2024-08-30

子どものころ私の父は司教領公務農民でした

そのころルターというパヨ坊主が当時最新の活版印刷で、免罪壺商法年貢チューチューを暴露していたので、異端摘発死刑がやたらに多いときでした

私が15才のとき、父は審問に引っかかってしまいました

身内を殺されて腹が立たないわけがありません

オランダ近辺はそういう死刑が多かったので私も反対デモに参加して、独立戦争になりました

でもそれがもう10年前のことです

10年しても独立できないので私は新大陸行きのほうがマシだと聞いてアメリカ行きの船に乗りました

台湾江戸に行った仲間もいました

火山帯は傾斜地が多いのでアジア人酋長らは河川整備をしたいらしく、水工部にとても友好的なのだそうです

ところがアメリカでは、結局、他所植民地と抗争もありさらにインディアン傭兵もいてウンザリしてしまます

思えば、祖国独立戦争実おはオランダ東インド移民推進政策だったかもしれませんよね

でも今は、新しい家族もできる予定なので頑張りたいと思ってます

エイブさん、ニューアムステルダム植民地からのお手紙でした)

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