はてなキーワード: 省エネとは
小さい冷蔵庫に各家庭ばらばらに保管するよりスーパーコンビニがまとめて保管するほうが効率いいという面はあるのでは?開けっ放しのところは冷蔵庫ほど冷やしてもいないだろうし、陳列するまでは閉めっぱなしで保管してるはずだし。
大型冷蔵庫は取り出すときの効率が悪いです。そういうことを考えるとなんとも言えません。さらに、陳列してからの効率の悪さは異常なほどです。
どちらにしても、定性的にどちらかがどちらかを納得させる結論は出せなさそうなので、データが出てくるのを待ちましょう。私は、スーパーやコンビニの陳列はエントロピーをがんがん増やしているので非常に無駄だと考えていますが、私もそんなに物理のセンスがあるわけではないので断言はできないです、残念ながら。
いや、これはどこかにデータがあったはずですが、外食の方がエネルギー効率は悪いそうです。
最近のエコ運動って省エネにつながるというより単に現代的な生活に反することがしたいだけって感じに見えるんだよな。深夜営業禁止より夜型人間増やして昼夜の電力消費の差、交通渋滞を減らすほうがCO2排出減らしやすい面もあるのに。
そういう気持ちはわかりますが、その気持ちであなたのご持論を正当化することはできませんよ。
ちなみに、CO2を減らす一番簡単な方法は、車と飛行機を控えることなんですがね。飛行機の国内線と、電車の駅やバス停から徒歩30分以内に済んでいる人(病人・老人・障害者除く)は、車の所有を禁止してもいいぐらいだと私は思ってます。最低限、従来型のガソリン車は控えるべき。無駄にでかい車は論外。独身なら小型で十分すぎるぐらい十分でしょう。狭い道を無駄に車で渋滞にイライラしながら通るより、路面電車でも引いた方がよっぽどいいのに。
なんでみんなあんなに車が好きなんでしょうね?私には理解できませんよ。
小さい冷蔵庫に各家庭ばらばらに保管するよりスーパーコンビニがまとめて保管するほうが効率いいという面はあるのでは?開けっ放しのところは冷蔵庫ほど冷やしてもいないだろうし、陳列するまでは閉めっぱなしで保管してるはずだし。料理も各自が自炊するより工場や飲食店がまとめて作ったほうが一食あたりのエネルギーは少なそう。
最近のエコ運動って省エネにつながるというより単に現代的な生活に反することがしたいだけって感じに見えるんだよな。深夜営業禁止より夜型人間増やして昼夜の電力消費の差、交通渋滞を減らすほうがCO2排出減らしやすい面もあるのに。
深夜残業なくしても深夜もコンビニとかの冷蔵庫も冷やしておかないとだめだからほとんど電力消費減らないし、深夜よりピーク時の昼間の電力消費減らさないと火力発電所の稼動減らせないからあまり効果ない。コンビに同様自販機も常に冷やすかあっためるかしておかないとだめなんだから深夜だけオフになんかできない。せいぜい照明くらい。さらに物流考えれば商品の搬入とかは深夜にやっておいたほうが渋滞になりにくく、余計な輸送エネルギー使わなくてすむから省エネ。はてぶでも散々既出のはず。なんでぶくまがついてるんだろ。
http://ameblo.jp/gusya-h/entry-10104903476.html
少なくとも、時刻の変更に伴って発生が予想されるといわれるコンピュータの誤作動問題に対してどう技術的に解決していくのか、そのためのコストはどの位かかるのか、等について明らかにする必要がある。
何を得意気に。既に検討されコスト試算もされてるけど、報告読んでないで苦言呈してるわけですか?
