2022-01-24

アラームのかけ間違いと時間認識

うっかりとしていた。

 

先日、出かける前に準備しておかねばならないことがあって

アラームをいつもより1時間早くにセットしていたのだが

それを戻し忘れていて、1時間早く起きた。

 

しかしそのことに気づかぬまま、朝の準備をしていったのだが

いつものごとくいよいよ出かけなくてはいけない数分前になって

(実際には1時間早い)

何やら書きものを始めてしまったために時間を取られて

バタバタとした出発となってしまった。

ああ、これを書き上げたいのに、と未練を残しながら、

バスの出発の時間ギリギリ間に合うかどうかの慌ただしい出発となった。

 

すこし小走りになりながらバス停に向かうが、

当然、バス停にはバスが来ていない。

また遅れてるの?と一瞬思ったが

その割には他の乗客がいない。

そこでようやく気づく。

1時間早いのだ。

その瞬間の思考が興味深かった。

 

ああ、どうしよう1時間も潰さないといけない。

何をしたらいいのだろうか?

そうだ、たまには駅まで歩いてみようか?

運動になるし、何やら楽しそうだ。

 

いやいや待て待て。

私の時間認識とはどうなっているのか?

先程まで時間がない、という認識のもと、

・あれを書き上げたい、

Amazon生活雑貨を注文しなければ、

使い捨てコンタクトを注文しないと

ああ、でも時間がないから後回しだ、残念、

と考えていたのが

1時間の待ち時間という概念が生まれた瞬間に

手持ち無沙汰を感じるというのはいったいどうなっているのか?

挙句の果てに小一時間かけて駅まで歩く?

どういう思考なのだ

 

このエピソードには私が時間有効活用するための

ヒントのようなものが隠されていると思うのだが

今の所、それが何なのか上手く思いつかない。

あとで何か思いつくかもしれない。

が、それよりこの話自体を忘れてしま確率のほうが高そうだ。

から忘備のためにここに書き留めることにします。

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