東大に行くことがなぜか予め決められており、そして2回(+後期1回)受験して、落ちた。
進学した大学では内部、一般、推薦、AOなどで来た人がいて、第一志望で来た人もいれば私のように滑り止めで来た人もいる。様々な人たちと交流できることは意味があると思った(それがとても狭い世界の中での話と気づくのはもう少し後だ)。
しかしそんな綺麗事を言うつもりはなく、私は大学に入ってからの人生を、本ルートではない、別ルートとして生きている。
これは正しく進まねばいけないルートではないから、厳しい両親の言いつけを無視して遊び歩き、適当な人間と適当に付き合って、最終的には家を出て自分の人生に責任を持たず仕事をサボって趣味ばかり熱心にしている。
受験に失敗したら死のうという人は全て完璧でないと満足できないだろう、少なくとも私はそうだった。
しかし失敗した人生に価値はないのでどうなってもいい。単位を落としてもいいし、人に迷惑をかけてみてもいいし、置かれた状況から逃げてもいい。ただし、自分の人生に対して他人事のように生きてみても、最終的に社会的責任を取るのは自分だけど。
完璧である必要がない人生はぬるくてつまらないかもしれない。しかし嫌になればそこからまた死んでもいいわけで、まあ私は、今のところ死ぬには至っていない。