「サマータイムは「時刻の切り替え」ではなく「頭の切り替え」で
1. サマータイム導入による省エネ効果の必要はよくわかります。
2. しかし、それは時計の時刻をずらすのではなく、始業時間を早めたり、遅らせたりすればたります。
例えば、私の故郷の長野県では、学校は、夏は8時に始まり、冬は9時始まりという工夫をしていました。
すべて我々が自らの時間を調整すれば良いのです。
3. 年2回の時刻の変更は、色々な面で混乱を生じ、不便です。そんな面倒なことをしなくても、サマータイム導入の目的は、夏に始業時間を早め、就業時間も早めることで達成できるのです。
違うよ、全然違うよ。
それをやると夏は朝早く出社して、終電はいつも通りまであるんだから労働時間は長くなる。
サマータイムにすると終電も1時間早くなるわけで、労働時間は長くならない。
そこんとこの誤解してる人が多すぎで困る。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/0526/TKY200805260324.html
私は賛成でも反対でもない(むしろ懐疑的だ)。しかし、はてブはただの揚げ足取りに終始してる人は、正直無能さを露呈してしまってるように見える。
1億が2億になったのを借りかえるとはいわんだろ・・・。
影響がでないようにするためには新規借り入れが必要になるよね。
いま40兆円の発行だけどこれが早晩80兆円、160兆、320兆とどんどんばいばいに増えていくよな。
いった誰が買い受けるの??
その利息分を同じ人(主に金融機関)が再度日本国に貸すんだよ。だから借り換えといってる。
80兆になればそれをまた貸して160兆になればそれをまた貸すというのを繰り返す。毎年それやってるのが現実。こういうふうに書くと奇妙に見えるかもしれないが、日本の金融資産の大部分を占める預金だって預金者が毎年ついた利息分も含めて再度銀行に貸し続けてるんだよ。その銀行はそれを日本国とか企業に貸して利息をピンはねして儲けてるわけだ。
いくら海外の評価が低かろうと日本国債は円で償還する。円で高い利息払える貸出先が大量に出てこない限り日本国債は値崩れしようがない。だってほかに貸しだし先ないなら無利子よりましってことで低利でも日本国債買ったほうが得なんだから。円=日本銀行の負債であり日銀の資産は大部分日本国債だから、普通の企業へ貸すのと違って貸し倒れリスクも皆無。実際ここ十年での日本国債は史上最低世界最低レベルの低金利で借りれてる。
つまり日本国債が値崩れするときってのは日本が高成長になってる状況って事だから税収も伸びやすい状況。
無駄遣いがまず悪であって、その上で借金してまで無駄遣いはもっと悪だってことが言いたい。
その悪さ具合が、ただつかっただけというだけじゃなくて、利息分被害が広がるといいたい。
まさに失敗のレバレッジ。
国債の利息受け取るという受益があるのはほぼ日本人。利息を払うほうだけみて被害が広がるってのはやっぱりおかしい。
中国、インド。合わせて20億以上の人間が日本と同じステージにあがろうという時代。
資源高はとまらないでしょ。
資源高がとまらないというよりは、日本の調達力の相対的下落は避け得ない。
大量生産品の流通という点で工業製品価格や人権費はあげどまるだろうけど、
食料、天然資源とかは逆に上がりつづけるとおもうよ。
じゃなかったらこの需要を上回る供給が必要だけど。
供給が増える要素ってなんかある?
