2022-07-02

動画授業を揶揄する段階は既に終わっていると思う

兵庫教員不足に関する記事について、動画授業を支持するコメントに多くのスターが付いていた。

それは当然だと思う。

兵庫では実際、既に授業ができないクラスがある。

例えば、国語の授業は週1回ほど自習となっている。

それを速やかに解決するのは、どこかのクラス実施している授業を他のクラスでも放映する動画授業しかあり得ない。

教員予算的な問題給料が増えない上に、部活動で土日出勤も強いられるブラック仕事

そういう認識が定着してしまった。成り手が居ないのも当然。

から、一人の授業を複数クラスに展開する動画授業という技術は、もはや必須手段である

それが良いかいかを述べる段階は既に終わっているのだ。

そう、今まさに、授業ができずに自習となっているクラスがあるのだから

それなら、動画だとしても授業を提供した方がよい。

教員不足と言えば、部活動についても人材不足で、地域移行が成されようとしている。

これも一昔前では全く考えられないことであった。

から、授業は教員が目の前で実施するものだという認識が当たり前ではなくなる日がいつ来てもおかしくはない。

それくらい教員不足は深刻である予算がつかない以上、動画など技術解決するしかない。

もう、動画授業を揶揄する段階ではないのだ。

そうではなく、動画授業をいかにより良いものとして提供するかを考えなくてはいけない。そういう段階だ。

  • 今対策しなくても、どっちみち動画授業をせざるを得ないのにね。 どうせなら、今から積極的に、有効な動画授業方法を研究していった方がよい。

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