はてなキーワード: 論座とは
三砂ちづるとあの著書を『身体論をイメージして女性の生物学的性への回帰を提唱し、状況的には、フェミニズムに対する見直しの潮流(いわゆる「バックラッシュ」)の一貫と位置づけられたエッセイ』とみる、という見方なら一般的だろうけど、それを「カルト」とか「トンデモ」とか評してる人はそれこそちょっとどっちかに偏った人しかいないんじゃないかな。
個人的には、それなりに名の通った場所であの本をトンデモ呼ばわりしたのって、今は亡き『論座』'05.2に載った田中美津とかいう鍼灸師の人の文章くらいじゃないかと思うんだけど(wiki見ると香山リカも批判したようだけど、それは「配慮が不足」という批判であって「カルト」とか「内容がトンデモ」とかそういう批判ではないよね)、田中美津って「4年間メキシコに行って悟って鍼灸師になった」、自称『東洋医学界のスター鍼灸師』で、「光線治療器」が「癌に効く」とか、「邪気(病気エネルギー)」に「気孔」で対抗する、とか言ってる人だよ。そういう人が誰かをトンデモ呼ばわりするというのはどういうことを意味するか、ちょっと考えてみてもいいんじゃないかなあ。
# 2008/12/12(金)
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よくはてなにいるんだけど、「歴史修正主義」とかいって得々としている人がいるじゃん。
あーゆー文章書く香具師って、結局朝日新聞側(戦後の言論界では圧倒的強者)に擦り寄りたいだけなんだよね。
で、「ボクは頭良い!!ネトウヨざけんな!」とか思ってるんだよな。
あたまよくないから。思考停止状態であることには変わりないからね。
君らのやってることも全部コピペ。思考方法は旧社会党左派の真似。自分の頭を使わない
言論ほど無駄なことはないっす。マジで。まあ、これはウヨにも言えますがね。
60年前の史実を口角泡飛ばして論じて、何か良いことある?何もないですよ。
金が儲かるわけでもないし、楽しくないっしょ。
あんたらもネトウヨと大してかわんねーじゃん、と、右も左も嫌いなおいらは思うのだった。
ネトウヨが崇拝する時代が昭和戦前で、あんたらの崇拝する時代が
前に東名高速を東京に向かう高速バスに乗ったことがあって、そのとき思ったことからつらつらと考えたこと。
その車内には面白いようにバンギャとオタクしかいなくて、まあ、それなんて論座? っていう状況だったんだけど、そのときの彼ら(オタクのほうね)の話を聞いていると、やっぱり、地方の子から見ると秋葉原って「楽園」なんだなあ、と思ったのね。夢と憧れと、可愛らしい武勇伝(自称「アキバの達人」が、アキバ初心者に語ってるんだよ。笑っちゃうけどそれが地方の実状なんだって)に溢れてて。なんというか、地方のバンギャの子にとっての武道館なり何なりってのが、地方のオタクの子にとってのアキバなのかなあ、って。あるいは、(地方の女の子の読む)ケータイ小説におけるシブヤってのが、地方のオタクの子にとってのアキバにあたるのかなあ、って。実際にそこに行く機会は少ないし、行ったことのない子もクラスにはいるんだけど、漠然とした憧れと夢の対象として機能してる街って感じ。前に報道特集番組で、地方からアキバのメイドさんに憧れて上京してきた女の子のルポとかやってたんだけど、それ見たときも同じ印象を抱いた。ドラマで言うと『アキハバラ@DEEP』的な秋葉原像かなあ。
だから、秋葉原って、その夢に乗れない人たちからすると、十分に僻みの対象になるくらいに、いまや楽園なんだなあと思うんだよ。特に地方の子たちにとってはね。
>d:id:gotanda6 ケータイ小説にはシブヤは出て来ないぞ
『Deep Love』の舞台って渋谷じゃなかったっけ? それとも『Deep Love』はd:id:gotanda6さんの定義ではケータイ小説に含まれないのかな?
