2024-09-16

百合を好みながら、百合異性愛に”めざめる”ものでシコっていた

 どこかでシコることはよく言われるような鬱憤と発散ではないという文章を読んだ。そこでは、主に男性自慰が想定されていたが、それも当然で、たしかそれは男性学に関する文章だった。

 ともかく、シコることは私たち男根権力確認するために自らの意志でしていることなのだという感じの文章だった気がする。

 私もシコることで男根の力を確認している人だった。

 ところで、私は百合が好きだった。

 百合というのは女性同士の関係性を描いたものをさすジャンル名前だ。

 百合のことを好きになるのと同時期だろうか、いわゆる百合異性愛に”めざめる”系でもシコるようになった。

 百合異性愛に”めざめる”というのは男根の力の極北ひとつであるように思われる。同性愛を、それを単に一時的な気迷いであるとしてしまい、異性愛領域に引きずり込む。

 普通に考えて最悪の趣味だと思う。

 百合を好みながら、百合異性愛に”めざめる”作品でシコる。二重思考だった。

 シコったあとは罪悪感に苛まれたが、やがて慣れた。

 でも、最近、性行為を特徴づけるの男根であり、男根のないところに性行為はないとされた、といった感じの文章を本で読んで、自分がしてきたことの罪悪さが思い出されて、死にたくなった。

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