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はてなキーワード: 普遍性とは

2009-05-12

音の高さは周波数で表現される。周波数が2倍になったとき,われわれは音色が保たれたまま1段「高く」なったと感じる。4倍で2段。2^n倍でn段となる。これに必然性はなく生物的所与条件にすぎない(たとえば,3倍を1段と感じたり,100Hzごとに1段と感じる生物がいてもよい)。人間の耳は20Hz~20000Hzまでの音を知覚できるので,最大10段程度(2^10=1024倍)の音色を聞き分けられることになる。

1段を細分化する制度音階である。分割の仕方には2つの論点がある。まず,いくつに分割するか。一般によく知られているのは12階に分割する方法(12音階)だが,これが「正しい」わけではない。5音階や3音階採用した音楽文化も存在する。次に,どのように分割するか。先述のとおり音色は比で決定されるので,差で分割するのは普遍性に欠ける(1段内のみなら可能だが,2段目以降に適用したときに破綻する)。人間の耳は最小で周波数の0.3%が変化したときにその変化を感知できることが知られている。よって1.003以上の比で分割することになる。各音の比を可変にして,常に整数値になるようにしたものを純正律,また各音の比が一定になるようにしたものを平均律という。平均律12音階制を採用した場合,各音の比は12√2になる。これは無理数であるので,これをもとに音楽を奏でるときには近似値を用いなければならない。

平均律12音階を前提としたとき,ある音の周波数Fは

F = f * 2^(x/12)

と表すことができる。なおfは基準音,xは基準音からの隔たりを示す整数音程)である。前提から自明であるが,これは離散的な値をとる。

音階に基づく音を時系列に沿って表示する記号体系として五線譜が広く用いられている。周波数の高低を視覚的な上下に置き換えて示すため直観的にわかりやすい。この五線譜周波数グラフとして考えることができる。各々の線は等比的な増大を示すため,対数グラフである。ただし一般的な五線譜記法は7音階+5半音という古典的な考え方に基づいているため完全な対数グラフではない。

2009-05-10

anond:20090510041159

大丈夫か、お前、とまでは言わないけど、

こういう主観的評価の為の単語って、

文脈の中でしか意味を持たないから、

定義だけ切り抜いて「本当にいるのか?」と問われても、

「その限定的な一連の状況の中では『本当に』そう思った」って言えるだけだし、

普遍的な賢さってなると、そもそもそれを評価する為の価値観普遍性を保てないから、

厳密には普遍的な賢さはありえない、ってことになると思う。

こんなのだらだら説明するのも愚かだが。

2009-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20090502162113

なんだか味とか感性言葉じゃ説明できない、感じるものなんだって風潮が最近はやってるが

流行ってるか? 昔からある普遍性だと思うけど。

かのブルース・リーも「Don't Think. Feel!」と

言ってるじゃないか。

2009-04-22

文章を書くときに気をつけること

文章を書くときに気をつけること

  • 年を書く。例) 2009年
    • 西暦でも元号でもよい。でかい事象は18cなどと丸める。
  • 人物の歳を書く。例) 麻生太郎(68)
    • 正確にわからなければ「20代」などとしてもよい。
  • お金・値段を書く。例)給付金12000円
    • デカい数字は23兆円などと上2桁をとっておく。端数にあまり意味はない。
  • 人口や人数を書く 例)日本人 1億2000万人
    • これも値段と同様に概数でよい。
  • 初見の地名は地図帳で確認する 例)奈良県葛城市
    • 調べた地名は地図帳に蛍光マーカーで印をつけるとよい。

これらの数値・地名は普遍性があるので、他の事象と簡便に比べたい時に非常に有効。

必ず書くように習慣づけると良い。

2009-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20090219182146

そうかもねえ。

でもまぁぶっちゃけ個人的な意見としては、毎年3万人自殺するのは別にどうでもいいな。

分散がでかいのもいい。ただ底上げをして欲しい。

それだと結局また自分らの手に負えないものを作り出すだけじゃね?って話もあるけど、

そう単純なスケール普遍性が成り立つかっつーとそうでもないかもしれないし。

2009-02-06

長く生き残っていくために

http://anond.hatelabo.jp/20090205093759

 だからさ。笑いの質が「いじめ」に起因していると、いっときは笑えても、だんだん笑えなくなるんだよ。なぜか? 最初は「自分とは関係ないフィクションだから」と思っていられるんだ。でも「いじめ」というのは、どこにでもあり、誰の心にもあり、しかも、自分がいつ加害者になるか被害者になるかわからない、という、普遍性の高いものだから、ネタを見ているうちに、やがて、心当たりのあるシチュエーションが出てきてしまうわけさ。そうなると、もう他人事とは思えない。昨日までゲラゲラ笑えたネタが笑えなくなる。

