有名な水族館に行って、でかい水槽の中でクルクル回る魚や水棲生物を見てきた。魚もラッコもイルカみたいな生き物も、おそらく十分に広いとは言えない水槽の中を、同族とぶつからないように器用に泳いでいた。ランダムに泳いでいるように見えるものも、一定の方向性で群を作って泳いでいるものもいた。その姿は、楽しそうにも見えるし、スポーツをして憂さ晴らしをしているようにも、暇潰しで仕方なくやっているようにも思えた。
人間が同じような閉じた部屋の飼育環境にいたとしても、部屋の中をグルグル走り回ったりはしなそうだ。運動不足を解消するために、筋トレみたいなことや、柔軟体操みたいなことはするかもしれない。それと同じようなものだろうか。
一方で、群を作るように見えるタイプの生き物は、誰が先頭を泳ぐかが決まっているようにも見えたし、水面に顔を出して呼吸するタイミングを合わせているように見えた。泳ぐという動作の中で、群れの形成、群の中での位置付けの確認、共同作業、小さな社会の構築みたいなことが行われているのかもしれない。泳ぐということが、存在意義に直結しているというか。
人間も群れで飼育される環境にあれば、行動の中で群れの位置付けを決めていくだろうか。腕相撲や何かで。それとも言葉、対話を通じてそれを行うのだろうか。