2008-10-21

自分で体験することが一番大事

考えがまとまってないので、だらだらしちゃうと思うけど。

現代は「共通体験」を作りにくい時代

時代の空気みたいのを考えるのが好きで、ニートやら、ほかの人とうまくいかないやら、

そういう悩みがなぜ現代に多いのかをよく考える。

自分なりの結論としては、「現代人は他人との共通体験をする場が少ない」ということ。

恋愛もそうだと思ってるけど、「一緒に何かをした」記憶とか、思い出とかが人間関係の基本だと思うわけです。一緒に苦労したからチームメイトが団結する、文化祭で一緒に徹夜して仲良くなる、恋人同士がデートメール交換を繰り返してより親密になる、そういう経験の繰り返しが親密さを生むんだろうと。

ただ現代は、会社の行事も基本不参加、部署ごとの飲み会も行かない人が多い。

さらに大学サークルに入る人も減ってきていて、学校行事も当然不参加率高い。

そうやって「共通体験」が経ることで、各自の孤立した体験をすることが増えてくるわけです。1人でニコニコなんかの動画を見たり、チャットやってみたり、テレビ見たり、音楽聴いたり。で、そういう体験におけるエモーショナルな感情の動き(意味ダブってるけど)を、誰かに話せれば共通体験化できるんだけど(感想を話し合ったという体験+趣味が合う、とかね)、今は2ちゃんやら増田やら、匿名の誰かと話すことができちゃう。

匿名コミュニケーションは「使い捨て

それはそれでいいことなんだけど、匿名コミュニケーションというのは基本使い捨て継続的な付き合いではないから、「共通体験」を積み重ねることができないわけです。

本来は友達を作る過程として作用する共通体験が、つど使い捨てアイテムなっちゃってるわけ。だから現代は、「友達がうまくできない」とか「話題がない」なんて人が増えている。

他人と共通しやすい話題の手札を増やす

前後するけど、話題がない人はほかの人と共通しやすい体験というのをあまり行っていないんだと思っている。もちろん好みだから、人と共通しやすい体験を無理してする必要はないんだけど、たとえばテレビ番組の話はニコニコ動画の話よりも多くの人に通じやすい。通じにくい体験しか手持ちの札がない場合は、当然ながら他人と「共通体験」を作るのが難しくなる。だから、手持ち札に一般受けする話題が多い人は「共通体験」を作りやすくなって、結果リアル充実といわれる状態になれるのかなあと。

かといって、手持ち札がマニアックな場合は「共通体験」が作れないかといえばそうではなく、手持ち札が似ている人のところへ行き、話題を使い捨てないように気をつければいいということになる(友達が作りたい人の場合。誰でもそうしろというのではなく)。

そこでハンドルなりを付けて、同じようにハンドルなりがあるその場限りじゃない付き合いを構築していけば、どんどん「共通体験」を積み上げられるようになる。

共通体験を生み出すように意識すると、多分生きやすくなる

で、何がいいたいかといえば。

自分自身を含めて、「生きにくい」と思う人が多いと思うんだけど、できるだけ「使い捨て」ないように気をつけると、多分生きやすくなる。

匿名コミュニケーションは楽。発言に責任を持たなくてもいい、過去責任を持たなくてもいい。

でも、そういう使い捨てを行った分、積み重ならない体験が増えて、「共通体験」をすることで得られたはずの「(友達としても恋人としても)好きな人といる楽しさ」やら「困ったときに相談できる存在の頼もしさ」みたいなものを少しづつなくしているんだと思う。

「共通体験」を作ることは、ある種の面倒くささも伴う。だからといって共通体験を作ることを怠ってしまうと、一見独立した存在になれて満ち足りているつもりが、なぜか物足りなさ(人によって違うかも。さびしさとか、むなしさとかいろいろ)を感じることになってしまう。

だから「共通体験」を作りなさいと、えらそうにいうつもりはない。だって面倒だし。でも人間関係使い捨てている分、なにかを失っていることは知っておくべきかなと思う。事前に覚悟しておくべき、というか。

無自覚な人が多いから、体験を使い捨ててしまっていることに気づいてなくて、ネット使い捨ててきて、現実でなにも手札がないって人が多いんじゃないだろうか。手札がないのはその人が原因というのではなくて、誰も「体験は匿名環境使い捨てるとなくなっちゃうから注意してください!」と言わなかったのが原因じゃないのかと。

人間時間は有限だから、「体験」できることはリアルであれネットであれ限られている。「体験」を有効に使いましょうというお話

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