 そんなこと、他の誰より、お笑い精通しているお笑い芸人が知っている。

 具体的に言うと、「きれいな顔が変な顔になる落差で笑わせる」というのなら、芸人本人が笑われるだけで問題ない。でも、「変な顔を強調して笑わせる」となると「変な顔(と思われている)の人」全員を笑うことになってカチンとくる人が現われるわけだ。

 長くお笑い芸人でいたかったら、出来るだけカチンとくる人が少ないネタを見つけて、自分のものにしないといかんわけさ。

2009-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20090129144855

だからさあ

  • 当人が男か女か
  • 評価する側が男か女か

価値尺度が大きく変わる、って話を元々してんのに

どうして「人としての価値」とか言い出すわけ?

それは男女間の普遍性が小さいってことだよ?

つまり「アタシが正しいから正しいの!」って言ってるだけで

何も言ってないに等しいってことわかってる?

2009-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20090120003918

増田とはちょっと視点が違うけれども、

世界記述する」という意味ではたしかに科学宗教かもしれない。

それでも、科学宗教とは違うと思う。

ドグマ記述された世界無謬性】がなによりも大事なのが宗教

記述を常に改変し実存に近づける】のが最も重要科学

そもそも、科学は“人の役に立つ”から偉いわけじゃないんだと思う。

科学が描く実存世界の蓋然性の高さ、普遍性の程度の高さの故に科学は尊いんだと思う。

科学が描いた世界地獄のようで、全然人の役に立たなくても、それでも科学は尊い。

なぜなら、世界地獄のようだ、という現実を我々に知らしめてくれるのだから。

確かに科学っていうのは宗教っぽいですね。

2009-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20090111005413

実話だという証拠がない。

仮に実話であっても、単なる増田の個人的な事情であり明らかに普遍性を欠いている。

2009-01-10

セックスしたい人、可能な人、絶対無理な人

http://anond.hatelabo.jp/20090110181359

こ、これは、とても重要なことが書かれている気がする。「その人の生命を体内に受け入れることができない」は名言。これはある。すごくある。

わたしの場合、30年以上生きてきて、セックスしたい人は1人しかいなかった。ちなみに、出来なかった。したい相手とはそんなものなのかもしれない。

絶対無理な人というのもいる。そういう人は5パーセントくらい。ただ、後述するように、なんらかのきっかけで性愛対象として意識したときにしか分からないので、実際はもっと多いのかもしれない。

そして、その他9割以上の男性は可能な人だ。きっかけがあれば可能だけど、きっかけが無かっただけ。こういうのもビッチと呼ばれるのだろうか。わたしの場合は、この9割の中にはあまり差がない。イケメンだろうが高収入だろうが、(わたしに)親切だろうが不親切だろうが、あまり関係ない。ただ、そういう機会があるかないかだけ。受け身の性だからこんなもの。

そして、絶対無理な人。

もう絶対無理、無理無理無理無理カタツムリ級に無理。

この男とするくらいなら舌噛み切って死ぬ!って勢いで無理。

そして、そういう人が近くにいると、なんというか、他の人に対しては全くそんなこと思わないのに、その人の場合だけ性的イメージでいっぱいになることがある。その人と接しないといけない期間中は寝付きが悪く、その男の子供を孕む悪夢みたいなイメージで汗びっしょりで目覚めることすらある。近くにいる間は一瞬も気が休まらず、神経がピリピリしている。本能が全身で警告を発してる感じ。

