はてなキーワード: 歴史修正主義とは
はてブで目に入ったのをきっかけに関連話題を軽く追った素人だけど、
平等を目指してつくられた対戦ゲームでもないのに不平等を主張して
改善すべき現状に目をそらす原因になってる気がする。
まるで、強い性能のキャラや戦法を使うな、というような。
たしかに「相対化」は有効な戦法で
lovelovedogさんも強キャラなのかもしれない。
重要なのは相手が強い立場にあるということを受け入れて
対策を講じていくことじゃないんだろうか。
的確に反証して第三者を味方につけていくことと、
lovelovedogさんに対抗できるだけの
キャッチーなページをつくり育てていくことなんじゃないの?
人によって受け取り方もだいぶズレがありそうだし
第三者に意図通りに伝わることはなさそうでよくなさげ。
単に議論のアンチパターンのひとつの「相対化(または相殺)」として指摘したほうが
通りすがりの人にも理解しやすくていいんじゃないだろうか。
南京周辺の農村史100年でもやろうとしてるなら認めないでもないけど、視点も全然ユニークでもないし。単なる政治的ケンカだよ。まったく評価できないね。やるんなら何か新鮮な切り口を提示してよ。それなら認めないでもないけど、研究者の成果に乗って騒いでるだけじゃ単なるお祭り。
いや、俺は否定派だけど、別に自分の言う事が歴史学とは言わないし、ユニークと評価して欲しいとも思わない。
更に言えば、政治的ケンカ・お祭りだと言われてもちっとも困らないのよ。
つまりは肯定派が自分達の意見のみが、世界で認められた「学問」であり、それに反する“歴史修正主義者”が
ただの妄言を抜かしていると片付け、大虐殺があったという前提で議論を始めるのに反論してるわけ。
逆に言うと、むしろ肯定派の人の方が君の意見に反発するんじゃないのかな?
「自称中立派はこれだから始末が悪い」とか言って。
■劇場管理人は「差分がなければ日本は悪くない」と書いたのか?
→ 劇場管理人が問題としたのは「日本が悪かったか悪くなかったかの議論で差分が重要」ということではなく、「南京事件があったかなかったかの議論で差分が重要」ということだ。
南京で行われた虐殺・レイプについて差分があろうがなかろうが、日本が悪いことをしたこと自体はゆるがないだろう。
しかし、中国政府の「南京事件」は「差分」があったということで問題としている。したがって、誰がどのように悪いのか、という問題とは別に、「南京事件」の定義が何であるかという問題が生じる。であるなら、日本側としては「差分」の認識もなしに闇雲に謝罪するのは不誠実というものだろう。
これは、以前、私が知り合いの中国人から言われたことだ。
彼は、「日本人は、なにがどのように悪いのか理解しないまま、ただ謝罪を繰り返すばかりだ。そんなものは謝罪とは言えない。」
と憤っていた。
まぁ、http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080104/1199397671と同じことを言ってるだけですな。
で、こういう言い方をするとね、http://b.hatena.ne.jp/munyuu/20080104#bookmark-6981682みたいな反応が出てくるわけですよ。
from氏はリテラシーの低い読み手(=一般人)が悪いって言うんでしょうけどね。
劇場管理人が犯した罪は、「完全に固まっていないと倫理的・社会的・国際的に大問題となる通説を、ろくな知識もないまま再吟味することで、地盤を液状化させる危険性」を引き起こしたことだと考えている。
私が何かを新しく理解しようとするときは、常に、通説の再吟味から始まる。この、私特有の学習プロセスは、私の知る限り、もっとも効率がよく、かつ、深い理解に至る学習方法だと思っていて、せっかくだから、読者とそれを共有したいと考えていた。
実際、今回の件で南京事件に関する理解を深めた人間の数はかなり多いと思う。
しかしながら、そういったメリット以上に、「通説をなんとなく信じていて、とくに疑ってもみない」という大多数の人間が私の記事を読めば、「これは、絶対の通説ではなく、再吟味が必要なものなんだな」という印象を与え、「どっちかはっきりわからないよね」という印象を持つ人を生み、それが南京事件の否定派に有利に働いてしまうというデメリットの方がはるかに大きい。
もちろん、この点についても意識していたので、「私は素人であり、知識はない」ということを明示することで、そういうデメリットがを回避できると考えていた。つまり、専門家が南京事件について議論をしているのではなく、あくまで、素人が素人理解をしているだけだから、それは歴史家が行う南京事件論争とは別のモノなんだな、というこをとはっきり書いたわけである。
しかしながら、最大の問題は、最後まで記事をきちんとよむ一般人などあまりいないということだ。したがって、そういう人間が、なんとなく記事を斜め読みすれば、たしかに「南京事件はまだ論争中です」という印象を受けかねない。
この点については、たしかに、劇場管理人の罪は深く、迂闊のそしりを免れないと思っている。改めて深く、深くお詫びする。
http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080104/1199446715を読んだときも感じたんだけど、悪いと思ってないなら謝らなきゃいいのに。
文章も碌に読めないバカな読み手が悪いんだと思ってるなら、「罪」とか「深く、深くお詫びする」なんて言わなきゃいいと思う。
間違いを認めるか、間違ってないから誤解を解くために弁明するってだけにしておけばいいのに、なんで「罪」なんて言うかな?
