はてなキーワード: 北斗とは
石川議員の同期、「逮捕を考える会」結成
政治資金規正法違反で逮捕された石川知裕衆院議員と同期の民主党衆院当選2回の議員13人が18日、「石川知裕代議士の逮捕を考える会」(会長・福田昭夫衆院議員)を結成し、国会内で初会合を開いた。
石川容疑者の逮捕は不当として、近く法務省から担当者を呼んで事実関係を聞くとともに、議員20人以上で出来る釈放要求の発議を検討することも決めた。
会合では、検察に批判的な元検事の郷原信郎弁護士を呼び、事件の説明を聞いた。福田氏は会合で「大変な暴挙が行われた。真相をはっきりさせ、石川君をどうやったら助けられるか検討したい」と述べた。
福田氏以外の出席者は以下の通り(敬称略)。
大串博志(財務政務官)、小川淳也(総務政務官)、階猛(総務政務官)、佐々木隆博(農林水産政務官)、逢坂誠二(首相補佐官)、柚木道義、横山北斗、石関貴史、鷲尾英一郎、北神圭朗、森本哲生、三谷光男
Qで初号機がシンジとレイの複座式になるのもAだから(シンジ=北斗、レイ=南)
ゴルゴダ基地からやってきたマリ(ゴルゴダの丘からやってきた聖母マリア)
で、この4体が「ゴルゴダ星」で磔にされる第14話で
男と女が合体した神人であるエースはそのコピーであるエースキラーと戦う羽目になる
ちなみにエースが変身した女のほうは実は月星人で終盤月に帰っていく 綾波がこの役目
というかTV版の当初のプロットはこれに近かった
Mk.6は、ウルトラマンタロウ(6番目の兄弟)の事
タロウはウルトラ兄弟の中で唯一ウルトラの父(アダム)と母(リリス)の直系の子
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「複座式になる」のソースってあるのかな?
本当かどうかわからないけど、面白かったので書き留めておく
ジャンプがつまらないという声をよく耳にする。
実際に、自分の周りもそういう印象を受ける。SQの方が面白いという声がある。
SQは休刊になった月間ジャンプの売れてるのを集めている影響もあるから仕方ないとは思うけど、それを抜いてもジャンプはつまらないし。ワンピースしか見ていないというのは自分の周りではステータス化してきているのは事実。
そこでだ、とりあえずブリーチを切ってみてはどうだろうか。
ワンピースは面白いし看板漫画にふさわしい。NARUTOは設定とか色々とひどいけど描き込まれてるからいいと思う。
問題はブリーチと。コマの大きさは尋常じゃないし、一人の腕が切れるのに1話使うってのはどうかと思う。話に魅力なんて感じないし、面白いところなんてない。
女狙いなのか、濃いタッチの絵で描いてある漫画なんて全然出てこないし、ヤンジャンのがよっぽどジャンプしてる。
漫画が売れないのではなく、つまらないから買わない。これに尽きる。実際に自分は先月からヤンジャンとアフタヌーンに切り替えました。ジャンプに期待している人がいるわけだからつまらない話ばっかり並べないでしっかりとして欲しい。
こういう言い回しが定着する前の時代、つまり、私が物心付くか付かないか辺りから、こういったスキルの欠如をさんざん思い知らされ、かつそれを様々な形で非難、攻撃され続けて現在に至る。
いじめにあっていたのも、そういうことの一環だったのかもしれない。母からも、「あなたが周りから浮いてるからよ」「ちゃんと、他の子達と同じにやれないからよ」とさんざん言われていた。