想像力はベッドルームと路上から - 銃口を突きつけられているのは「彼等」ではない。「貴方」だ。??「論座」4月号『「丸山眞男」をひっぱたきたいへの応答』雑感
赤木氏の『「丸山眞男」をひっぱたきたい』という意思表示は、明確な「悪意の表明」である。そして「戦争」という手法の導入は、その「切実さ」を表す為のロジックに過ぎない。
だからこそ、それに対する「応答」は、「戦争の本質」や「論旨の稚拙さ」ではなく、まずその「悪意」に対する応答でなければならなかったのだ。
しかし愚かなことに、その「応答」に立った人々は、その本意も切実さも理解せず、「悪意」の対象が自分であることも認識しないまま、ただただ常識論を返すだけである。
シマネコの人が「敵」と見ているのはやっぱり「左翼」じゃなくて「既得権者のオヤジ」(これには勿論「論座」に応答を寄せた知識人達も含まれる)なんじゃないかなあ。
だってシマネコの人が「悪意」を向ける対象が「左翼」だとすると、それにはinumashさんも(広義では)含まれるはずと思うのだけど、問題となっている「「丸山眞男」をひっぱたきたい」は、どう読んでもシマネコの人がinumashさんに「銃口を突きつけたい」と思ってるようには読めないし。
「流動性」という言葉の使い方についてもそうだが、あの人は常識的な字義から外れたオレ定義の用語を使うので、彼の言う「左翼」にはinumashさんのような彼自身よりも年下の「左翼」は含まれていないのではないか、と思う。多分そのことに彼自身自覚的でないのだろうけど。
で、周囲に韓国人の知り合いとかがいる俺としては、今の保守勢力のやり口は単純に不愉快だから、イデオロギー的に「左翼」と自己規定せざるを得ないわけなんだが、でも学校じゃあ仲間と「就職ヤバスwwww」とか言ってるだけの存在なわけで、「お前が俺を苦しめてきたのだ!」と(シマネコの人から)銃口を突きつけられても正直困る、というのがある。そりゃのんきに学生やってるだけ彼より俺は恵まれているとは言えるのかも知れんけど、例えば俺が就職に失敗してフリーターになったらあんたと立場変わらないじゃんと。
自分が既得権者であるにもかかわらず、シマネコの質問にまともに答えられないどころか「今すぐ俺の研究室に来い!」とすら言えない左翼オヤジは救いようの無い馬鹿揃いだとは思うが、だからと言ってその事実が「左翼」全てへの攻撃に転化されるとなると、正直モニョモニョした気分になるのだよな。赤木氏自身が本質的には真性左翼であるだけに。
血液型占い、水からの伝言等のエセ科学の精緻な議論はここを読んでいるおまえらがやるとして、私は現実的にどうやって彼らエセ科学教徒(以降、彼らと呼ぶ)を改宗させるか、というのを論ずる。
「論座」では足りない。メーカー、電力系の会社が金を出してまでやるべきことではないか?マイナスイオンを冠した製品を作っているところはお断りだが。
彼らに対して、感情という面で訴えかけることは納得できないものもいるかもしれないが、目的のためならば仕方ない。おまえらの中にだって、ハヤカワ文庫のSFもの、スターウォーズ、ブレードランナーなどのSF映画、攻殻機動隊、ガンダム等のアニメに傾倒しているものがいるだろう。それらを本気で科学的でないといって馬鹿にするのか?しないだろう。フィクションとしてのエセ科学(超科学と言ったほうがいいか)と社会的、優生学的な問題を含む血液型性格診断や、安い道徳のために「科学的な事実」として紹介される水からの伝言等、様々な問題を孕むエセ科学の違いなんて彼らに理解できるもんか。彼らには適当な物語を与えといて、とりあえず引き離すほうが得策だ。
例えば「世の中の血液型性格診断(差別と言い換えてもよい)に人生を狂わされながらも、果敢と立ち向かっていく物語」とか「水からの伝言を証明しようと奮闘するマッドサイエンティストと戦う科学者たち」とかそういうのがいいね。痴漢冤罪が映画化される時代なのだから、エセ科学の問題が社会問題になっている昨今、上に挙げたような物語が映画化されてもおかしくないではないか。
エセ科学教徒よ。道徳を説くならば、神話や童話、プロジェクトXでも使えよ。科学のようでそうでないエセ科学物語なんか使うな!