私は歴史解釈が最終的にどこに着地するかには、強い興味はない。だから、南京事件の否定派でも肯定派でもない。歴史修正主義者でも反歴史修正主義者でもない。私は単純に、差分の部分が議論の核心だという感想を持っていて、その核心部分を議論せずに、人を非難しているブログ記事が目についたので、自分の疑問を説明しただけだ。つまり、結論に興味があるのではなく、議論のプロセスに興味があっただけだ。
http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080104/1199423836
どうせこの立場は変えてないんでしょ?
http://anond.hatelabo.jp/20080104210824
元増田です。ブクマの方に熱烈なご意見を頂いたので、つらつらと何か書いてみたいと思います。
2008年01月07日nagaichi不可知論いってるなあ…。デカルトでも読んで解毒したら?例えば大河ドラマを見ながら、武田信玄が実在したかどうか私は確認できませんとか、この人は言うんだろうか?俺も10代の頃はそういうこと考えたけどね。
2008年01月06日me-can-say-jinでは、あらゆる候補者をあなたは見たことがないから投票しなければいい。金融もサービスもネットも直接みえないのだから嘘かもしれない。ふ〜んて閉じこもって社会の外側の目に見える物だけで生きればよいです。
2008年01月06日zu2
2008年01月06日cubed-l自分自身の専門分野以外なんでも同じ。それでも楽に判断を下せるものはあるんだが
2008年01月06日good2nd「客観的資料とやらから妥当な結論を導き出す専門的能力がない」ので、アポロが月に行ったことも、水が言葉に反応しないことも、なにもわかりません><
2008年01月06日buyobuyoあたまがわるいそんなことは物理でも化学でも地学でも程度の違いで似たような構造があることになぜ気がつかない。何で歴史だけそういう風にしたいの?そこにお前の悪しき願望があるんじゃね?
2008年01月05日hagakurekakugo歴史修正主義微妙
2008年01月05日BigHopeClasic
結局、南京事件についても、どこか不可知論的に頭に放り込んどくしかないと思うのです。私も純粋に真実を知りたい一人なのですが、仕方ありません。
我々は原則的に<<生活世界>>の中で生きていて、その世界の中で「妄想」や「物語」を頂いて生きている、というのは周知のモデルだと思います。マトリックスの世界ですね。本当は目の前にある存在すら100%そこに存在すると確認することは出来ません。ただそこにそれが存在すると頭の中で妄想して生きている。化学の世界においても、原子や分子、そのまた原子核や中性子や陽子を実際見たことのある方は一人もいらっしゃらないと思いますが、あると妄想することを前提にその先の議論を進めているんですよね。物理の世界でもニュートン力学・相対性理論・量子論的に世界が出来ているという妄想が前提です。もっと言えば科学の前提にある数学、とりわけユークリッド幾何学上の公理からして幾分か妄想の域を出ないということもご存知であると思います。
ですが、ほぼ全てのことが妄想・物語であるから私は何も信じない!と宣言するつもりはなくて、社会の総意として「確からしい」とされている妄想・物語の大部分は私も受入れているつもりです。上に挙げた科学の諸理論であるとか、武田信玄がいたこととか、官僚機構や金融システムの存在であるとか。
ただ南京事件は決してそれらと同程度に、社会共有の妄想・物語とされているとは思えません。議論が過熱しているのがその何よりの証拠でしょうし、一般人にとっても「あった?」「なかった?」のどちらか分からないという程度が現状なのではないでしょうか。それは否定論者の宣伝が功を奏したのか、肯定論者の宣伝が足りないのか、その辺はよく分かりません。そして一般人としては、自力でどちらかの立場に到達するには、元記事にも挙げた1、歴史学的能力の点、2、資料収集の地理的・法制的制約等の点、で難しい。
ですからまあ、とぼける以外にないのです。
否定論者の方にとってはこういう態度は好ましくないのかもしれませんが、私のような一般人がとぼける必要もないくらいこの論点を「確からしい」ものとして物語化してほしいと思います。私もそれを受け入れられるよう体制をつくっておきますから、それまでは判断を留保しておくことをお許しください。