心配性な男性のために言っておくと、ここまで嫌な反応が出るのは、なんらかの性愛を予想させるアクションをした人に対してだけで、ただの仕事仲間とかの間は全然思わない。

さらに心配性な男性のために言っとくと、そうなったら相手本人に対しては嫌ってることは隠しませんが(社交辞令で期待させて実力行使に出られたら嫌だから)、必要な会話はするし、女性同士でキモいと言い合ったりもしないし、感情の激しさの割に表面的には穏やかです。

そしてここからが不思議なのだが、無理な理由は全く説明不能。どんだけイケメンだろうが評判が良かろうが駄目な人は駄目だし、逆もある。理由を強いて言語化すれば「不健康そうに見える」ことだと思うのだが、自分から見て絶対無理でも他の女性が受け入れた(それも渋々ではなく積極的に)例も見ているので、自分にだけ不健康そうに「見える」のではないかと思う。全く本能としか言いようがない。このことを自覚するとき、自分子宮で生きていると思う。この言い回しは女性には評判が悪いようだが、一面の真理があると思う。これだけ強く本能ドライブされてコントロールが全く効かない、「無理なものは無理」から一歩も動かせないのは、この件だけだからだ。

なお、絶対無理と思ってしまった相手については、その後の言動から、やっぱり駄目な人だったと思うことが多いのだが、その意味自分の勘は正しかったと確信するケースばかりなのだが、しかし、嫌いという感情が先にあってその理由を無意識に探しているのかもしれず、慎重に受け止めるように心がけている。本能に基づいた個人的な感情を社会的な場面に持ち込まないように注意している。

これは本能としか言い様のないもので、本人には変えようが無い。また、自分が絶対駄目だと判定した人でも、他の女性にとっては好ましい相手であることもある。自分にとって駄目だからと言って、その男性普遍的に駄目なわけではない。ネットなどで男性が特定の相手とセックス出来ないことを嘆いているのを見ると、さらに特定の相手が受け入れてくれないことを普遍的に駄目だと解釈しているのを見ると、理由のないことで拒絶されている男性と、生理的嫌悪感と戦っている女性の両方に(勝手に)感情移入して、胸が苦しくなる。努力では変わらない。さっさと次行け。としか言いようがない。

最近恋愛の成立を、なんでもかんでも努力普遍性に帰する風潮があるが、何割かはこのように努力のしようがないものが混在していると思う。それは生物としての相性なのかもしれない。しかし男性にとっては殆どブラックボックスで、理不尽さが募るだけだろう。数をこなせば、このような構造が見えてくるかもしれない。とりあえず理由無く拒絶する側としては心苦しく、たった1件の事例で落ち込んでないで数こなして下さいと思っている。

おまえらなんでセックスの話ぐらいでもりあがるんだよ

と一瞬疑問に思ったが、これは人類当事者だからあたりまえなんだな。童貞処女もその用語をあてられた時点で「まだやってない」「新品」という当事者

いつまでも、誰とでも話が通じる。他に類を見ない普遍性だ。日常会話でチンポコがかゆいとかオッパイもみてえとか言い続けるとかなりの高確率でアホ扱いにされるが、これは裏をかえせば皆が下ネタだと知っているからこそ皆がアホ扱いできるということなのだ。

問題はアホ扱いである。生殖行為は生命一般に通じるくらい重要な要素なのに、「衣食住」みたいなカテゴリーには絶対入れてもらえないのだ。「衣食住性」でもいいくらいなのに。

しかもこんにち社会における性は抑圧につぐ抑圧を重ねられつづけている。もはやアホ扱いというのどかな段階はというに過ぎて、セクハラという名の性犯罪者扱いである。公の場で性の話をしないというのが分別ある大人の常識責任ある社会人の良識とされてしまっている。

ところで先ほど自分は「チンポコがかゆい」とか「オッパイもみてえ」とか書いたが、もっとも抑圧をうけているのがマンコである。マンコは一番しゃれにならない。テレビ芸人チンコを(修正されようとも)丸出しにする場面はあってもマンコを丸出しにする場面は皆無である。

とにかく、皆が性に関して自分なりの考え方や意見をもっているはずなのに、それを発表する機会が今の社会にはないのである。

ネットを除いては。

2009-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20090104175950

夜勤は極端な反例だ。苦しいぞ。

苦しくもなんともない妥当な反例と思うが。

むしろこれに根拠を出して反論できてないそちらが苦しい。

普遍性が部分的かどうかは何を全体集合とするかで変わるのだから、何が全体集合か了解している人どうしの間では、普遍性という言葉使用しても何ら問題ない。

それなら何が全体集合化を明示するべきでは?それをせずに誤解されまくっても示さないのはスマートでない。

意識してない不満はないで良いというのは勝手だが、影響力で見たら意識してる不満と無意識での不満とどちらが大きいと思う?

