俺は弱者男性と喚ばれる存在だけど、世の中に求めるのは弱者男性という存在に向き合ってほしいということだ。
向き合うとはどういうことかというと、いま、弱者男性というのは存在しないものとされている。透明な存在というやつだ。
例えばどういうことか。
ちょっと前にニュースで「男性の更衣室の大半に実は防犯用の監視カメラが設置されてる」というのがあった。
利用者の男性にカメラのことを伝えることなく勝手に設置されていたというのさ非常に驚く話だったけど、炎上するとかはなく、そのまま話題は終わった。
もしも、無断で設置せずに、設置するときに男性に意見を聞いたらおそらく大半の男性はこう言うだろう。
「撮影されてるのは気分良くないけど、防犯のためになるなら仕方ない。」
つまり、無断で設置しようが断りを入れようが結果は同じで男性は受け入れるのである。
じゃあいちいち聞かなくていいじゃないか、というかとなるとそんなことはない。
「男だから細かいことイチイチ気にしないでしょ」と勝手に決められて物事が進められるのは悲しいし傷つくのだ。
向き合ってほしい、存在を認めてほしいとはこういうことだ。
結果が同じでも、ひと言言ってもらえるだけで心の負担は軽くなる。
こういう細かい心配りというのは、女性のほうが効果をよく知っているのではないだろうか。
いやー余裕ないっす 自分の気持ちくらい自分で周囲の人間に発信するなり、増田で発散するなりしてください ていうか誰に対して気遣いしてほしいって言ってるんですか?女性?男性?
弱者男性なんて最初から存在しないよ。 だからみんなスルーしてるんじゃん。 お前は自分の年収低いとか婚活上手くいかないとか顔がイケメンじゃないとか悩んでるかもしれないけど実...