あんまり有意義なことかけなかったですね。でも書いたから上げておきます。
多分あなたの言いたいことは違うのだろうけど。だから以下はちょっと外れた論。これはこの問題だけの話で、別に何の比喩でもない。
どっちも歴史学の名に値しない、視野が狭いことをしてるって時点で論外って言いたかった。これは研究者に乗っかって騒ぐネットの人たちのことだけども。時代の探求が目的ではないのだもの。歴史修正主義者も反の方も政治目的の運動に見えるんだよね。歴史というなら、その時代全体の考察まで発展するのが本当じゃないかなあ、と思う。今の論争ってそうじゃないからね。その指摘は必要だと思うししたかった。それは思考停止と言うより方法論の批判としてみてほしい。それは必要な視点だと思う。
>中立とか相対化というのは価値判断の放棄だから。頭悪い人が人がどちらがよりましかの判断できないのをごまかしてプライド傷つかないように思考停止してるだけでしょ
と言うことを言いたいなら、この問題は適さない。この問題の場合、どちらがもっともに聞こえても、どちらも予定調和で発展性がない問題にしか思えない。言えるとしたら歴史じゃなく政治だね、と言うこと。
>首突っ込むならどの史料がよりましなのかって事を自分で判断して、どっちもどっちとか思考停止するなって事
意見を言えというなら、史料にviolenceと言われている時点で責任はあるでしょう、と思うけど、それだけでは歴史学ではないよね、と思う。他の研究が必要。歴史学と偽装しているとさえ思う。少なくとも乗っかってるネットの連中は。
あなたが言っているのはきちんと問題に入って自分で考えろと言うことなのだろうけど、この問題ではそう言うしかないよ。別の問題なら別だけれど。
私は知らない。南京で何があったのかということは何も知らない。当たり前の話で、私はその時代のその時刻のその場所にいなかったわけだから。存在すらしていなかったのだから。
これはすごく決定的なこと。だから現に何があったかということを確認できない。どうあがいても確認できない。
だから、「南京で虐殺があったんだぜ」といわれても「ふーん、でもなかったかもしれないんでしょ」と応答するより他はない。もちろん「南京で虐殺なんざなかったんだ」といわれても「ふーん、でもあったかもしれないんでしょ」と応答するより他はない。
とするとおそらく、客観的資料とかゴロゴロ転がってるんだから自分で科学的・学術的・実証的に確認の努力をしてみろよ、といわれることと思う。
そこに大きな溝が横たわっている。つまり、まず自分には、
ということで結局、南京がどうとか知るのは土台無理な話なのです。私だけでなくほぼ全ての人がそうなのだと思います。だから信頼できそうな思想家・評論家・研究者の著作・論文などを読んで、それをそのままオウム返しのようにして語っていくより他にありません。その辺りがほぼ全ての人間の限界であり、現在のネットや酒の席での議論の限界かと。
で、その先は結局こうなる。「○○先生の主張によると…」←「でもそれってまちがってるのかもしれないんでしょ?」「それって都合のいい資料だけ抜き取ってきたものなんでしょ?」「それってイデオロギーだよ」「プロパガンダ乙w」「○○厨ワロスw」
やっぱりだめだ。読書などを通して確認の努力をしてもどうにもならない。誰がどんなにムキになって主張を展開してきても私はとぼけることしかできません。悲しいことですけど。
誰か全ての客観的資料と過去の全ての論争プロセスをネットに上げてくれないかな。膨大な量になることでしょうけど。そうすれば何かを知ることは終局的にはありえないとしても、市井の論者の虚妄ぶりは幾分か解消することができるでしょうに。
ここにまとめがあるよ。
南京事件議論まとめ
俺はあんまり見てないな。ときどき「はてブニュース」に挙がってくるエントリーを見るだけ。
id:clawという左翼が正月早々、反南京事件否定派のエントリーを
上げてから、それに呼応するように、はてなサヨクダイアラー達が
昔から南京を取り上げていた由緒ある(?)左翼系ブログがそれはもう一斉に。
組織的な動きがあるのかどうかは知らんけど、
何か関係があるのかも知れないね。
