自分は小さい頃おばあちゃんっ子で、毎日のように祖母の部屋に転がり込んで遊んでもらっていた。祖母のことが大好きだったし、祖母も自分のことをとても気に入ってくれていた。
よく食べ、よく動く人で、身体的にはとても健康で90歳とは思えないほど体は健康だった。しなし痴呆には敵わず、会うたびにいろんなことが出来なくなり物事を少しずつうまく認識できなくなっていき、自分がなにかうまくできていないということだけを認識して悲しそうにしている姿を見るのがとても悲しかった。
以前はそれでもまだ会話が可能で自分のことを認識してくれていたが、ここ数年は自分のことも認識できなくなり、会話はほとんど不可能な状態にあった。こういう状態になったどこかのタイミングでふとあの頃の祖母にはもう会えないんだと思って悲しくなって泣いたことを覚えている。
そんな祖母が先日98歳で他界した。デイケアセンターの職員の方が言うには朝起きたら静かに息を引き取っていたらしい。
その知らせを聞いたとき、正直ほっとした気持ちが一番大きかった。
ほっとしたというのは
葬儀の際も、祖母の遺骨を骨壷に収める際も、あまり悲しさを感じていなかった。甥にどうして泣いてないの?と聞かれてどうしてだろうと思ったけど、悲しくなかったから泣いてないんだろう、しかしどうして悲しくないのだろう。単純にまだ気持ちの整理がついていないだけ?
自分の中で祖母との本当の別れは祖母が自分を認識できなくなったときに一度済んでいたのかもしれない。しかしそう考えると、"自分を認識できなくなった祖母"と会っていたとき自分はその人を祖母だと認識していなかったのではないかと思い、なんというか、自分は自分勝手な人間だなと嫌になってしまった。