はてなキーワード: たまねぎとは
数多い屋台の中に、鶏肉を鉄板で焼いているところがありました。鶏肉を焼いているのは他にも複数あったのですが、その店は少しだけ工夫がしてあり、段ボールにマジックで味の種類を書き並べてあります。
少し気になったので見ていると、店のあんちゃんに愛想良く声をかけられました。
「どうお嬢さん、味がいろいろあるよ。」
なるほど七種類もあります。
「今の時間はね、ちょうどいいんだよ。夕方くらいになると肉が硬くなっちゃうからね。」
そんなものかと思い、肉の焦げる匂いも食欲をそそったので買ってみようと思いました。
「ソースの種類を選んでね。」
鶏肉に掛け回すソースによって、味のバリエーションを持たせているようです。
よくよく見てみると、なかなか凝っています。半分くらい、私の聞いたこともない名前です。
その中で「デミグラスソース」があります。そういえば最近、ハヤシライスを食べていないな、最後に食べたのはいつだったかなと埒もないことを考えつつ、何となく豪華なイメージがあるのでこれにしました。
離れたところに陣取ってぱくつき始めて間もなく、何とはなしの違和感を感じました。
鶏肉自体は美味しかったです。皮もほどよくパリッと焼けていました。それにケチャップとソースは、家庭のハンバーグにかけると美味しいものですしね。
でも釈然としません。ケッチャップ・アンド・ソースを、デミグラスと称して良いものでしょうか。普通、牛肉やたまねぎを煮詰めたような、肉の出汁の効いたものを言うのではないでしょうか。私は騙されたのでしょうか。
数あるたこ焼きの屋台の中で、特に行列のできているところがありました。得てして屋台は、似たような店でも客の並び具合に大きな差があるものです。
その店は、おそらく、大きな海老がバットに入っていることに特徴があります。
たこが比較的大きく刻んである店は複数あるのです。でも、エビチリに使いそうなぷりぷりの海老が具になっているのはこの店くらい。
ただバットの端っこを良く見ると、その海老が細かく刻まれたのが置いてあります。さすがに一個丸ごとを入れるのは無理があるでしょうが、大きな海老は目を引きます。
「話って、思った以上に伝わんねーなー…」っつーこと。
皆にも経験あると思うけど、あるホッテントリを見てさ、「ほうほう。なかなか納得できるな」とか思いながら読んだ後に、それについてるブクマコメントを見るとさ……
……なんか、時々「は?なんでこのエントリを読んでそうなっちゃうの?」っていうコメントをやらかしてる奴、たまに見かけねえ?
50users以上だと、数人いたりする。
それがさ。まだ、「あなたの言い分は分かったけれど僕は反対だ」っていうのは、いいんだよ、全然。それなら分かるんだけどさ。それ以前の話で、「あんたこれ本当に読んだのか?」っていうコメントを書いてる奴とかいるだろ?
たまねぎを切るときには涙が出ることが多い。
この間も同僚で一人暮らしをしているS君が、家でたまねぎを切って涙を流したといっていた。
そういうときはゴーグルをつけると、涙が出なくなるのでオススメ!
というエントリがあったとすると、これに
たまねぎ切って涙が出るんならゴーグルでもつければいいのに
(だから最初からエントリ主そう言ってるよ!最後まで読んでやって!型)
(何かと「はいはいスイーツでしょ、おなご様でしょ」と女に対して拗ねる型)<絶対一人はいる。何故か
たまねぎ切ると涙が出るのは当たり前じゃないの?
(……な、なにを言ってるんすか?型)
などなど、そんなようなコメントがついたりする感じだ。
話って、結構、伝わらないんだな。
俺は、どこか無邪気に、懇切丁寧に話せば誰でもとりあえず「分かる」ことはできる……と考えていたが、それは間違いだったようだ。
伝わらない奴には本当に伝わらない。
最近それを本当とみに感じる。
材料さえそろえればおいしいハンバーガーを作ることはあまり難しくないみたい。
なんかもう一味足りない気もするんだけど。
・材料
バンズ:自分でパンを焼いたけど、なんでもいけるかなあ。
ちょっと面倒だけどおいしいので自分で焼くのをお勧めします。
自分で焼く場合は砂糖を入れないほうがいいかも。
ちょっとでも甘いバンズは違和感があります。
小麦粉+塩+水+ドライイーストでたぶんバターはいれないほうがいいです。
マスタード:すごく重要です。パンを焼いてからたっぷり塗ります。
ピクルス:いいのが手に入りませんでした。おいしいのを揃えるのはこれが一番難しいかも。
なくてもいけるけど、なんとなく寂しい。成城石井とかにいけば売ってるかなあ。
たまねぎ:薄く切ります。これもないとハンバーガーの味になりません。
量はちょっとでいいので、たまねぎ半分とか切っちゃうと食べきれない。
4分の1でも多いかもなので、残った分はラップに包んで冷蔵しよう。
レタス:生で食べるのでよく洗いましょう。洗わないとなんかヌルヌルしたのが残ってます。
できれば事前に洗っておいて、水気を切っておいたほうがいいかも。
ハンバーグの場合は脂っこくないとハンバーガーっぽくならないので、
なるべく脂っこくなるようにしよう。自分はひき肉を単に手でこねて焼いたけど、
それでもうまいことはうまい。油の流出を避けるために外側に小麦粉つけて焼いたほうがいいのかも。
あと焼くとき少しだけ塩コショウを振るほうがいい。
味付けがまったくないと一味足りない感じになります。
