自分が死ねば少なくとも親兄弟が悲しむことやその後の人生に影響を与えることは理解していた
そんなことできないのも理解していた
それはずっと続いた
大人になってもそうだった
生きている限り生きている
死ぬまでは生きている
自死という決意は親兄弟だけでなく、甥姪にも及ぶことを知り余計に何もできなくなった
誰が悪いわけでもないが両親と折り合いが悪く、私は地元を遠く離れ、遠い土地に移り、新しい何かを探した
でも何もなかった
生きることに否定的なのに矛盾しているが、恐らく死ぬまで食いっぱぐれないスキルを獲得した
たくさんの回り道と過ちを繰り返し、紆余曲折の末、縁があり地元に帰った
地元は好きだった
そして今も好きだ
今でもできれば消えてしまいたい
死んでしまいたい
なくなってしまいたい
でもなくならず、消えず、生きていれば、それを喜んでくれる人を見つけた
この人と生きていくために死なないでいようと思う
ところで
死にたいと定常的に思うのは異常らしいですね
いつも希死念慮と手を繋いでいた私には分かりかねることです
いつも囁く希死念慮に「私もそれを願うけど、私の死は私だけの問題じゃねえんだわ、機会を見極めようね」と宥めていた
ある意味飼い慣らしていたのかもしれませんね
幼少期から存在自体を消したいと思い続けてきたが、それは家族や周りへの影響を考えるとできなかったんだ。多くの経験を経て地元に戻り、大切な人と出会い、生きる希望を見つけた...
本当にききたい? 個人的な結論として、一度希死念慮に取り憑かれた人間は二度と普通の人間になれないよ 寛解するだけだね 死にたいなんて考えたことない人間が眩しくて、憧れて、...
テレワークのお陰でテレワークできているみたいなの、何や? 小泉進次郎構文やんけ
くそわろ、あなた好きw あとテレワークは天国w