そもそも無意識の不満は反証不可能なんだから無理やりあると決め付けない限り存在しないと同じ。影響力で見ても圧倒的に意識してる不満のほうが大きいというかそれしか存在しないといっても過言ではない。存在するかどうかもわからない無意識の不満をどう定量化するのやら。勝手に決め付けてるだけだろうに。

http://anond.hatelabo.jp/20090104174217

夜勤は極端な反例だ。苦しいぞ。

普遍性が部分的かどうかは何を全体集合とするかで変わるのだから、何が全体集合か了解している人どうしの間では、普遍性という言葉使用しても何ら問題ない。

意識してない不満はないで良いというのは勝手だが、影響力で見たら意識してる不満と無意識での不満とどちらが大きいと思う?

深層心理学とか信じない人?

http://anond.hatelabo.jp/20090104172949

早寝早起きしてたらリストラされないなんてことはないがそれでも早寝早起き人生全般に利益をもたらすことにはかわりない。

夜勤もあれば残業が多い会社もあるんだからそれはないよ。自分は早寝早起きするから夜勤しません残業しませんとかいってたら真っ先にリストラ候補。

完全に普遍な方法などもとより無いのだから、部分的にでも普遍性があることをもって普遍性と呼べばいいじゃないか。

それなら普遍性があるなんていう必要ないじゃないか。部分的にしか適用できないのに普遍的とか言うのはうそつきといわれても仕方がない。そして普遍的な方法がないという事を理解してるなら自己啓発書だって完全でないんだからそれを読むほうがいい人だって部分的だということもわかるはずだし、仮にそれを読む人が減っているとしてもその本が役に立つ部分が減ってるという可能性もあるだろうに。にもかかわらずそのあたりを考慮せず嫁と闇雲に進めるのはスマートでない。

そうだ。無意識で不満に思ってる可能性はいくらでもあるんだから、その不満を打ち消すだけの努力をせずに、ただ幸せだと思いこもうとするのは無理があると言っている。

本人が意識してないのに不満があると思い込ませようとするほうが無理があるどころか有害と思うが。意識してないなら不満はないで良いだろう。意識してしまうほどの不満にだけ対処するほうがスマートだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20090104171035

早寝早起きしてたらリストラされないなんてことはないがそれでも早寝早起き人生全般に利益をもたらすことにはかわりない。

仕事で文章を読み書きする人なら誰でも読み書き能力の鍛錬に意味があるのだから、そういう意味では普遍性がある。

完全に普遍な方法などもとより無いのだから、部分的にでも普遍性があることをもって普遍性と呼べばいいじゃないか。

そうだ。無意識で不満に思ってる可能性はいくらでもあるんだから、その不満を打ち消すだけの努力をせずに、

ただ幸せだと思いこもうとするのは無理があると言っている。

言論の自由というか、本人の問題だからな。私はあとで不満言われても大した不利益を被らないが、当人にとってみればどうか分かったもんじゃない

http://anond.hatelabo.jp/20090104165519

例えば「早寝早起きしよう!そうすればこういう効果がある!」などは普遍的な自己啓発で、個別の問題の解決には役立たないが、それでも多くの場面でプラスに作用することには違いないだろう?

早寝早起きしてたらリストラされないなんて事はないと思うんだが。

例えば、研究者として論文を上手に読みこなしたいから文章要約練習をする。これは個別な問題に普遍能力が役立つ例ではないか?