担任教師からは、「少しからかわれたり、ちょっと悪口を言われたぐらいでビービー泣くんじゃありません」と注意された。それに従って、私はとにかく絶えることにした。ある日、いつものように教室に入り、「増田菌が移るぞ! 近寄るな!」「何で学校来るんだよ」「いい気になるなよ」「お前なんかクラスの恥だ」「死ねよ」等々、色々とお決まりの暴言を吐かれても黙って耐えていた。「あれー? こいつ今日は泣かないなあー!」男子の一人が叫んだ。机の周りを取り囲まれて、「さらば〜増田よ〜帰〜って来るな〜」というどこかで聞いたようなテーマソングの替え歌を2番まで合唱されたところで、私は教室を飛び出した。「逃げるなよ」「授業始まるぞ」彼らは即行で追いついて私の周りを取り囲むと、中の一人は「食らえ! 北斗○○拳!!」とか叫びながら私の鳩尾に思いっきり拳を入れた。私は廊下の床に倒れ込んで、藻掻きながら泣いた。「ははー! 泣いた泣いた! 面白れー!」彼らは満足したように笑いながら引き揚げた。クラスの女子達は、腹を抱えて呻き、涙を流す私を見下ろしながら、「あー、増田さん、また泣いてるー」「ほんと、弱虫だよね、駄目だよね」「しょうがないよ、いくら勉強できても、あれじゃあねー」などなど、愉快そうに囁きあっていた。「増田さん、また何かあったのね…」現れた担任はうんざりした表情でつぶやいた。
…以上、ほか同様な体験のいくつかを、後に学生時代にサークルの面々の前で打ち明けたところ、
「うーん、でも、よくある悪ふざけ、って感じじゃない? みんな子供だったしね」
「それって、実際、いじめなの? ちょっと被害妄想もあるんじゃない?」
「ていうか、お前の方にも問題有ったんじゃないかなあ」
「きみ、ちょっと周り見えてないとこあるし、年の割に中身ガキっぽいからねえ」
「自分のことしか考えられてないというか、客観性がないというか…」
「社会に出たらもっと厳しいんだから。そんな調子じゃ、いつまでも巧くやっていけないし、周りからも相手にされないよ」
等々の意見を賜った。確かに、否定は出来なかった。そこで、私は決心して訊ねた。
「分かった。気をつけます。これからはちゃんと、周りともきちんと巧くやっていきたいし、みんなにも迷惑掛けたくない」
「だから、ちゃんと周りのやってることが読めるようになったり、人の考えや気持ちが分かるようになったり、自分のことを客観視出来るようになるには、具体的に、まず、どうしたらいい?」
言うなり、彼らは口々にこう突っ込んだ。
「知らないよ、そんなの。自分で考えなよ!」
「てか、今さら、そんな事をわざわざ、人に教えてもらってる時点でやばいでしょ!?」
「君、甘えてるよ。そんなんだから、結局駄目なんだ」
…それから、私は色々と、自分で考え、答えを見つけようとした。そして、社会に出て、10年近くの歳月が経った。そして、今も親に心配を掛け、周囲に厄介を掛け続けている。
「あなたは、本当に空気が読めない」…と。
id:q_q 実際のその通りだったようで、後に、私抜きでの飲み会や打ち合わせを何度かやっていたことを知った時はショックでした。
まー解亜門天聴とか死環白(これは破孔か)なんて理不尽なのもあったから、なんでもアリだろうけどww
北斗有情拳みたいな兵器があればいいのにね
http://anond.hatelabo.jp/20090114125944
うーん、そうかなあ。自分は「相対的に見て」それらの兵器が人道的であるという点は評価しても良いと思うよ。
よく言われる『人道的な兵器なんてものはない』って主張は間違っていないとは思うんだけど、その主張を全面的に肯定すると、軍隊に周辺被害を低減するための努力を行わせるための政治的圧力がなくなっちゃうから。逆に、非人道的な戦闘・戦争への開き直り・居直りを肯定するロジックに使われてしまう。戦争の全てを防止し得ないのならば、より死ななければならない人、苦しまなければならない人の数が少ない方が「よりマシ」であるとは言えるんじゃないだろうか(最良である、とは口が裂けても言いたくないけど)。
