2022-12-11

anond:20221211173323

表象ありきではないということのついてかろうじてなんとなく言えることは、

たとえば雲一つない空と書かれていたとき、読者間では想像する空の明度などで朝9時ぐらいのときのか真昼間のときのことかとか異なっていることもあろうが、同じ読者であればいつその文字列を見てもッ少なくとも「視覚面」については同じ空を想像してると思う。

しかしそういう空は文学的には爽快さの象徴でも空虚象徴でもある。

なので「雲一つない朗らかな空」「今の私の空っぽの心のように雲一つな空」という文字列になったらば、同じ読者でも脳内に浮かぶものとしては何かが異なっている。当然ただ「雲一つない空」という文字列を読んだときとも異なっている。

実在的な視覚としてはどの空も同じであるはずなのだから、これらが脳内で違いを生じているということは、もはや単に脳裏過去記憶上の風景想像するときに相当するような具体的な映像とは質的に異なることを意味している。視覚+別の何かが不可分に絡み合っているというか、だとすれば足し算の記号を使うこと自体語弊を生じているような、そういうなにかを思い浮かべながら定型発達は読んでいるのだろうと思う。

記事への反応 -
  • なるほどエゴイストには小説の執筆は向いてないということなのかもしれん。 人物の意識下にある物体の描写にしてもどこまで細かく書けばいいか、そもそも地の文だともっと鳥瞰的に...

    • 両者の溝は深い。 つまり、どういうふうに表象を浮かべているのか、とか表象を中心に読解の営みを考えているうちは絶対に理解できない程度には相異なった受容をしているわけだ。好...

      • 表象ありきではないということのついてかろうじてなんとなく言えることは、 たとえば雲一つない空と書かれていたとき、読者間では想像する空の明度などで朝9時ぐらいのときのか真昼...

    • 小説執筆には、感性や表現方法が重要です。エゴイストであるからといって、必ずしも小説執筆に向いていないということはありません。また、物事を細かく描写することが重要である...

      • で、どうやってフィードバックさせるんや? 報告書なら概念のレベルで伝わりたいことが伝わればいいから一通り文章が書けた段階で他人に読んでもらってどういうことを理解したか確...

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