2024-06-04

推しとは消費でいいのか

ウマ娘映画がやっているけど、競馬アイドルって、何か似てるよな。

考えてみると、愛すべき対象を消費してるって点で共通してるんだよ。馬もアイドルも、それぞれの人生を食い潰されてるだけだ。

競馬ファンは馬を賭けの道具としてしか見てないやつもいるし、アイドルオタクも結局は自分欲望を満たすために「推し」を応援してるように見える。

その行為は醜いし、自分本位でしかないのに、なぜかそれに気づかないんだよ。

競馬なんて、走らせるだけ走らせて、怪我したり実績が無ければポイ捨てみたいなもん。何が「愛馬」だって話だ。

アイドルも同じ。応援してるって言いながら、実際は若い子をステージに立たせて疲弊させてるだけ。

しかも、彼女たちがちょっとでも自分理想から外れると、すぐに叩き始めるんだから救いようがない。

本物の愛ってのは消費じゃないはずなんだ。

でも、世間は「推し」とか言って、一方的感情押し付けて消費してる。それが愛だって信じて疑わないんだから笑えるよな。

本当に愛してるなら、相手を消費するんじゃなくて、支えるべきじゃないのか?

ただ、自分欲望を満たすためだけに生き物を使い潰すなんて、どう考えても愛じゃない。それはただの自己満足だ。

推しのために何かしてるつもりで、実際は自分のためにしか動いてない。

そういう醜さに気づくことなく、「愛してる」とか「応援してる」とか言ってるのは滑稽でしかない。

から、本当の意味で「推し」を大事にするなら、まずはその自己満足感情を見直すべきだろうな。

  • 愛とは小さな犠牲である

  • そうそう、まさにそのとおりだと思う。言葉にしてくれてありがとう これが解消できなくて競馬にもアイドルにもハマれなかった

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