家の近くの通り沿いにプレハブみたいな小さな建物で持ち帰り専門の焼き鳥を売ってる店があって、安いし晩飯時には結構混んでいる。
対面カウンターで注文して焼き上がりまで5~10分ほど待つので、車で来ている人は車内へ、歩きの人はプレハブの周りに立ったままだったり置かれたベンチに座って待つ。
ある日その店の前を歩いて通りがかると、その焼き上がり待ち用であろうベンチに小柄なおじいさんが座って、買ったばかりの焼き鳥をもぐもぐとその場で食べていた。
描写を足すとすれば、そのベンチはプレハブの陰にひっそりと置かれている。アウトドアでの食事用などではなく、一時的に腰掛けられる場所を提供しているに過ぎない。
そこに座って焼き鳥を隠れるようにして食べているおじいさんを見て、私は何とも言えない複雑な気持ちに襲われた。
まずほんの一瞬だけ「なんだかかわいそう」と頭に浮かんでしまい、どんな背景があるかも分からないのにそんな風に思った自分を恥じた。
「かわいそう」は言い換えると、「ご家族と一緒に食べていて欲しい」という気持ちでもある。 子や孫、伴侶と一緒に食卓を囲んでいて欲しい。
でもそうか、ご家族がいるとも限らないんだよなと思い直して、やっぱり私は恥ずべき人間だと思う。
高齢者(男女問わず)が一人でひっそりとご飯を食べていると、いつもそんな複雑な気持ちで胸がいっぱいになってなんだか泣きそうになる。
焼き鳥のおじいちゃんだけじゃなくて、おばあちゃんがフードコートで一人でちゃんぽんを食べているとか。
瘦せ型で、背を丸めるようにして食べていると、よけいにそう思う。多分、でっぷり超えてみなりのいい爺さんが一人でステーキを食べていてもそうは思わないだろう。
自分だって高齢おひとりさまなのでじきにそういうじいちゃんばあちゃんの仲間入りをするんだと思うけど、こういうのって昭和の「幸せ家族」妄想の結果なのかな。
だとすればこれからの若者たちは、私が一人で食事をしてても「かわいそう」なんて思わないのかもしれないな。
そうだといいなあ。
独り身の高齢者って性格が悪く何言ってもはいはいどうせ俺が悪いんだろって言うような自虐的な曲がったやつがほとんど 同情心とか持つと付け込んでくるから見て見ぬふりがちょうど...