はてなキーワード: ナードとは
自分でギークと名乗るのは卑下した言い方
そうなの?もともとが侮称じゃないってのは同意だけど、
変わり者って要素プラス技術者としての尊敬心が付加しているように思っていたので、ちょっと新鮮。
だから、そこらに落ちてる自称ギークはナードに近い存在だと思うわけですが(厳密にはギークとナードの中間みたいな。)、
卑下した言い方をするなら、ナードを自称するべきなのではないかなと。
ギークを自称すると、ハッカーを自称したときの印象と変わり者という印象が同時に現れる気がする。
ま、呼称なんてどうでもいいけどねっ。鉄道の世界は詳しくないんでわかりません。ごめんなさい。
ああそういうこと。(追記)
そういうのはまず違うから安心して欲しい。アーキテクトもインタラクション設計もUI設計もマークアップもコーディングもデザインじゃない。
そう、designには設計という意味もある。だから辞書を引いて自分がその定義に当てはまる気がするならそう自称してもいいんじゃないかと思うわけだ。
しかしちょっと待って欲しいのだが、これが「デザイナー」でなく「ナード」という名前でWebに従事してマークアップからレイアウトからスクリプトの人をまとめてdesignする者と同じ意味で呼んだとしてそれを望むだろうか?
デザイナーへの憧憬はまずファッションデザイナーにある。ファッションは上流階級、富裕層、芸能界の注目する華やかな世界での主役の一つだ。そしてスーパーカーでスターダムにのし上がったカーデザイナー。
彼らはその卓抜したセンスで社会を見つめ無限の可能性の中から最良の一つを選び出す。それは手書きのラフスケッチ一枚であったり、手で握りつぶしただけの粘土であったりする。
それを現実の形に直すのはパタンナーであり針子であり、クレイモデラーであり、プロダクトになるまで、配送の配達員に至るまで無数の人間がかしずき従うヒエラルキーがある。
「デザイナー」とは政治経済と異なる第三の社会における現代のシャーマン、神の宣託を受けた選ばれたカースト最頂点なのだ。誰もが敬意を覚え憧れずには居られないとしても当然のことだろう。
それが現代社会の構造下で適切なものかどうかは置いておくとして、だ。
高校野球で有名な教団、戦後に急進した宗教団体がある。今はかつての勢いがないそうだが最も影響力を発揮したと思われるコンセプトがある。
20世紀初頭、現代芸術がコンセプチュアルアートに傾倒する中で素人目にそれはアートと自称さえすればアートに見えるという提案にしか見えなかった。その団体はそのギミックに注目し信者たちに自分たちはアートだと言ってみせたのだ。
もちろんアートとは数千年間権力者の下にあって富と権力の象徴であり権威の象徴である。それが自称すれば手に入るのだから悪い気がしない。誰もが自分の行為すべてがアートだと称し始めた。
世間で通用する意味と辞書に並ぶ解釈可能な一覧との差を利用して僭称してみせるのがハックだというのだろうか。愚者とは何かと問われれば分をわきまえない者だと答えることができるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20070805041650
なんというか、痛いニュースblogがネタ元にされている時点でどうかと思う、ということはおいといて。
まとまっているようでまとまっていないこのページのうち、まず、
- DESAFINADO (デサフィナード)様
協会の担当者は「演奏中止の仮処分が退けられたケースは聞いたことがない。オリジナルと称している曲も元の曲をアレンジしただけで、使用料は払うべきだ」と主張。翌10月、演奏の差し止めと、著作権侵害による損害金約250万円の支払いを求める訴えを大阪地裁に起こした。
この件について。
http://tatuya215.exblog.jp/4664061/
こちらのエントリでたぶん必要十分だと思うんだが、くだんの店は結局、ネット中継でJASRAC管理曲を演奏していないことを証明出来なかったんだな。つまり、論理も何もなかったのは店側。その点を裁判所は判断してこの裁判、店側が負けた。
当たり前の話だが、論理がないと言うのは自由。だが、実際にそこに論理と呼べるものが本当にないのかどうかはきちんと見ておく必要がある。
興味がある方は、すべての記事に眼を通しましょう。
ここにもJASRACの問題に関する記事が多数あります。
学習参考書なんかは、中身を見ずに買うとえらいことになります(あと、漫画は中身を見ずに買うとエロいことになる可能性があります)。本がほとんどなかった戦前は、教授が訳書を学生に読み上げていく、という感じで授業が進んでいったように、本は貴重なものであり、著者は尊敬の対象でした。しかし、出版技術が進歩した現在、そんなこと言っていられるでしょうか?私が何冊つまらない本をつかまされたかわかりますか?
