。でも今更だと思いませんか?ボク、そんなの生きてきて今まで言われたことない。別に吸ってもいいですよねー、面倒くさい」
…開いた口が塞がらなかった。いや本当に。その次には、オーナーに一理あるよそれは、って苦笑いした私に、えっなんでですか!?ときたもんさ。大人に隠れて酒飲んだり煙草吸ったりして悪ぶったりするのも
青春の1ページって感じで私的には悪くないと思う。でも隠れてやることに意味があるんじゃないのっ?!って思ってしまった。隠れてたら見逃すとかできるけど、隠さなかったら大人として注意せざるを得ないじゃないか!2・3個しか違うのに随分考えが違っちゃうんだなー…
ていうかコイツ頭悪いと真剣に思ってしまった。
うん。おれは「音がないとダメ」派かも。
正確に言うと「大きな音があると無条件で喜んじゃう」派。花火とかも大好き。
なので
には大賛成!
電車の走行音より、コンビニ有線より遥かに小さいのに、なんで注意とかすんの? 音が漏れたことであなたの人生に何か迷惑が? 逆に聞いてるほうは自分の好きなことを中断させられて、そのうえ見知らぬ人にいきなり悪意をぶつけられて、結構へこむんですけど。なぁ、それってただ「良識に従って注意してるおれかっこいー&日常のスリル!」ってだけ違うんかと。
みたいな。
あとアレ。
自転車の人もリストの人もさ、それって「アレルギー」なの? 「アレルギー的に嫌」なの?
不可避な神経的メカニズムにもとづく病理なのか、文化的な、要するに「気分」なのかっていう。特に後者とかは
「おれって先祖が蛇神族だったみたいだからさー、煙草キライなんだよねー」
とか言ってる中学生と変わりないように思いますが。邪気眼邪気眼(くわばらくわばら、のアクセントで)。
あ、MINMIのシャナナは良かったよね。使いやすい、とゆーか爆発力があった。夏場にお世話になりました。
邦楽でソカが売れたのって、初じゃね?
食卓でゲームがダメなのではなく、汚い手でDS触るという行為がダメ
鋭い!!!!
そういう女子の少ない学校に入ったから貴重な青春が……とかいうやついるけどさ、そういうやつは共学でも夢見ているような青春は送れないんだよ。中学を思い出せよお前、といつも思う。
高専は学校としてみればいいよ。自由の代わりに、ある程度は自分で判断してけつを決めなきゃずるずると落ちる場所だし、合う合わないが激しいから合わなかった場合悲惨だけど。合えば楽しいところ。まあ進学増加中でどうかとも思うけど、大学と高専で給料の差をつけられたら(仕事同じで)そら皆大学いくわ、て感じ。仕事に関しても、高専だとよっぽどでなければ開発・研究にはいけないし、それらを志すなら進学しなきゃならない。でも研究の一端に触れて自分の進路を考えられるというのはとてもいいよ。成績よくても「研究は合ってない。極めようと思わない」と就職する人もいるし。廃止論もあるようだけど、中学卒業の時点で分岐するルートがあってもいいと思う。大体学費安いし(うちだと年間25万+教科書代他)、卒業すればそれなりのところには就職できるし。設計する分には大学との差なんて感じないし。有利なところもいくつかあるし。実際に工作機械を使って部品を製作してロボットを作ったことがある、というのはなかなか設計する上では役に立つ経験になる(これはまあ機械科の話だけど)。自分でしたことというのはなかなか忘れない。
ネックは英語が弱くなることと、古典をほとんどやらないこと、あと世界史とか日本史とかの知識は欠けるかな。大学受験を潜り抜けた人間は受験で叩き込まれた知識がうっすらと教養として残ってるから。まあ真ん中より上に限る話だけど。一年かけてペリー来航から大政奉還までしかやらないような趣味に走った歴史の授業では太刀打ちできん。楽しい授業だったからまあいいが。
英語はさっぱりだけど、まあ使う職業に就かないなら問題ない。就職して英語バリバリな人間も、「意外に専門用語だけで通じるから英語の知識は必要なかった(あるに越したことはないが)」という。
