弱者・被害者という立場を得られれば、みんなにかわいそうと言って構ってもらえるし、支援も受けられる。
自分を攻撃する奴には「お前には人の気持ちがないのか!」的なこと言って人でなし扱いしておけば良い。
とっても楽だし、最強だ。
しかし、他方で弱者や被害者が叩かれる現象もよく見聞きする。なんで弱者・被害者なのにそんなに叩かれてしまうのか?
自分が考えるに、それはみんなが思い描くような弱者像・被害者像に合致する言動をとっていないからだ。
弱者が髪を染めていてはいけないし、贅沢な食事をしていてはいけない。高い車にも乗ってはならない。なぜなら弱者だから。
被害者は常に悲しそうに沈鬱な表情をしていなければならない。笑う姿を誰かに見られるなどもってのほかだ。加害者を悪い奴と糾弾し、間違っても加害者を擁護するようなことは言ってはならない。なぜなら被害者だから。
この意味で弱者・被害者はみんなのお気持ちに沿った言動をしなければならないという制約が課されている。その制約から外れる行動を取れば叩かれる。
ここまでくれば弱者・被害者がもはや大衆のコンテンツとして消費される存在に過ぎないことは明白だ。次から次へと現れる弱者・被害者をただただ眺めてみんなの気持ちに沿った行動をとる奴には同情するし、そこから外れる奴は「なんだあの態度は!」と叩く。それだけの存在だ。
その証拠に1ヶ月前の痛ましい事件、事故の被害者の名前を覚えているか?
弱者や被害者に寄り添うとか言いながらただコンテンツとして消費しているだけだ。
そんな中でもまだ弱者や被害者の立場に魅力を感じる人はいるらしい。弱者・被害者であり続けるために努力を惜しまない人もいることだろう。