2022-04-27

既出だろうが匿名ダイアリーの意義は「客観視」だと思った

勝次、いや活字のみで繰り広げられる匿名ダイアリーの意義。それは「客観視」に繋がることではないか

自分という人間独りよがりで、我が哲学押し付けがちな生き物だと自覚はしている。この文章が既にそうであるように。

からこそ、そこに指摘が入る、自分以外の目線が入るということが非常に助かるのである

言及」とはなんと画期的名目なのだろう。減給されてもかまわないくらいだ(あくまでも例えである)。

自分もやはりひとりの人間であって、他人から見るとうんこなのだと気づかされる。

うんこ扱いされることが意外に心地よかったりする(だからと言ってうんこやろー!とか言わないでいただきたいのは結構真面目)

いいね!でも♡マークでもなく言及

世の中には自分正当性を認めさせることを生きがいにしているような人も多くいるように感じるが、

ここに来れば純粋人間ではなく内容に言及して頂ける。

顔も名前もない、内容だけを純粋判断して頂ける。(文面などから判断されるかもしれないが)

うん、こういうのっていいかも。

うんこういうのっていいかも。

うんこいうのう。

うんこ有能。

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