先生は放任気味だけどやりたいことを見つけてきちんと計画を立てて相談にいけば、おかしなくらい親身になって助けてくれる。高専嫌いな先生と高専大好きな先生の冷戦を眺めるのもなかなか楽しい。
大学に入るとまず真っ先に酒を覚えるように、高専に入った学生が最初に覚えるのも酒の味だ。これは間違いない。でも大学生に比べれば大人しい飲みだ。他大学の体育会と交流会した時に痛感した。大学生(体育会系に限るかもしらんが)の飲みは異常。常に一気コール回ってて、何じゃこらって思った。学校も酒には甘い(これは概ねどこも一緒かと)。煙草には厳しいが。
ちなみに4年ないし5年の男子が1年ないし2年の女子と付き合うと、そいつはロリコンと呼ばれる。これは半永久的に間違いない。別れても呼ばれ続ける。後輩にまで「ロリコン先輩」だとか「ロリさん」とか呼ばれることになる。これはうちの学校の、しかも局所的な慣習かも。
夏休みは普通の高校と同じくらい(ずらして9月から夏期休暇の高専もあると聞く)。冬休みも右に同じ。春休みが一番はっぴーな長期休暇で、年度によっては夏よりも長い。大体2月半ばから4月過ぎまで。課題がないので遊び放題。5年生の場合は最後のモラトリアム。
授業はうちの場合90分x4がフル。水曜日は90x3で固定。あとは科によって何年かによって違う。ひどい年は水曜以外全てフルだったりする。実験だとか製図だとか実習は終わる時間があってなきが如し。間違いなく定刻に終わるように、なんて配慮はなく内容が決められている。ひどい話だ。
うちの高専には体育祭もマラソン大会もなかったので、体育は非常にぬるかった。基本選択制(テニスーとかサッカーとかを適当に選択)で、あとは適当に遊んでいるだけ。まあリクリエーションの時間みたいなもの。何故か水泳だけは結構ハードで、90分で1200m以上泳がないとA評価を貰えなかった。歩きだったり着衣だと500m(なぜか着衣水泳用の服が標準装備だった)。
懐かしい思い出だ。最初書きたかったこととは全然かけ離れたが面白かったので残しておく。
//追記
あと大事なことを忘れてた。うちの高専には体育祭もマラソン大会もスキー合宿もそういう行事的なことは一年の時の野外活動(親睦を兼ねて)と修学旅行くらいしかないわけなんだけど、その代わり春の遠足/秋の遠足というものがあった。遠足かよwwwって感じだが、内容もまさに遠足。基本は現地集合現地解散。市内オリエンテーションとかいってぶっちゃけ授業なのに全部自由行動(朝の点呼と昼の点呼のみ)で、結局いつものメンバーでカラオケいってましたwwみたいなこともあったし、20前の若者でぞろぞろと動物園とか行ったこともある。周りが全部幼稚園の遠足とかで、幼稚園の先生の不審そうな視線を浴びる浴びる。行ってみれば動物園も結構楽しいんだけど。あとは水族館とか、これを言ったら特定されそうだが出来たばかりの頃だったのでUSJにも行った。団体入場券なのに遅刻するやつがいるんだこれが。先生が携帯に電話したら、「今起きました!」みたいな。ダッシュで入場していく家族連れとか見ながらゲートの前で待ちぼうけ。懐かしい。結局2x5で10回も遠足にいったわけだが、どれもなかなか興味深い。福井の原発に見学に行ったのが一番楽しかったかもしれん(一応こういう社会見学的なのもあったのさ)。片道三時間半かけて行って、二時間見学して、また三時間半かけて帰ってくるわけで、本番はバスの中だった。ライダーゲーム(「1号!」「2号」「へんしん!」とやるせんだみつおゲームの変形)を延々やり続けたのなんか、何が面白かったのか分らないが死ぬほど面白かった。
またああいうバカなことがしたいなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20070922094510
煙草ほど頻度が多かったら問題だって?