その方法は普遍性はない。なぜなら誰でも頭脳労働をしてるわけじゃないから。

幸せだと意識上では思ってても無意識では不満に思ってるというのは実際よくあることだよ。

いやその論法だといくら自己啓発しようが無意識では不満に思ってると決め付けることは可能だろう。本人が否定しようが無意識だから気づいてないだけといえばいいんだから。

そうするのは勝手だが、あとで不満を言うなよということだ。

言論の自由くらい認めろよ。努力する市内にかかわらず周囲の状況も気分も移り変わるわけで後から見て昔の自分の行動に不満を持つのは否定できないと思うが。

http://anond.hatelabo.jp/20090104162237

そういう流行りモノではなくて、自己啓発はあらゆる願望を実現するのにプラスになる普遍的なものなんじゃないだろうか?

そういう普遍性のあるものこそ逆に個々の問題の解決には役立たずだろう。

他人と比較せず満足出来るなら良いが、無意識では不満に思ってる人が大半なんだろうな。

無意識」とか言うのは反証不能でただの決め付けだよ。

それを言うなら他人と比較して不満を言う人だって無意識では満足してるとも言えるだろ。

「成功が約束されてないなら頑張っても無駄だ」と考えて怠けてたのではリストラされるぞ。

どうせリストラされるなら努力しないで楽するほうがスマート

2008-12-28

僕が社会学を学ばない理由

http://anond.hatelabo.jp/20081228195935

俺の親は社会学教授だ。

が、俺は社会学を学びたいと思ったことは全くなく、大学理系情報系に進んで今に至る。

俺が社会学を学ばなかった理由は、一言でいえば、普遍性が感じられなかったからだ。

>彼は居場所を探し続けて失敗した。僕は居場所を探すことをそもそも諦めた。

>代わりに、僕は「よそ者」になることを選択した。

いや、お前は「よそ者」になりきれていないと思う。

本当の「よそ者」であるならば、「居場所」以外にも興味の対象がいくらでも出てくるはずだ。

例えば、お前はソビエト崩壊に興味はあるか?

ルワンダ内戦はどうだ?

全部、日本人には他人事だが、当事者にとっては「居場所」がなくなる大事件だったんだぞ。

社会学が人の「居場所」について論じる学問であると仮定しても、「居場所」に属する人数からすれば、こっちの方が問題として重要そうだとは思わないか?

結局、お前の言っている「居場所」っていうのは、日本社会のどこかの学校のどこかのグループっていう、非常に規模の小さな人の集まりのことじゃないのか?

社会学

>それは身の回りのモノ全てを客観的に説明しようとする。

>それは時に冷徹なまでにモノを他人事として受け止めさせる。

>それは居場所の無い僕に「よそ者」として生きる道を与えてくれる。

>だから僕は社会学を学んでいる。

感想を言ってやろうか。小さい。問題関心が小さすぎる。

お前は、「よそ者」になる、と言っておきながら、結局は、自分の入れなかった小さな小さな「居場所」を羨み、そこに何で入れなかったのかを考えて楽しんでいるだけだ。学問自分の慰み物にするな。いつかバチがあたるぞ。

学問は、もっともっと冷徹だ。「そんな小さな集団は論じるに値しない」って言って、お前の問題関心そのものを切り捨てることだってできるんだぞ。

本当に「よそ者」になったのなら、社会学以外にも問題関心が向くはずだ。自分のいた「居場所」以外にも問題関心が向くはずだ。

社会学をやりたいなら、まず、「居場所」って何か、自分以外の人間にとっての「居場所」ってどこか、ちゃんと定義して記述してみろ。

2008-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20081220012005

派遣制度に代わるべつの制度が現行の派遣制度に劣る、ということの根拠のなさと同様に? なら認めよう。批判することも、現行の制度を褒めることと同じレベルで「あっていい」ことになるじゃないか。なぜ「正気の沙汰じゃない」と断じたのかね。

派遣制度をなくしても派遣社員がもっといい条件で雇われるとは思えないから。

労働規制を強化するほど失業率が上がるのは経済学的にも言われてることだが。

失業者予備軍の派遣がわざわざ失業が増えやすい制度にしたがるのは「正気の沙汰じゃない」ってこと。

つまり普遍性のある「"制度批判"批判」だって言いたいのよ。もう一度言うけど制度批判自体を封じてどうすんの。

なんか勘違いしてるようだが、こっちは制度批判するなといってるわけじゃないんだが。ちょっと前にも「言論の自由をなくせといいたいわけじゃない」と書いたはず。

それとも「制度批判」はいいけど「制度批判批判」はだめだといいたいのか?

