はてなキーワード: テンとは
初めて男の人に食事に誘われて、テンパりすぎて
http://anond.hatelabo.jp/20090710024823
を書いてたものです。
トラバしてくださった方、見てるかわからんけど・・今日行ってきました。
なんせはじめてのことだったので、胃が痛くて痛くて・・
でも会ってからは、フツーの話しかしなかったので、平気になれました。楽しかったです。
ただ、映画もごはんもおごってもらったというのが・・ちょっともやもやします。
唯一相談してた友達は「年上でそれなりのプライドもあるやろうけん」と言ってましたが、
なんだか、わたしみたいのにお金使わせてしまって、いいのかなぁーと思ってしまいます。
難しいですネ。。
ほんとにほんとに、「なんでわたし誘われたの?」と思ったので、聞いてみたら、
「夢に出てきたから。」と言われました。あはは。なんだそりゃ。
今後なにかあるかどうかなんて、まったくわからないけど、
次誘われても、もう胃は痛くならない!多分!
という訳で、報告でした。
サクラ大戦の主題歌を完璧に歌い、友人に「歴史教科書の間違い」を熱く語る。
歴史の授業では教師に
「太平洋戦争じゃない『大東亜戦争だ!!!!!』」と食ってかかった事もあったそうだ。
(隣のクラスである私でさえ知っていたのだから、相当有名だったと思う)
そして卒業式、式もクライマックスを向かえ、国家である「君が代」が流れた。
鼻をすする人、目頭を押さえる人、鼻声で歌う人……
特に高校生活に思いれが無かった私も
雰囲気に飲まれポケットからハンカチを取り出した。
その時、突然「この野郎ォオオ!!!」と罵声が体育館に響いた。
と、同時にバチーン、ドターンと言う音。
静まりかえる体育館。
ワンテンポ遅れ、全生徒が「え?」「何?」と顔を見合わせる。
更にワンテンポ遅れ
「何やってるんだ!!!!」
「何で歌わねぇんだよぉおおお!」との怒声。
どうやら、「ウヨクの少年」は「君が代」を歌わなかった教師に我慢がならず
一発お見舞いしたそうだ。
少年と教師の怒鳴り声、生徒たちのざわめき
私達の感動的な卒業式の思い出は、ウヨ学生がサヨ先生を殴りとばした。
そんな思い出深い卒業式となったのだ。
今も高校時代の友人と会うと
「彼どうしてんだろね?」
「あーあの右翼?」
と始まる。彼は無事憂国の士になれただろうか?
こんな良い歌を歌わないのは勿体ないなと思ってるが
過激なウヨは(勿論過激なサヨも)勘弁してチョ!と言う事です。
一人暮らしを始めるときにネットがあるしなくても不自由しないだろうという理由でテレビを置かなかった。
それが3年前のこと。
それから今月までの3年間ほとんどテレビを見ることはなかった。
病院の待合室で見たりとか飯を食いに入った店で見たりはまああるとしても
しっかりと見る機会はほぼなかった。
今月ちょっとした理由でテレビのある場所に宿泊することになった。
3年振りにテレビをしっかりと見た(一緒に宿泊する相手が見るため付き合いで)。
元々自分はどちらかというとテレビをよく見るタイプの人間だったんだが
3年振りにしっかりとテレビと向き合い
激しい違和感に襲われずにいられなかった。
見ていて楽しいとかつまらないとかではなくてなんだかうまく消化できない。
昔の自分がテレビを当たり前のように見ていたことが信じられない。
その番組の扱う情報が"知識"に近づけば近づくほど違和感が強くなる。
ニュース番組はどのチャンネルも同じことしか言わないからキャスターの存在意義がわからない。
そこに人がいる意味がわからない。
どうせ誰だって想像の範囲内のことしか言わない。
出演しているタレントたちが明らかに視聴者をばかにしているとしか思えないぐらいオーバーリアクションなのが受け入れられない。
時間の引き延ばしっぷりが鼻につく。
とにかく自然な姿勢で見られなかった。
辛いとまでは行かないが少なくとも娯楽としては見られない。
3年前に比べてテレビの質が特段低下しているとかは感じなかった。
記憶をさかのぼる限り3年前も似たようなものだっただろうと思う。
ただ自分が変わった。
テレビを見ない生活を続けてテレビを見る生活に馴染めなくなった。
また3年間テレビを見続ければ元に戻るのかもしれないが戻らないような気がする。
別にテレビがどうとかテレビを見ないのがどうとかテレビがつまらないとかテレビが面白いとか
そういうことを言いたいわけじゃなくて
なんだか世間とずれてしまったのだということが辛くなった。
テレビを見なくなってしばらく経ってから周りとのずれは感じていた。
話題のずれではなくてもっと奥深いずれ。
笑うタイミングとかどういったことで笑うかとか。
それまでも別にコミュニケーション上手な自分ではなかったがさらに周囲と離れていくのを感じていた。
悲しくなったのは
一般世間からずれてしまったのを痛感したから。
親しい間柄の人たちの多くは"一般世間"だと考えるとすごく悲しい。