2009-01-14

『人道的兵器』と『人道的戦争』のジレンマ

http://anond.hatelabo.jp/20090114125944

うーん、そうかなあ。自分は「相対的に見て」それらの兵器が人道的であるという点は評価しても良いと思うよ。

よく言われる『人道的な兵器なんてものはない』って主張は間違っていないとは思うんだけど、その主張を全面的に肯定すると、軍隊に周辺被害を低減するための努力を行わせるための政治的圧力がなくなっちゃうから。逆に、非人道的な戦闘・戦争への開き直り・居直りを肯定するロジックに使われてしまう。戦争の全てを防止し得ないのならば、より死ななければならない人、苦しまなければならない人の数が少ない方が「よりマシ」であるとは言えるんじゃないだろうか(最良である、とは口が裂けても言いたくないけど)。

とはいえ、これって確かにジレンマなんだよな。戦争が人道的になればなるほど、戦争行為に対する心理的ハードルというのは下がっていくわけだから。戦争という「暴力を通じた政治」が「人道上の罪」という軛から放たれることで、政治が「暴力の行使」に対する躊躇いと想像力を失っていくんじゃないか、という警戒心は常に必要なんじゃないかとは思う。過去の兵器よりも「相対的に」人道的な兵器によって戦争遂行されることと、その戦争行為・目的が人道上許容しうるものであるかどうか、ということは明確に区別されるべきだよね(無関心から来る「許容」がどれほど簡単に悲惨な状態・卑劣な行為を見過ごすか、ということを知っていれば、この「許容」という言葉にもまた十分な留保と厳しい規律意識を求めたいところだけど)。そうした人道上の罪の側面が薄れたとしても、それが「暴力を通じた政治」であり、その政治の狭間で誰かが犠牲になるかもしれない(これは個別の状況にもよるけど)という想像力は最低限持ちたい。可能であれば、戦場となる地域への関心・知識もね。実践するのは難しいよなあと思うけど・・・。

そういう想像力も関心・知識も持たないまま、戦争行為を「戦争・兵器なんて非人道的なもんに決まってるだろ」と現状を追認する人はwebでもリアルでも時々見かけるけど、出来れば認識を改めてもらいたいなー。

ところで、事実誤認のある読売はともかく、赤旗が「全ての兵器を残虐なもの」と考えていることは容易に見当付くので、これを「どんな兵器なら使っていいんだよ・・・」と突っ込むのは今更っぽい気はするなー。まあ、JSF氏らしい生真面目さではあるけど。

http://anond.hatelabo.jp/20090114151226

北斗有情拳みたいな兵器があればいいのにね

せめて非致死性の奴でお願いします!!!!!!!!!!

あと、そういう標的の気持ちを第一に考えた、ホスピタリティサービス精神豊かな兵器が実用化されたとしても、やっぱ相手に我が意思を強要するつーことの暴力性というかそういうところは変わらないですから。そこをどう捉えていくか、という話をしていた・・・つもりだったよ!相手を殺さないとしても、暴力・強制力を使って自らの要求を呑ませることが容認されるには、国際的な慣習に基づく正統性が求められると思うし、仮に過去においてその正統性が認められていたとしても、現在の視点からその意義を再度問い直すこと、政治決断に批判・批評を加えていくことは重要なんじゃないかなーと考えております。

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