はてなキーワード: ミアシャイマーとは
あくまで国益ベースで言うならば、中露を分断し、対中包囲網の一角に組み込むのがベストだった。そうしたらエネルギー問題も、穀物問題も避けられたわけだし。
ウクライナ問題が、まあまあ穏当な形で収まるのが日本にとっては一番いいことで、この点、ウクライナ親西側派の利害とは日本の利害は真っ向からぶつかっていた。で、あればこそウクライナは散々日本に対して嫌がらせを行って来たし、日本のウクライナのことなんざ知ったこっちゃねーやと言う姿勢だったし。
そのミアシャイマー戦略路線は明らかに破綻したのだけど、spilt milk で今更、親ロシア政策をとっても戻れないのよ。ロシアがもう一線超えちゃったからね。せめてこれがウクライナ東部民兵に加担して、独立運動行わせるとか、その程度ならばまだしも、ウクライナ侵攻は表向きは容認できんわ。
で、ここからどういう国益につなげてゆくのかと言えば、中露を逆に接近させてひとかたまりにさせた方がいい。ロシアの過失は中国の過失論ね。
ウクライナには戦い続けて貰って、ロシアにとってのベトナム化を目指す。ウクライナ軍には東部地域に侵攻して報復としてロシア人住民虐殺までやってくれればなおOK。ロシア世論を激昂させれば、ロシアとそれを支援する中国の弱体化が見込めるね。
欧米の大学で戦争の研究が盛んになったのは、世界大戦を反省したからです。人類史上初の「世界大戦」を経験し、二度目の世界大戦でも主戦場となったヨーロッパ諸国は、なぜこんな悲惨な戦争が発生したのかを必死で解明しようとしました。二度と世界大戦を起こさないためです。平和を守るために、戦争を研究したのです。
(中略)
戦争の研究も同じです。平和を守るためには戦争を詳しく調べ、原因をつきとめ、対策をたてる必要があります。そのために戦争を研究する学問が必要なのです。
過去記事への言及となるので微妙ですが、勘違いしてる人も多いみたいなので。
アメリカの大学が「戦争学」を教えるのは決して“平和を守るため”ではないですよ。“戦争”という人類史における普遍的な事象から得られる自国の利益を最大化することが目的です。“平和”は目的ではなく単なる手段に過ぎません。
政治的エリートを育てる過程においては「戦争学」は必須の科目と言ってもいいでしょう。というか、「国際関係論」を学ぶ上で「軍事学」「戦略学」は「地政学」などと並ぶ基礎知識として扱われています。軍事を理解できない者が国家間の政治など理解することなどできないだろう、ということです。
特に“リアリズム”と呼ばれる国際関係の主流理論においては「パワー(力)」という概念を国と国との関係における基礎としています。その「パワー(力)」は言うまでも無く「軍事力」を意味します。「軍事学」について学ぶことは即ち国際関係の基礎となる「パワー(力)」の行使を学ぶことに他なりません。
(この辺はリアリズムを学ぶzyesutaさんには釈迦に説法かと思いますが)
そして、その「パワー(力)」の行使は、「自国の利益を確保する」という一点を目的としています。例えば有名な右派リアリストであるミアシャイマーは(他のリアリスト達と同じく)2003年のアメリカのイラク侵攻に反対していましたが、それは彼が「平和主義者」だからではなく、単に「アメリカの国益を損なうから」に過ぎません。
ですので、ハーバードの事例を挙げて日本の戦争学教育を揶揄するのは間違いです。確かに「戦争を学ぶこと」によって安易な軍事力の行使を抑え、より平和的な手段を選択する確立は上がるでしょう。しかしそれが目的なのではありません。日本と違い彼らにとっては平和もまた“手段”のひとつです。彼らはよりシビアに「外交の一手段としての戦争」を研究しているに過ぎないのです。