自分からエロくあるのと、他人が勝手にエロく見て消費するのと。
ふたつの違いが本気で解らん。
本人が望んでエロく見せている・あるいは見せていないファッションがあって。
周りに、エロ目線で見ている・またはエロ目線で見ていない人がいる。
でも、服の上に「エロくしてます」ってラベルが貼ってあるわけじゃない。
現代日本の価値観では、「セクシーな格好ですね?」と聞くこともできない。
中学校の卒業アルバムに、クラスメイトをデフォルメした絵を描いた。
デフォルメなので、目は強調してある。鼻は省略した。当然、胸も写真とは違う表現になっている。
どうやって判別すればいいんだろう?
ここに、ある女性がいる。
次の日に、まったく同じ格好で、「私はいまは、エロくない」と主張する。
もし、どう「思う」かでエロさが変化するならば、主体的エロさは、服飾メーカーが手出しできない概念だ。着る服の調整では、主体的エロさはなんら変化しない。本人の心の問題となる。
「思う」ことでエロさが変わらないとするならば、エロさは客観的な見た目に依存する、という事になる。ほとんど何を着てもエロくない人が存在し、逆に何を着てもエロい人が存在しうる。
なんかのキャラ萌えしてるのかとおもうたわ