そりゃ煙草の回数ほどアイス食ったら身体へのダメージが煙草より大きいだろうから
見てたら誰か止めるんじゃないかなあ
煙草って続けざまに吸ったり、あまり感覚をあけずに吸うと美味しくない。ベストは一日三本くらい。体から煙草の臭いが抜けたあたりで吸うのがベスト。
煙草って煙草の臭いや煙が充満しているところで吸うと美味しくない。喫煙室とか最悪。ベストは冬の夜の野外。冷たい空気で美味しさ自乗。
でもやっぱり仕事してると、息抜きとか休憩のきっかけにするために美味しくもないのに吸っちゃう時がある。一日吸わずにいて、夜寝る前に吸う至福の一服のために最近はなるたけ本数を控えるように心がけているけど。
少数派だからないがしろにしてるんではなく、
「吸ってもいいですか?」という事は、
多数派がこうである(吸わないとイライラする)がゆえ、非喫煙者としては、相手が少数派の嗜好派なのか、多数派の依存症派なのか、わからないので、こういう風に受け取ってしまう、ということじゃないですか?少数派をないがしろにしているわけではなく。相手がどちらか分からない以上、そう判断せざるをえない。勿論そうじゃない(イライラするから吸ってもいいか、という意味はない)にしても、こちらにはそれを判断できる手段がありません。多数派はそうであるなら、とりあえず目の前の相手もそうである可能性を考えるでしょう。そうでない可能性があったところで、それが「可能性」のレベルでは同じ事なのです。要は、「だから断り難い」という事なんですから。
男性のほとんどは女性を恋人にしますが、勿論少数派で男性を恋人にする人もいます。どちらか分からない状態の場合、目の前の男性はひとまずヘテロだと判断しませんか?そんなようなものでしょう。
どの道おそらくあの文章の主旨は、「吸ってもいいですか?」は、非喫煙者にとって非常に断り難い文句だ、ということでしょう。個人的には、嗜好派だと分かっていた所で、「吸ってもいいですか?」の断りにくさはさして変わらないと思います。「何何していいですか?」というのを断るというのは、何であれ、断り難い質問です。断るという事は、こちらが、相手に「してはいけません」と禁止するようなものですから。
聞き方をもっと断りやすいように変えるべきなんじゃないでしょうか。大抵、煙草を吸わない人は吸われるのを嫌がりますから、「煙草吸いますか?」などの質問の方がいいと考えます。(それで、吸わないといわれれば吸うのをやめればよいのです)煙草吸いますか、ならば、自分の事を答えるだけなので、変なプレッシャーもありませんから。
それでもこのお父さんは息子さんの肺癌はお前のせいだと周りから攻められて辛い
え、完全に肺癌の理由=煙草、で確定?数ある要因のひとつでしかないと思ってたんだけど。なんか煙草さえ吸ってなかったら肺癌になってなかった、て考えは違うんじゃないかと思う。大きな病気になった時に理由を求めてしまうのは理解できるけど。
鬼太郎の父親の気分はちょっと違うと思った。
あそこまでひどい言葉を吐いた気持ちの根底にあるのは、「自分の喫煙が原因かもしれない」と自分で思ってしまうがゆえの強い自責の念じゃないかな。
「周りから責められ辛い」って、あとはただ苦しんで死ぬしかない状況の息子を前にそんな気持ちが抱けるとしたら、どんだけ厚顔無恥でナルシストなんだと思う。
喫煙による害云々より、自分の喫煙が害をもたらしたかもしれないという後ろめたさゆえに息子の死に正面から向き合えず、まだ生きている息子に何の思いやりある行動もできなかったこと(逆に人道的にひどすぎる行為しかできなかったこと)は、父親のその後の人生を暗くさせると思う。
他人がどう言おうと、実際に「受動喫煙は原因の一つにすぎなかった」としても、この父親は救われない。
だから、もしあなたが喫煙の害をさほど認めていないのなら、この父親ほどは辛くないんじゃないかと思う。
だってあなたは自分を正しいと思っていられるんだから。周りの誰かが肺がんになろうと、自分の責任だとは思わないんだから。