こいつら、何をたくらんでるのかね。
なんでキレてるのか知らないけど。
学問的にはほぼ結論は出てるのに、それが政治や一般メディアではほとんど反映されてないことへの苛立ちかな。
普通、「戦時中の生活は貧しくなかった。気楽に生きてる人もいた」なんて歴史修正主義はないでしょ。もちろん気楽に生きてる人も無数にいただろうけど、だいたいイメージされている戦時中の生活ってのは確かにある。たぶんニュース映像や「ほたるの墓」などの文学作品を通じて形成されたものだろう。「戦時中の生活は貧しかった」ってのは公的記憶になっている。
それに対して、南京事件や慰安婦などについてはそういう国民的なイメージや記憶はできていないし、これからもできないだろう。
(「真相はかうだ」の影響はやっぱり限定的。むしろ、比較的若い世代は、小林よしのり「戦争論」や2ちゃんコピペでイメージ形成してるかも)
http://anond.hatelabo.jp/20080104185310
>「歴史修正主義者」とはてなの「反歴史修正主義者」は「どっちもどっち」
これは自分も歴史じゃなく予定調和のお遊びだとこういう意味でhttp://anond.hatelabo.jp/20080104173608そう思うのだけど君はどういう根拠でどう思ってるの。
http://anond.hatelabo.jp/20080104185610
なんでキレてるのか知らないけど。
君は政治運動としてとらえてたの。それとも学問として捕らえてたの。
自分はブロガーがやってる議論や手法が整備されていないし、南京事件にしか目を向けてない時点で政治っぽくて反対なのだけど。
確実に言える事は、今回の揉め事で南京事件が実在したことと、歴史修正主義が学術的(笑)な根拠に基づかないということを認識した人が増えたこと。
そういう一部の反歴史修正主義者の粗野な言動を持ち出して修正主義と相対化するのは論点そらしのような。
個人的な好き嫌いで事実確認ができなくなるような人にすかれても仕方がない。
個人的には1なんてほぼいないし荒唐無稽すぎるんだから2に注力したほうがいいように思うが。
秦氏のはclaw,apemanの両方で肯定されてるのに何で歴史修正主義と扱われてると勘違いしちゃうのかが不思議。修正派のほうが秦レベルもプロパガンダ扱いしてると思うんだが。
>例の教科書検定検定撤回要求集会の参加人数を主催者発表より少ないと主張していた人が
>その「数字」をどのように利用したか調べたら、貴方が歴史修正主義者に踊らされていると判ると思います。
しかし「教科書検定検定撤回要求集会の参加人数」を政治的に利用して、教科書検定を何とかしようとした人間はいるし、目立つし、ネットで叩かれている。しかしマスコミは、叩く側とそうでない側がいる。
http://anond.hatelabo.jp/20080103051229
「30万は誇張」というのは、二通りの意味がある。
これは叩かれるわな。
3は本当に関心のない奴がそもそも南京事件にコミットするのはおかしいので
bluefoxやApemanあたりがいう「カジュアル否定論」者がそれに該当すると思う
はてブでそれっぽいコメントを書いている人に注目すれば分かると思うけど、3の人間はたいがい肯定派だよ。単純な話で、労力を割いて真実を探求しようなんて思っていないから、この問題に関してはとりあえず学校で習った通りの認識を持っておこう、と判断しているわけ。とはいえ、自分が消極的な立場だと知っているから、否定論者をことさら「啓蒙」しようとはしないけどね。
3の人間はこの問題にコミットしているわけじゃなくて、普段チェックしているはてブやRSSフィードに出てきた話題を受動的に一読して、「こういう話題もあるんだな」といつもの習慣ではてブやここに一言感想を書いているだけだろう(少なくとも俺はそんな感じ)。だから、コミットするのはおかしい
という前提がそもそも当てはまらない。
====(以下、蛇足)====
周知の通り、はてな界隈には(俺を含め)情報技術者とか理系大学生が結構いるのだけど(アーリーアダプタ(笑)だからね)、南京事件に関する議論に対して「どっちもどっちだ」という反応を顕著に見せているのは恐らくこの層だろう。自然科学的方法論に毒された人間がこの問題を眺めると、そういう結論にならざるを得ないんだよ。自然科学では手続きの妥当性によって客観的な正当性が担保されるから、相手の人格否定に重きを置くような論者同士の意見には優劣を付けられない。主張の内容レベル以前の問題で。だから、「どっちもどっち」は「主張の内容のレベルが同程度だ」という意味じゃなくて、単純に「手続きのレベルが同程度だ」という意味でしかない。