とはいえ、これって確かにジレンマなんだよな。戦争が人道的になればなるほど、戦争行為に対する心理的ハードルというのは下がっていくわけだから。戦争という「暴力を通じた政治」が「人道上の罪」という軛から放たれることで、政治が「暴力の行使」に対する躊躇いと想像力を失っていくんじゃないか、という警戒心は常に必要なんじゃないかとは思う。過去の兵器よりも「相対的に」人道的な兵器によって戦争が遂行されることと、その戦争行為・目的が人道上許容しうるものであるかどうか、ということは明確に区別されるべきだよね(無関心から来る「許容」がどれほど簡単に悲惨な状態・卑劣な行為を見過ごすか、ということを知っていれば、この「許容」という言葉にもまた十分な留保と厳しい規律意識を求めたいところだけど)。そうした人道上の罪の側面が薄れたとしても、それが「暴力を通じた政治」であり、その政治の狭間で誰かが犠牲になるかもしれない(これは個別の状況にもよるけど)という想像力は最低限持ちたい。可能であれば、戦場となる地域への関心・知識もね。実践するのは難しいよなあと思うけど・・・。
そういう想像力も関心・知識も持たないまま、戦争行為を「戦争・兵器なんて非人道的なもんに決まってるだろ」と現状を追認する人はwebでもリアルでも時々見かけるけど、出来れば認識を改めてもらいたいなー。
ところで、事実誤認のある読売はともかく、赤旗が「全ての兵器を残虐なもの」と考えていることは容易に見当付くので、これを「どんな兵器なら使っていいんだよ・・・」と突っ込むのは今更っぽい気はするなー。まあ、JSF氏らしい生真面目さではあるけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090114151226
北斗有情拳みたいな兵器があればいいのにね
せめて非致死性の奴でお願いします!!!!!!!!!!
あと、そういう標的の気持ちを第一に考えた、ホスピタリティとサービス精神豊かな兵器が実用化されたとしても、やっぱ相手に我が意思を強要するつーことの暴力性というかそういうところは変わらないですから。そこをどう捉えていくか、という話をしていた・・・つもりだったよ!相手を殺さないとしても、暴力・強制力を使って自らの要求を呑ませることが容認されるには、国際的な慣習に基づく正統性が求められると思うし、仮に過去においてその正統性が認められていたとしても、現在の視点からその意義を再度問い直すこと、政治的決断に批判・批評を加えていくことは重要なんじゃないかなーと考えております。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//www.bihoro.hokkaido-c.ed.jp/seito-sinro.html
健闘しているに一票。
美幌町の人口は、2万人ぐらい。で、町内には、この高校と農業高校だけだし、道内のこれくらいの町だと平均的な感じじゃないかな。
典型的な道内の管内で中堅クラスの公立高校でしょ。この実績ってそれに10年とかそれ以上前からそんなに変化してないと思うよ(推測だけど)。
それに、網走1の学区で進学しようとすれば、進学校(北見北斗とか)に行くだろうし。
新学区 | 学区 | 就学すべき高等学校 | 通学区域 |
---|---|---|---|
網走中学区 | 網走1 | 北見北斗、北見柏陽、北見緑陵、美幌、津別、訓子府、置戸、佐呂間 | 北見市、美幌町、津別町、端野町、訓子府町、置戸町、留辺蘂町、佐呂間町 |
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/akd/haiti/gakku/kaisei/
ふたりはプリキュアSplashStarが最終回を迎えた。
シリーズ自体は「Yes!プリキュア5」という続編によって粛々と続いていく。だが、これはプリキュアの続編ではあっても「ふたりはプリキュア」の続編ではない。
実際には、「??MaxHeart」ではシャイニールミナス、「??SplashStar」では満と薫というプリキュアの共闘者が存在したが、彼女たちはあくまでも道を同じくするものであり、プリキュアでは無い。
