傷つけられたから同じくらいの痛みを与えたいとか
自分はこんなに不幸なのになんで誰も救ってくれないんだとか
心がカラカラになって枯れ果ててもそういう感情がモチベーションになるときがある
友達と会って話した、猫が可愛かった、好きな曲を聴いた、テレビが面白かった、風呂が気持ちよかった、YouTubeで動画を見た、ラジオでメッセージが採用された、直接的・物理的に何かを得たり摂取するわけでもないのに心が弾んで嬉しくなったり楽しくなったり、その日一日がまるで最高に幸せであるかのように感じれる
いわば、恨みや憎しみはそうした養分が失われたときの反動から来るとでも思えばいいのかな
でもそうした感情にずっと身を任せていると今度は自分の心が壊れちゃうんだね
恨みや憎しみに駆られていると、自分の好きだった物事や人まで嫌いになることだってあるし、ゆくゆくは“好き”って気持ちを抱いていた自分自身をも否定する結果になるのかな