生きるということは、並大抵のことじゃあないんだ。
って力説する文学もあるけれど、実際どうなんだ?
時に眠れない夜も訪れる。
どうしようもなく好きになってしまった人が、
でも、それが並大抵ではない苦しみなのか?
一方で、並大抵でない人生を送る人もいる。
山上なんて、そうだろう。
彼は犯罪者だが、多くの同情を集めた。
でも、どうなんだろう。
もしも、彼が人生の前半生の並大抵で無さをどこかにおいてきて、忘れてしまったなら。
平凡な人生、平凡に、ただ報われることもなく、
並大抵のものへと変質していったのではないだろうか?
おそらく、怒り、というものをどの様に扱うのか?
大抵の人は、結局のところ、怒りを忘れることで対処して生きている。
人によっては、怒りは敵であるとも考えるだろう。
しかし、思う。
怒りとは、敵ではない。
付き合い方に困るが、誠実で、嘘のない友人なのだ、と。
彼はあまりに真っ直ぐで愚直で融通が効かない。
それを、その存在を私に知らしめようとしているのだ。
そのことに、もっと耳を傾けなければならない。
それはとても注意深く聞かなければならない。
彼の言っていることは、ものすごくよく注意深く聞かないといけない。
ただ、その表層だけに縛られていたら、私たちは犯罪者になってしまう。
彼はいう。生きるというのは並大抵のことではないんだ。そのことを私たちに教えてくれる。
それをどう受け取るかは、私たち次第だ。
でも、受け取って欲しい。
どうか、無視はしないで。
義憤は知らんが、怒りは敵だなぁ ワイが発達障害の検査受けたの時間感覚のおかしさ・異様な不器用さ・注意散漫さをなんとかしたいではなく、 怒りの異常な強さ(10時間以上同じ温...