上がれば上がるほど採掘時の採算ラインも変わって供給は増やしやすいし、代替エネルギーやリサイクルもコスト的に不利でなくなっていく。これから日本はどんどん人口減って国全体での必要な食料や資源だってどんどん減っていくはずだから今までと同じ規模の調達力はなくてもいいだろうし、省エネ技術が進んでる分資源高騰は相対的に有利な面もあるし。
使おうと思えば際限なく金を使いたいし、
使わなくていいやと思えば本当最低限しか使わない。
やろうと思えば際限なくやりたいけど
やらなくていいやと思えば本当最低限の事しかやらない。
ひとたび「やるよ」スイッチが入るととことんまでやりたくなるけど
それを消すとどうでもいいよ……生きてるだけで……って感じになる。
スイッチが入ってると、興味あることにたいしてどんどん突き進んでいくモードになるため、金もどれだけあっても足りなくなる。
しかしなんというか「悟るモード」に入ると「でも別にそんな事しなくてもいくね?興味あるっていって色んな事やってるけどこれって単なる自己顕示欲とかじゃね?なら別にやらなくてよくね?」って感じでどんなに興味あることでも意識的に一歩引いて、冷めモードに入ると冷める。でもその冷めた意欲を意識的に回復させることも出来る(それがスイッチ入った状態)。
そんな感じで、どちらかしかない。
どうでもいいよ。無難でいいよ。とひたすら省エネモードで進む人生か。
基本的には前者が多いのだが時々後者にもなる。それの繰り返し。中間がない。
一度、このこととは余り関係ないが精神科へ通っていた時、「0か100かの思考は危険だよ」と言われたのだが、そんな事は重々分かっているのだ……でも直すことが出来ない。人生一番賢いのは、7割8割で進むことなのだろうと頭では分かっているがそれが出来ない。俺の場合「やる気」がオンオフの二通り、デジタルな感じに二つしかない。オンになれば100だが、オフになると0になる。その中間のそこそこのやる気というのが起きない。やる気に火がついたらかなり精力的になるけども、やる気がなくなれば本気で何もしたくなくなる。風呂も嫌だし歯磨きも嫌だ、パジャマに着替えるのも面倒だというレベルにまでなる。
しなくてはならない事はオフ状態でもやらなくてはならないわけで、そういうことは100ではないこともあるがそれでもせいぜいが10、20である。80や70という状態にはとてもなれない。そういう効率のよい賢い生き方が出来ない。
そういう性格を直したほうがいい、と幾人もから言われ続けてきた。それでもこの性格は治らない。
別に変な教育を受けたわけでもないし親に問題があるとも思えないのだが一体全体どうしてこんなややこしい性格になってしまったのか。やれやれ。
会社に入社して寮に入って気になったことがある。
「あれ、私の隣の部屋の人まだ会社にいたのに部屋の電気ついてるや。消し忘れたんかな。」
最初はそう思っていたのだが、よく見ると毎日だ。
しかも、よくよく見ると、そんな人が周りにごろごろいる。
子供のころから、使わない電気機器はコンセントを抜け、とまで教えられてきた私は非常に違和感をいだいた。
「え、だって、帰ってきたときに真っ暗やったら寂しいやん。」
友達に不思議に思って聞いてみたら、そんな答えが返ってきた。
しかも結構まわりの同意を得ている。
そんな考えがあったのか・・・
「別に誰に迷惑をかけてるわけでもないからいいでしょ?電気代は寮費に含まれてるんやし。」
電気の無駄遣いはダメっていうのは、きっと普通の教育を受けてきたらどこかで誰かに教わるはずだ。
でも皆、その無駄遣いダメの理由が、お金がかかるからダメっていうふうにしか受け止めてないんだな、って思った。
なんか、地球とか環境とかって実は全然関係ないのかなぁ、私が間違ってるのかなぁ、って気がしてきたよ。
電気を節約したって、水みたいに貯めることはできないんだっけ?
なんかわからなくなってきた。
「よく分からないけど、誰もいないのに電気がつけっぱなしやったら、私は気持ち悪いよ。」
そういったら友達は笑って私の言うことを流した。
やっぱり私が間違ってるのかなぁ・・・
でも次の日帰ってきたら、友達の部屋の電気は消えていた。
嬉しかった。
http://anond.hatelabo.jp/20070630035158
絶対とは言わないが、まずねーよw
エアコンの出力は1台で1kW程度、1時間つけたら20円程度だ。
一応、現在エアコンは1世帯に2台以上あるから、2台で40円としよう。
10万円を2台のエアコンで浮かそうと思ったら2500時間エアコンを我慢しないといけない。
5000時間というと、24時間つけっぱなしで104日。
この間エアコン2台を24時間フル稼働してれば10万円。ないだろw
もちろん地球にもやさしいですよ?