※例えば似非科学問題の場合、きちんとしたバックグラウンドを持つ似非科学批判論者は似非科学信者を「知識がない」と判断することはあるが、だからといって「人間として劣っている」というように扱うことは決してない(しばしばおかしなシンパが現われて話をかき回すから話がややこしくなるけど。。。まあ、今回の件だって、「きちんとした知識を持つ反歴史修正主義者(=はしげた氏)」の議論に便乗した「おかしなシンパ(=claw氏)」の出現が原因で混乱したんだろう。claw氏の偽悪的(?)なエントリがなければそもそも3の人間は反応したりしなかった)。
要は、否定論者vs肯定論者の構図が政治信条や歴史知識の衝突になるのに対して、無関心層vs肯定論者の構図は「手続きの妥当性」と「主張の内容」のどちらを最重要視するかという問題でしかないから、まったく議論のありようが違う(し、そもそも議論の必要がないと思う)。
歴史問題に自然科学の視点を持ち込む愚とか、日本人でありながら過去の大戦のことを真摯に考察しない愚かさとか、3の人間にもツッコミどころは多いと思うけど、少なくとも否定論者ではない(≠肯定論者である)以上、1や2の人間と同じ方法で「啓蒙」を図っても無益だということは理解してもらえると思う。まして、「良く知らないなら発言するな」のような難癖が登場してしまうと「ああ、自分に賛同しない人間は《敵》だと感じる、世の中に白か黒しかないナイーブな人種なんだな」と考えざるを得なくなってしまうよ。。。
上では、肯定/否定の意見を主張する人々を「―論者」、肯定/否定の考えを持っている人(主張しない人を含む)を「―派」と表現しました。肯定論者と肯定派の区別がちょっと伝わりにくいと思ったので補足。
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080103/p1
このエントリとか、手続きの妥当性を最重要視するタイプの人物の存在に無自覚なせいでぐだぐだになっている論説の典型だな。。。と思った。
いろいろな反応ありがとう。↑で「理系」と表現した部分は「アカデミズム」のほうがより相応しいかな、と思った。あるいは、潔癖なおたく(ギーク)。いや、それだと格好つけすぎかも。身も蓋もない言い方をしてしまえばd:id:Apeman:20080104:p3で指摘されたように単に他人事としてながめてるから
で済むんだから。興味を持った事象(の興味を持った側面)の分析・探究には力を注ぐけど、それ以外の部分、特に価値判断に類する事柄にはまるで無頓着な態度。そうした姿勢がときに不適切な結果を利してしまうということは原子爆弾の製造に関するアインシュタインの功績を考えるまでもなく明らかだけど、興味がないんだから仕方がない。
……とか書くと「お前みたいに知性のないヤツがアカデミズムを名乗るなど片腹痛い」なんて言われそうだけど。そりゃあんたにとっての「知性」と俺にとっての「知性」の意味が違うだけだよ(笑)
http://anond.hatelabo.jp/20080103051229
ウィキペディアにも載っているではありませんか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/南京大虐殺論争
>従来の、南京での虐殺そのものが無かったといった論調ではなく、北村稔などの主張する、
>南京で虐殺と言える殺戮があった事は認めるが「犠牲者30万人」は誇大である
>として、あくまで「中国が主張する30万人説」を否定するといった論調が主流となっている。
しかし、「30万人という数字は誇張ではないかと主張する人間」ですが
Apeman氏のブログに突撃してくる人々は、自分はそうだと、みんなそう言っていて
話を進めると読んでる物が歴史修正主義者のものだけで
秦氏や笠原氏の本は全く目を通していないのが判明します。
大体どうして歴史研究者でもない人がどのような政治的意図で「主張する」しているのでしょうか。