去年、福岡で飲酒運転による事故が起きてからというもの、飲酒運転に対するバッシングは苛烈を極めている。これを使えばよい。
たった一つの事件が世の中の流れを大きく変えることだってあるのだ。暴論だが、小中学生が自殺したとして、遺書には「血液型で性格を一方的に決め付けられ、傷ついた」とか、「水からの伝言を否定したら、仲間外れにされた」とかって書いてあればよい。こうして社会問題化すればエセ科学は一種のタブーとなるに違いない。マスコミが大々的に報じれば完全にこちら側の勝利だ。これも一種の社会的な物語であり、道徳的な科学者連中は承服しかねるだろうが、了承してくれたまえ。だが、現実的にこのような事件が起こってもおかしくないとは思わないかね?
この手は今すぐできるのだが、現実的にはかなり難しい。おまえらがどういう学校、職場にいるのかは知らんが、雑談としてエセ科学チックな話題を振ってくる人間の一人や二人はいるだろう。そのときに反論できれば有効なのだが、おまえらが「血液型で性格が決まるわけねーだろwww。なぜなら……」と言っても、彼らは(夢のないやつだ<フィクションとしての「夢」と区別されなければならないのは前述したとおり>)とか、(空気読めねー奴だ、話題もないし、別にいいじゃん)とか(まじになってんじゃねーよ。頭かてーな、そんなんだから彼氏or彼女できねーんだよ、科学的とかどうでもいいの)とか思うに違いない。これらの思考に対して我々は有効な反論ができない。彼らと物語を共有できない以上、反論することそれ自体がタブーなのだから。結局スルーするか、付き合い上ノッてあげることしかできない。
結局のところ彼らの言論を「シュード・サイエンティフィック・ハラスメント(Pseudo Scientific Harassment)」、エセ科学ハラスメント略して「エセハラ」としてセクハラ並みの扱いにするしかない。だが、認知までに長い時間がかかりそうなので、これには道徳的科学者諸君の啓蒙活動がたいせつになってくるであろう。
しかし、これをやってしまうと彼らから我々が「サイエンティフィック・ハラスメント」と逆批判を受けてしまうことになってしまうので現実的には使えないだろう。やっぱりこの手法は無理か……。
本筋とは関係ないがカナダでは"Scientific Harassment"が問題になっているようだ。民間の医薬品メーカーが公的な研究資金をもらいながら研究結果の一部しか公表しなかったり、科学的な議論を法廷に持ち込んで意見を阻害したりしているのが問題らしい。
世の中にはUFOに宇宙人が乗っているだとか、マイナスイオンとかいろいろエセ科学はあるけれども、血液型性格診断はその中でも性質の悪い猛毒だ、と考えている。
正直言って最近問題になっている「水からの伝言」は、たいしたことではないと考えている。小学生程度の人間にわかりやすくて、道徳的な物語として使えるというメリットがあるし(科学的な事実として受け入れるかどうかは別にしてだよ)、芸能人や有名人が事実として広めたとしても、TVで「幽霊、超常現象は存在するんですねぇ」と発言する位のレベルであり、笑い話として通用する。小学生に教えたとしても「サンタクロースは存在する」ぐらいのレベルで受け取ってもらえるかわいいものなのだ(今は、の話なので芽は摘み取っておくべきだが)。
だが血液型性格診断は違う。人間として生きてゆくには、「性格」というアイデンティティが必要だが、血液型性格診断はそれを生まれながらに決定付けるという非道な行為を恥ずかしげもなく行っていおり、教育的、社会的な弊害が大きい。環境的な要素をまったく無視しており、一部の青少年の心を傷つけることは必定である。居酒屋の笑い話としてならばまだいいが、幼少期の性格形成に影響を与えることは間違いない。最近格差社会がどうとか騒いでいる割には、生まれながらの血液型で人生の性格が決まる性格格差社会を推奨しているといってよい。
その他の弊害は適当に検索してくれ。
最後に、小中学校で教員をしている人たちは、圧力やしがらみによってゲーム脳や水からの伝言などの授業をするかもしれない。だが血液型性格診断だけはやめておくれよ。もちろん反面教師としてならば、どしどしやっておくれ。