プリキュアの基本フォーマットは3年間一定していた。静と動、理と情、白と黒、対なる要素のものが手を合わせることで完全になる。これは戦隊ものとよばれるジャンルと同じテーマだが、人数を2人に絞り込むことで両者の関係性とその描写はより深くなる。ある種の趣向を持つ人にはそれが己の妄想をかき立てる方向へと作用したようだが、実際のところプリキュアの2人の関係性はそう言った段階の斜め上へ行っていると思う(納得のいかない百合厨は雪空のともだちを借りて10回観ろ)。むしろ近いのはウルトラマンエースの初期における2人の変身者(北斗と南)だろう。テーマの本質を考えればプリキュアも男女2人組であるべきだと思うが、その辺は大人の事情と時代というものなのだろうか。
もう一つは、未来と若さの楽観的全肯定である。基本的にプリキュアの敵は年齢不詳ながら彼女たちよりも年長者であり(従って、同世代の敵であるキリヤ、満・薫、ひかるなどは通常の敵とは異なったストーリーが与えられた)、その理屈はむしろプリキュアのそれよりある面で筋が通っている。そしてSplashStar最終回においてボスの真の目的が宇宙を創世以前の無に返すことであると彼の口から語られた通り、敵の目的は本質的に過去への回帰、そして永続化である。それに対して彼女たちは「絶対に」抵抗する。このキーワードは3年間を通じて登場しており(SplashStarにおいてはやや乱用された感があるものの)、プリキュアを象徴するキーワードの一つと言っていい。そもそもが「絶対」という言葉自体が若さ、無思慮の象徴のようなもので(絶対なんてことがあると思っていられるのは若さ故である、というのを否定出来るのは若者だけだ)、事実彼女たちが「絶対に」に続けて発するのは理屈の通らない、ある種のわがままである。しかし、このキーワードに呼応するかのごとく超常的なパワーが発生してプリキュアが勝利を収めるのがプリキュアの世界の「お約束」になっている。
もちろん、これはプリキュアが子ども向け番組である、ということが主原因であるといえる。だが、子ども向けだからといって、いや子ども向けだからこそ正しく世界のあり方(すなわち、全てが思う通りにはいかない、未来より美しい過去はある、つまるところ「絶対」は無い)を伝えるべきではないだろうか。そして、そんなことは長らく子ども番組に携わってきたスタッフには承知のことだろうと思う。では、何故彼らはあえて「子どもの理屈」を全肯定するような作品を作ったのか。
現在の世の中は子どもが子どもの理屈を大らかに信奉できる状況とは言いがたい。本来ならゆるやかに「現実」を知って大人になっていく子どもたちが、無理やりに現実を見せ付けられて否応なしに大人にされていく時代だ。それはフィクションの世界においても大差なく、少年向けとされているジャンルの作品さえもが主人公が自身の存在に苦悩し、大人の理屈に屈することが少なくない。そんな中で、プリキュアの健康的なまでの屈託の無さは貴重だった(このあたり、比較されることの多いセーラームーンシリーズとは一線を画していると思う)。もちろん、「現実」を直視しなくて良いわけではない。だけど、その前に夢を見てもよいのではないか。プリキュアが3年間繰り返してきたのは、子どもが夢を見るきっかけを与えてあげることだったのではないか。
一つ目の対比と強調のフォーマットは、より戦隊に近く多層的なものになっていくだろう。そして二つ目の子どもに夢を与えるというテーマが、どのように引き継がれるか(あるいは引き継がれないか)はもはや本放送が始まるまで分からない。なんにせよ、Yes!プリキュア5をふたりはプリキュアの続編、として見てしまうことは両方の作品にとって不幸なことのように思える。新しい日曜朝のアニメ番組として、落ち着いて鑑賞したい。
殴っているとき・・・
「北斗!百列拳!!!!!!」
アタタタタタタタタタタタタタ・・・
タタタ・・・
タタタタタ・・・・
タタタタッタァッ!!!!!!!
\ (/o^) オワタ ーーーーーッ!!!! ( / / く
参考:youtube版とアメバ版
http://www.youtube.com/watch?v=KkDTjcl-UXQ
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=50314
(思わぬかわいさにあなたの胸はラブラブドッキュン)