日本の一団体が海外の企業をつぶせると思っている時点で、アウト!どれだけ傲慢なんでしょう?
「名古屋市などの社交ダンス教室7件を訴える。」という記事の後日談となる「著作権料気にせずレッスンしたい ダンス音楽CDの自主制作相次ぐ」という記事の中にて。brain-boxさんによるはてブコメントからの情報です。ソース元が削除されていますので、信憑性の薄い証言ですが、これが事実ならとんでもない話です(まあ、産経が元記事らしいので事実でしょう)。
Youtube代表者との会合を終えた後、話した言葉。殴り合いになるとしたら、仕掛けるのはどちらが先なんでしょうか?
私たちに出来ることは、ただ愚痴ることだけ。このことからも、彼らがいかに傲慢かがわかります。
そもそも、どうして私的録音から課金するのでしょうか?しかも、徴収されたお金は、ちゃんとアーティストの方々の下に向かっているのでしょうか?理解に苦しみます。
ソース元は削除されている模様です。もう仕事をやめているのに、賠償請求……。どれだけお金をもらえば気が済むのでしょうか?
ある種仕方のないことかもしれませんが……。しかし、この団体は本当に人々の不幸のために働きますね。
日本の恥を晒すだけですよ。
協会
そういうのはサンプリング調査で十分ではないかと。
例のデサフィナードの件は完全に店側の問題で、そういうとこにはペナルティかければいい。
サンプリング調査が有効に働いたということでいいのでは。
単曲契約と包括契約が並存できればいいんだと思うよ。
包括契約は包括契約で、簡単に申請できるからそれはそれで使うところはあるだろうし、
また単曲ごとの契約のほうが安いようにして誘導する(これは青色申告と同様)と同時に、違反した人へのペナルティを懲罰的な額にする。
そして、その懲罰的金額がきっちり著作権者に分配できていることを証明すればいい。そうやっていけば、単曲ごとの契約が増えれば全体の利用比率も統計が取れるようになり、包括契約側へ、その統計結果によって分配比率を反映させていくという展開も可能。もちろん、その計算過程も全部公開のもとで。
包括契約があるから公平にならないのではなく、包括契約は包括契約で透明にしていけば良いということ。
手をつけるならこっちのほうからだと思う。
さらに言うなら、証拠が確実に残る物件で包括契約しか選択肢がないのはもっと問題だと思う。
放送では確実に全曲報告可能だし、FMで出来ていることがなぜTVで出来ないという議論もある。
要は、単曲契約をよりも包括契約へ誘導してしまっている、現在の徴収システムが大問題。
分配金の透明性は、それ以上の大大大問題ということ。
とはいうものの、包括契約やってる限りは、
100%公平な分配なんてのが成り立たないのは確かで。
じゃ、店ごとに全曲使用報告する?
デサフィナードの件は、
「JASRAC管理曲を使わない、なんて言うやつは過少申告するに違いない」という
利用者にとってはふざけんな的なJASRACの言い方が結局この件では
正しかったことを示してしまっただけに、
全曲使用報告もどの程度信頼されるのかわからないなと思う。
前から興味があった著作権、音楽ビジネス、ライセンス料などについて本とかWeb*1 *2とか読んでお勉強してるんだけど、
デサフィナードの件は判決文*3読むとしょうがないとしか言えないよなあ。
2ch界隈のカスラック死ね死ねな姿勢は生産的な議論でないから好きじゃないが増田で話しても同じかねえ。
結局
1 JASRACは透明性を確保せよ。
ぐらいしか言えない。
もっと勉強しよう。
1 http://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/03040000.html
2 ASCAP (http://www.ascap.com/), BMI (http://www.bmi.com/), SESAC (http://www.sesac.com/)などのアメリカの著作権管理団体
3 PDF注意! http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070131152830.pdf