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はてなキーワード: ふたりはプリキュアSplashStarとは

2022-01-09

anond:20220109085751

島本須美ロイヤルクイーンスマイルプリキュア
高山みなみダークプリキュアハートキャッチプリキュア
日高のりこアフロディテスイートプリキュア♪
林原めぐみニコ映画スマイルプリキュア絵本の中はみんなチグハグ
椎名へきる香久矢満佳スタートゥインクルプリキュア
大谷育江キャンディロイヤルキャンディスマイルプリキュア
小桜エツ子ピトン映画プリキュアミラクルユニバース
丹下桜
皆口裕子フローラYes!プリキュア5GOGO
国府田マリ子星空育代スマイルプリキュア
クイーンミラージュミラージュハピネスチャージプリキュア
横山智佐
南央美スズ映画スイートプリキュアとりもどせ心がつなぐ奇跡メロディ
竹内順子夏木りんキュアルージュYesプリキュア5
星野健太ふたりはプリキュアSplashStar
渕崎ゆり子ムープ、霧生満ふたりはプリキュアSplashStar
池澤春菜ポルンふたりはプリキュアふたりはプリキュアMaxHeart
大山のぶ代
吉田古奈美谷口聖子ふたりはプリキュア
斎賀みつき
桑島法子明堂院いつきキュアサンシャインハートキャッチプリキュア
川澄綾子ロレッタ先生魔法つかいプリキュア
鈴木真仁杉山ごうハートキャッチプリキュア
かるたクイーンドキドキプリキュア
野沢雅子雪城さなふたりはプリキュア
くまいもとこモコふたりはプリキュア
コフレハートキャッチプリキュア
田中真弓イーラドキドキプリキュア
久川綾月影ゆりキュアムーンライトハートキャッチプリキュア

4人わからなかった(wikipedia調べ)

2007-01-29

原稿:「ふたりの」プリキュアの終焉に寄せて

ふたりはプリキュアSplashStar最終回を迎えた。

シリーズ自体は「Yes!プリキュア5」という続編によって粛々と続いていく。だが、これはプリキュアの続編ではあっても「ふたりはプリキュア」の続編ではない。

実際には、「??MaxHeart」ではシャイニールミナス、「??SplashStar」では満と薫というプリキュアの共闘者が存在したが、彼女たちはあくまでも道を同じくするものであり、プリキュアでは無い。

プリキュアの基本フォーマットは3年間一定していた。静と動、理と情、白と黒、対なる要素のものが手を合わせることで完全になる。これは戦隊ものとよばれるジャンルと同じテーマだが、人数を2人に絞り込むことで両者の関係性とその描写はより深くなる。ある種の趣向を持つ人にはそれが己の妄想をかき立てる方向へと作用したようだが、実際のところプリキュアの2人の関係性はそう言った段階の斜め上へ行っていると思う(納得のいかない百合厨は雪空のともだちを借りて10回観ろ)。むしろ近いのはウルトラマンエースの初期における2人の変身者(北斗と南)だろう。テーマの本質を考えればプリキュアも男女2人組であるべきだと思うが、その辺は大人の事情と時代というものなのだろうか。

もう一つは、未来若さの楽観的全肯定である。基本的にプリキュアの敵は年齢不詳ながら彼女たちよりも年長者であり(従って、同世代の敵であるキリヤ、満・薫、ひかるなどは通常の敵とは異なったストーリーが与えられた)、その理屈はむしろプリキュアのそれよりある面で筋が通っている。そしてSplashStar最終回においてボスの真の目的宇宙を創世以前の無に返すことであると彼の口から語られた通り、敵の目的は本質的に過去への回帰、そして永続化である。それに対して彼女たちは「絶対に」抵抗する。このキーワードは3年間を通じて登場しており(SplashStarにおいてはやや乱用された感があるものの)、プリキュアを象徴するキーワードの一つと言っていい。そもそもが「絶対」という言葉自体が若さ、無思慮の象徴のようなもので(絶対なんてことがあると思っていられるのは若さ故である、というのを否定出来るのは若者だけだ)、事実彼女たちが「絶対に」に続けて発するのは理屈の通らない、ある種のわがままである。しかし、このキーワードに呼応するかのごとく超常的なパワーが発生してプリキュアが勝利を収めるのがプリキュアの世界の「お約束」になっている。

もちろん、これはプリキュア子ども向け番組である、ということが主原因であるといえる。だが、子ども向けだからといって、いや子ども向けだからこそ正しく世界のあり方(すなわち、全てが思う通りにはいかない、未来より美しい過去はある、つまるところ「絶対」は無い)を伝えるべきではないだろうか。そして、そんなことは長らく子ども番組に携わってきたスタッフには承知のことだろうと思う。では、何故彼らはあえて「子ども理屈」を全肯定するような作品を作ったのか。

現在の世の中は子ども子ども理屈を大らかに信奉できる状況とは言いがたい。本来ならゆるやかに「現実」を知って大人になっていく子どもたちが、無理やりに現実を見せ付けられて否応なしに大人にされていく時代だ。それはフィクションの世界においても大差なく、少年向けとされているジャンルの作品さえもが主人公が自身の存在に苦悩し、大人の理屈に屈することが少なくない。そんな中で、プリキュア健康的なまでの屈託の無さは貴重だった(このあたり、比較されることの多いセーラームーンシリーズとは一線を画していると思う)。もちろん、「現実」を直視しなくて良いわけではない。だけど、その前に夢を見てもよいのではないか。プリキュアが3年間繰り返してきたのは、子どもが夢を見るきっかけを与えてあげることだったのではないか。

一つ目の対比と強調のフォーマットは、より戦隊に近く多層的なものになっていくだろう。そして二つ目の子ども夢を与えるというテーマが、どのように引き継がれるか(あるいは引き継がれないか)はもはや本放送が始まるまで分からない。なんにせよ、Yes!プリキュア5ふたりはプリキュアの続編、として見てしまうことは両方の作品にとって不幸なことのように思える。新しい日曜朝のアニメ番組として、落ち着いて鑑賞したい。

まとめると、なぎさ俺の嫁ということです。

 
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