あとはバンズをトースターで焼いて、ハンバーグとか焼くべきものはフライパンで焼いて挟んで食べるだけです。
必ずこぼれるので、下になにかを敷くかこぼれてもいい場所で食べるべき。
要するにハンバーガーの本質はあれですよ、焼肉でレタスを巻いて食べるのあるじゃないですか。
あれにマスタードとケチャップがついていると思えばいい。
アイデアがそもそもシンプルなので、おいしいものを作るのは実は簡単なのです。
マスタードを大量に使うとツーンとして癖になりますw
はてなは、理屈っぽくて、議論大好きな人が多いところが好きだ。
でも、論理と理論をごっちゃにして使っている人がいると、がっかりする。
がっかりは言いすぎだけど、せっかくの熱弁もこれひとつで台無しだと思う。
「え、その違いがわからずに議論してるんですか?」
「もしかして、普段から、自分の議論が論理的に正しいかどうか、全然判別できずに議論してませんか?」
と、疑惑の目を向けたくなってしまう。
検算ができない子に、この計算がここで間違っていると指摘しても、
その子は自分は正しいと言い張るかもしれない。
論理と理論をごっちゃにしている人に対して、僕は同様の疑念を抱いてしまう。
もし、こちらが、あちらの論理の間違いを指摘しても、相手は理解できず、
お互いに気分を悪くして、議論が終わってしまうのではないかと、すこし不安になる。
ごく簡単に言えば、
理論は、ある結果(現象)が起きる因果関係を説明するモデルだ。
以下、演繹、帰納、理論について、もう少し詳しく説明してみる。
アリストテレスは人である。人はいつか必ず死ぬ。よって、アリストテレスはいつか必ず死ぬ。
こういうのを演繹法という。「アリストテレスは人である。」「人はいつか必ず死ぬ。」この2つが事実であって、
事実から、「アリストテレスはいつか必ず死ぬ。」という結論を導き出している。
つまり三段論法というのは、A=B、B=C、よってA=Cのことだ。
(これ、イコールじゃなくて、包含関係で説明するのが本式だが、そこは省略する)
なお、演繹法では、事実とした事柄が、実は、事実ではない場合、
当然ながら、結論が間違ったものになることには、注意が必要だ。
帰納法は、多数のサンプルとなる事実から、共通して言えることを結論とする方法だ。
A猫は4つ足で歩いていた。
B猫も4つ足で歩いていた。
C猫も4つ足で歩いていた。…と可能な限りのサンプルを集め、
サンプルとして集めた猫が、全て4つ足で歩いていたなら、
「猫は4つ足で歩く」という結論が導き出せる。
帰納法では、少なすぎるサンプルから結論を出したり、
サンプルからは言えないことを結論にしてしまったりすることに注意が必要だ。
理論というのは、ある最終的な結果が起こるための因果関係の説明だ。
因果関係というのは、原因(の現象)と結果(の現象)の1セットのことをいう。
レシピの詳細は省くが、
シチューという最終的な結果は、
人が、包丁、まな板、鍋、火などを使って調理することで起きる。
順番を間違えるとうまく結果が出ない。因果関係に則っていないからだ。
シチューが生まれる過程を簡潔に説明し(無駄な現象を捨象するという)、
シチューを作る上で、あまり重要ではないことが書いてあるのは、上手な理論ではない。
(たとえば、調理中にキッチンにゴキブリが出たら、すぐさま潰してください、とか。)
ここまで説明した「理論」というものは、論理によって構築される。たとえば、帰納法を使って、
おいしいシチューAには、肉が使われていた。
おいしいシチューBにも、肉が使われていた。…と、
自分がおいしいと思うシチューのサンプルを集めていき、全てに肉が使われていたなら、
自分がおいしいと思うシチューを作る要素のひとつは肉であると結論づけられる。
また、どんな理論も仮説だ。仮設と言い換えてもいいかもしれない。
理論とは、ある結果に至るプロセス(因果関係)を説明したものに過ぎないので、
いずれ、もっと上手にそのプロセスが記述される可能性があるからだ。
こういったことは、議論をする相手には、ぜひとも知っておいてほしいよなあと、思う。
自分の書いている文章の論理展開も、気にしながら書いてほしいよなあ、とも思う。
あらゆる現象を完全に説明できるたった一つの理論というのも、未だ発見されていない(そして、たぶんない)。
だから、お互いに指摘しあって、修正しあえるのが良い。
そのためには、少なくとも議論する人同士が、前もって、
悪い夢をみたくらいで、怯えるなんて子供みたいだ
そう言われてしまうが嫌で、誰にも言い出せなかったんだ。
増田に書いてよかった。
もうかれこれ小一時間程、鍋を弱火にかけている。たまねぎと豚肉にとてもイイ感じに火が通って、豚肉は大変柔らかくなってる。
20分前に人参を、10分前にじゃがいもをいれた。大きめに切ったので鍋の中でごろんごろんだ。
そろそろルーを溶き入れようと思う。ご飯はあと20分で炊ける。
ルームメイトが早く帰ってこないかなと、私は心待ちにしている。
でも納期が近くて忙しそうだものな。今日も遅いかもな。
いつもチキンカレーだけど、今日は奮発して豚肉(しかも角切り!)だ。美味しく食べてくれるといいなあ。
気の置けない人間と一緒に暮らすって、いいことだな。
お互い家族に恵まれなかった訳じゃないけど、家族とはうまく仲良くできなかったから、今の暮らしはとても平和だ。
個人の胸の内は荒れ狂ってたり、病気だったりするんだけれど、暮らしが平和なだけでだいぶやっていける。
大人になるって素晴らしい。