間違いじゃないが、冷房の消費量なんぞたいしたことない。
それに京都議定書はそんな消費者の省エネ行動も含めて達成するものだ。
っても、じゃーエアコン使ってもいいのね!やたー!いっぱい使うよ!
というのを推奨してるわけではないからね。一応。
このひとたち一緒に仕事してた同僚がつい先日しんだばっかりなのになにやってるの?
いっそのこと国会は冷暖房とめていいとおもうよ。
じゃないとまじめに省エネなんて考えられないでしょ。
ワーキングプアが! なんていってるかと思うと、
おまえは家で寝てろっていいたくなる。
教育問題が! なんつったところで公立校の大半なんてクーラーねーのが現状だべ。
冷房を切れば必然と国会議員の歳食った重鎮連中は昇天していくし、いいことづくめじゃない?
前いた会社の役員連中がでぶっちょコンビで、午後からしかこないんだが奴等がくると会社が極寒の地になってたまらなかった。
夏場なのにジャンバーきてるんだぜ?
そりゃ女の子どんどんやめてくわな
よぼよぼの人のつっかい棒を蹴り倒せ!みたいな言い方になってごめんね。
要は、医者も、かつてのあなたが心身ともに健康な人だったから頼んだのであって、食欲を失うような状況に追い込まれたあなただったら、同じようには頼まないはず。だから、あなたに協力を依頼した医者に、相談してみて欲しいのです。あなたが任務を果たし続けるとしても、精神的な部分のフォローは必要です。そのままだと共倒れですよ。
食欲がなくなって食事を取らなくなった場合、体重が減るだけではありません。免疫が落ち、風邪をひきやすくなったり、膀胱炎や女性の場合は膣炎のような、普段は自浄作用が働いていて罹りにくい病気にかかるようになります。
また、体は少ないエネルギーで生き抜くために、とりあえず直接的に生きることには関係ないホルモンの分泌などから機能制限していきます。心臓の動きも省エネ化されます。それらは自律神経失調や低血圧を引き起こします。
高くつきますが、ゼリー飲料やプリン(ちゃんと卵と生乳を使ったもの)等、のどを通りやすいもので、エネルギーの素をとってください。
あなたを大事に出来るのはあなただけです。誰かの支えになりたくても、肝心の支える側にヒビが入ってたら、いつか二人とも転んでしまうでしょ。大事にしてください。
朝だ。起きなきゃ起きなきゃ。ベッドを降りて、いつものように羽織を着て階下へ。
「ヴ…っ」 そのままベッドに逆戻りして、横になって、真っ暗なまま、一日、ずうっと、眠って、なにもかも忘れて、泥のように眠りたい。と思った。それもすごく身体の根底的な部分で。コアに近いところが。
拒否している。
いつものように、おきてご飯食べて着替えて身支度して、そういう一切合財を、拒否している。ほとんど生きることを拒否してるくらいひどいレベルのこんな拒否は、何年ぶりだろう。 それでも表面上は(誰に見せるのでもなく、自分に見せるために)いつも通りに行動をしながら、なにか原因があったか考えをめぐらす。特に何も思い当たらない。 まぁ、そもそも原因がなくてもなるときはなるし。対策の立てようもないので、省エネモードに切り替えて、最低限のことをどうにかこなして、日常のレールに乗っかれるようにする。
車を運転しながら、リストカットをするのを(私はしたことはない)「痛そう」というが、する側は痛くないんだよな。「痛い」より「切りたい」欲求が凌駕するんだよな。“虫刺され痒い”みたいなもんだよな、とかつらつら思う。 会社について、まだまだまだまだ気分は悪いが、身体はどうにか日常のレールに乗っかれたみたいだった。午前はいろいろ内面が拒否していたが、午後には普通になった。拒否しなくなったのか、日常を進む身体に精神が誤魔化されたのか、どっちかわからないけど、結果オーライ。
それにしても、四年前は毎日こんな拒否三昧だった。
私だったら死にたくなるね。いや、私か。もう、忘れた。
わたしはげんきです。