制度の恩恵を受けてるものがその制度の批判をするのは理に適ってないといってるだけで「黙れ」ということじゃない。

http://anond.hatelabo.jp/20081220010804

派遣制度がなければもっといい条件で雇われたという根拠がない。

派遣制度に代わるべつの制度が現行の派遣制度に劣る、ということの根拠のなさと同様に? なら認めよう。批判することも、現行の制度を褒めることと同じレベルで「あっていい」ことになるじゃないか。なぜ「正気の沙汰じゃない」と断じたのかね。

あと一応突っ込んどくが生活困窮者をどうするかというのは倫理的な問題じゃないのか

集団のレベルではそうだね。でもその意見を封じるかどうかはもっと根本的な問題だ。

それに他の言葉に置き換えても通用するということはそれだけ普遍性のある主張と認めたようなものと思うが。

つまり普遍性のある「"制度批判"批判」だって言いたいのよ。もう一度言うけど制度批判自体を封じてどうすんの。

程度の多寡を勘定に入れても必ずしも正社員自営業のほうが不安定とはいえない。各人によって違うわけでそこを一切考慮せずに派遣=不安定というのは短絡的。

それはその通りだね。

http://anond.hatelabo.jp/20081220005646

派遣社員を他の言葉に置き換えたって通用する。正気の沙汰じゃないと断じる理由は? 倫理の問題以上のものではないだろうこれは。生活が困窮するほど制度によって被害を受けるならやはりそれは批判に値する。

生活が困窮するのは派遣制度のせいとはいえないだろう。

派遣制度がなければもっといい条件で雇われたという根拠がない。

あと一応突っ込んどくが生活困窮者をどうするかというのは倫理的な問題じゃないのか?それに他の言葉に置き換えても通用するということはそれだけ普遍性のある主張と認めたようなものと思うが。

程度の多寡を勘定に入れない詭弁だ。

程度の多寡を勘定に入れても必ずしも正社員自営業のほうが不安定とはいえない。

各人によって違うわけでそこを一切考慮せずに派遣=不安定というのは短絡的。

2008-12-18

「その人の属性ではなく人間が好き」みたいな発言をここんとこ目にするんだが

どうも違和感がある。

どんな人間だってそれなりに普遍性のある種々の属性に分解できるのが当然だと思うのだ。属性の集合が社会における人間じゃないのか。レッテルっつーと聞こえが悪いが、もちろんそういうものを最初は好きになるのだ。深く知るに連れ、集合全体を愛することもあるだろう。それが「人間として好き」ということなのか? 「属性が好き」と矛盾しないような気がしているのだが・・・・。

もちろん、ある特定の属性だけを重要視する態度は親しい間柄にあって非難されるに足るものだけど。「属性が好きなわけではない」と前置きする態度も変だろう。その人の本質は分解されえないものか?

追記。

腑に落ちない点ではあるがそう言ったスペック自分を構成する個性努力で勝ち取ったものでもある。

そうそう、そういうことだよね。

きっと君は属性を愛する人なんだよ。オレは違うけどね。

どう違うのか? 説得力を感じない。愛を語る時、あなたはどうやってそれを本当のことだと伝えるのか?

たぶんどっちも現時点では極論

そうだろうね。故意に書かなかった点もあるし。またいずれまとめ直そう。

2008-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20081215203659

分かってる・・・・と思うんだけど。

処女非処女の優劣を議論するときに、中古車と新車という表現を持ってくること自体が単なる比喩表現で

この議論に対する普遍性を持ちえないって言ってるんだけどそれはお分かりでしょうか。

http://anond.hatelabo.jp/20081215203809

それは否定したじゃん。

中古より新品のほうがいい」というのが自然な感情である

http://anond.hatelabo.jp/20081215175408

「頑張って隠したけど隠しきれなくなった女性」への寛容さとかが男性側の倫理に準備されるならそれもアリかなと思うけど・・・・

普遍性を欠くように思うが。

2008-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20081130030640

あの頃の俺たちにはそれを普遍性と思っていたんだよっ!そうなんだよぉぉ!!wwwww ってまぁ、いつの時代にも必ず居るよねそんな人って感じなら普遍性はあると言えるんじゃないかな。

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