勝次、いや活字のみで繰り広げられる匿名ダイアリーの意義。それは「客観視」に繋がることではないか。
自分という人間は独りよがりで、我が哲学を押し付けがちな生き物だと自覚はしている。この文章が既にそうであるように。
だからこそ、そこに指摘が入る、自分以外の目線が入るということが非常に助かるのである。
「言及」とはなんと画期的な名目なのだろう。減給されてもかまわないくらいだ(あくまでも例えである)。
自分もやはりひとりの人間であって、他人から見るとうんこなのだと気づかされる。
うんこ扱いされることが意外に心地よかったりする(だからと言ってうんこやろー!とか言わないでいただきたいのは結構真面目)
世の中には自分の正当性を認めさせることを生きがいにしているような人も多くいるように感じるが、
顔も名前もない、内容だけを純粋に判断して頂ける。(文面などからは判断されるかもしれないが)
うん、こういうのっていいかも。
うんこいうのう。
うんこ有能。